連載

家族が集まり愛憎ないまぜになる年末年始に思い出す「ガラスの動物園」

【この記事のキーワード】

普遍的な家族の物語

 アマンダは高圧的ですが、決して子どもの幸せを願っていないわけではありません。ビジネススクールに行けなかったローラは寒い街中をさまよっていましたが、アマンダは薄着な娘の体調を気遣っており、無理に働かそうとはしていません。ローラは学校に行けないほど繊細なのに、スクールをサボっているあいだは動物園や映画館に行っていたとのんきに白状もしています。

 ただ、アマンダが子どもたちに願う「幸せ」は、本人たちの望みとは壊滅的にかみ合っていないことに気づけず、気づこうともしないのです。

 お見合いの席でローラは、ジムが高校時代のことを覚えていると知り、胸を躍らせます。閉塞した現状の打開のため、一家はジムとローラが結婚することを期待しますが、ジムは婚約者がおり、近く結婚すると告げられます。そしてトムは会社をクビになり、セントルイスを去りました。

 アマンダも、目の前のすべてのいやなことに目をつぶり自分の世界に閉じこもるローラも、悪人というわけではありません。一般的とまではいえなくてもどこにでもいうる、ごく普通の人間であり、家族といえるでしょう。家族の苦い記憶を、無理に涙を誘うわけでもなく、救いがあるわけでもない結末も、またリアルなもの。時代や国境を越え、現代日本においてもとても身近で、普遍的な物語です。

 ひとつだけ、現代日本と違う点があるとすれば、アマンダのアイデンティティは「母」がすべてではないというところです。夫に去られてしまい妻としては不幸ではあっても、ひとりの人間としての主体性は否定されていません。しかし現代の日本においては、子育てをする女性は「母」であることが存在意義のすべてであるかのようにみなされています。

 近年でこそ育メンという概念も浸透しつつありますが、少し前までの世代の男性は育児にかかわることはなく、また現代もワンオペ育児せざるを得ない現状は、社会の大きな課題です。くしくもウィングフィールド家には父親がいないことも、非常に暗示的です。そんな日本社会のあり方が、特に同性である母親と娘の関係性で、「毒親」を生み出すことにつながったと考えれば、現代日本は実は、ウィリアムズの世界観を超えて苦しい社会なのかもしれません。

1 2

あなたにオススメ

「家族が集まり愛憎ないまぜになる年末年始に思い出す「ガラスの動物園」」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。