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高校生によるセックス・セラピー Netflix『セックス・エデュケーション』のススメ

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 たとえば日曜洋画劇場を家族で見ていたとき、少しエッチな描写のせいで家族と気まずい雰囲気になった経験はないだろうか。

 家族団欒に亀裂を入れる沈黙。無駄に咳きこむ父。お茶を入れるために席を立つ母。僕はといえば、「サヨナラおじさん、今すぐ『さよなら、さよなら、さよなら』と言ってくれ」と強く願いながらテレビをただ見つめるしかなかった。悪夢のような時間だったと今も覚えている。

 現代日本社会はいまだに保護者と子どもの間で性/性行為に関する会話を避ける傾向にある。とはいえ、最近では「知ろう、話そう、性のモヤモヤ」をキーワードにセイシルというウェブサイトがSNSで話題となったりと、スマホやタブレットの普及が性に関する情報へのアクセスを容易にしつつある。

 テクノロジーの発展にはAmazonプライムやNetflixのようにオリジナルコンテンツを配信するプラットフォームも含まれると考えられる。スマホなどで気軽にそうしたプラットフォームを楽しめる環境は、若い視聴者が交際や性行為において相手を思いやり、また自分の身体を知る大切さを学ぶためのコンテンツ作りに貢献できるのだろうか。

Netflixオリジナルドラマ『セックス・エデュケーション』

 本稿では、性をテーマに扱う作品の一例として、2019年1月11日に配信開始したNetflixオリジナルドラマ『セックス・エデュケーション』(SEX EDUCATION)の第1シーズンを取り上げてみたい。

 イギリスを舞台にした本作の主人公オーティス(エイサ・バターフィールド)は、「性と関係のセラピスト」である母親ジーン(ジリアン・アンダーソン)と二人暮らしの16歳で、マスターベーションで射精できない悩みを抱えた男子高校生である。

 校長の息子でいじめっ子気質のアダム(コナー・スウェンデルズ)の射精問題を解決に導いたことをきっかけに、オーティスは高校で「ペニス噛み」と噂される隠れた秀才メイヴ(エマ・マッキー)に説得され「セックス・クリニック」を開くことになる。

 セックス・クリニックを訪れる患者=高校生やオーティスたち主要人物の視点を通じて、第一シーズンでは不安症、射精不全、性器の形状、膣に挿入されることへの恐怖、性的同意、SNSでのリベンジポルノ、妊娠、中絶、セックス中のコミュニケーションなど様々な性に関する重要なトピックが扱われる。

 『セックス・エデュケーション』が配信開始からわずか4週間で第2シーズン制作が決定されるほどの話題作となった背景には、どのような魅力があるのか。

 本作の題名は文字通り「性教育」ではあるものの、コンドームの使用方法や生理の仕組みなど、各エピソードが教科書的な内容に沿って展開するわけではない。だが、シンプルかつ明瞭なタイトルと扱うトピックの身近さは、The Guardianとのインタビューでバターフィールドが明かすように、出演者が期待していたよりも圧倒的多くの視聴者の関心を引き寄せることに成功した。

 その中でも本作の見所の一つは、思春期真っ只中の高校生たちがオーティスとの会話や様々な発見を通じて、それぞれが置かれた環境や身体を見つめ直し、様々な規範や性的に消費される視線を疑ったり回避する姿にある。本稿では、「精液」と「身体」という二つの観点から第一シーズンを振り返り、最後に第二シーズンに期待する変化を述べたい。

精液はどこ?

 第一話冒頭のセックス・シーンの最後、エイミー(エイミー・ルー・ウッド)は萎びたLサイズコンドームをアダムから奪い、「精液はどこ?」と問う。

 空っぽのコンドームを一瞥した後、アダムは気まずそうに目をそらしオフスクリーンを見つめる。まるでアダムの気持ちを代弁するかのように、 “I’ve got secrets I don’t know if I can tell you”(君に伝えられるかどうか分からない秘密があるんだ)とエズラ・ファーマンが歌う“Coming Clean”(告白するよ)が物語外音楽として流れ始める。カヌーが一台だけ浮かぶ大きな河を背景にSEX EDUCATIONのタイトルが挿入され、エスタブリッシング・ショットを経て、物語はオーティスの部屋へとゆっくりと移行していく。

 “I swear each mornin’, when I wake/ Today’s the day/ I’m coming clean”(毎朝目覚めるたびに誓うんだ。今日という今日こそは告白してみせるって)と続けるファーマンの曲に合わせて、カメラはベッドから天井を見つめるオーティスをバスト・ショットで捉える。何かを決心したような表情を浮かべるオーティスが、保湿ローションを染み込ませて丸めたティッシュとエロ本を並べて配置し、マスターベーション「事後」を演出し終えたタイミングで曲は終わる。

 ファーマンの“Coming Clean”は、なぜアダムとオーティスを音響的に結びつけるのか。エイミーの「精液はどこ?」という問いが的確に示している通り、それは二人が共通して射精へ辿り着けない悩みを抱えているからだ。

 そのような二人をシーズン1第1話冒頭で結びつける編集と、オーティスが助ける最初の人物がアダムである設定は興味深い。その点については後述するとして、まずは第一話でオーティスが廃屋のトイレでアダムをどのようにカウンセリングするのかを見てみよう。

 校長を父親に持ち、ペニスが巨大だと噂されてきたアダムは、他人の視線によってプレッシャーを感じてきたとオーティスとメイヴに吐露する。

 エイミーとのセックス中も彼女からの評価や射精のタイミングで父親が急に部屋に入って来ないか、と不安で頭がいっぱいだったと打ち明ける。

 「普通の子供で─普通のサイズだったらって。普通の父親だったらって」と呟くアダムの表情には暗いライティングが施されており、これまで誰にも告白できなかった寂しさが効果的に演出されている。そんなアダムに対するオーティスの助言は、「自分の環境もペニスも[自分の一部として]誇りに思う」ことによって「自分を受け入れる」というものだ。オーティスの助言を受けたアダムは射精に成功し、性に関する自己肯定感を取り戻す。

 一方、オーティスは第1話の最後でマスターベーションするものの射精には至らない。

 オーティスは射精できない自分を偽るのを止め、事後演出グッズを捨てる決心をする。ボイスオーバーやフラッシュバックを用いた補足は避けられるが、オーティスとアダムが第1話の冒頭でつなぎ合わせられた編集を考慮すると、オーティスはアダムへの助言が彼自身にも当てはまると考えたのかもしれない。だからこそ、自分の状況を受け入れようとするオーティスは、マスターベーションできないことを母親に打ち明けると同時に、「自分で解決したい」と宣言する。

 おそらくレーティングの事情で本作は射精や精液を実際に見せないのだが、第1話で問題化される射精や精液のイメージはシーズン1を通じて繰り返し想起される。次節では、その一例として女性の皮膚に粘着する精液のイメージについて見ていこう。

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