高校生によるセックス・セラピー Netflix『セックス・エデュケーション』のススメ

【この記事のキーワード】

身体を知る、身体を守る─皮膚にくっつく異物としての精液

 オーティスのセックス・クリニックで最も大事なことは対話である。基本的なセラピーの手法かもしれないが、重要なのはオーティスと患者との会話ではなく、患者がそれぞれの身体と向き合うことを促し、また恋人や友人といった大事な人物との対話へと導くことである。

 セックス中の電気ON/OFF問題で揉めるカップルには自分の好きな点を挙げさせることで仲直りへと導き(第2話)、セックス経験の有無で彼氏と仲違いした少女には彼の過去の行いではなく現在の彼と向き合うことを諭し(第3話)、セックスがうまくいかない幼馴染同士のレズビアン・カップルにはもっとコミュニケーションを取るように提案する(第4話)。

 オーティスのカウンセリングは必ずしも毎回うまくいくとは限らないが、成功例の一つとして、第6話におけるエイミーへの助言を見てみよう。

 第1話の冒頭で「精液はどこ?」とアダムに問いただしたエイミーにとって、セックスは男性を楽しませるものであり、彼女自身はオーガズムの経験がない。つまり、彼女はいつも気持ちいいふりをしてきたのだ(”I’m always fake”)。

 アダムと別れたあとに出会ったスティーヴとのセックス中に、彼女は「顔にイキたい?」「おっぱいの上では?」と彼に聞くのだが、彼は彼女の質問を丁寧に断り、逆に「君がして欲しいことは?」と問い返す。

 一度も男性に自分が何をしたいか、して欲しいかと聞かれたことがなかったエイミーは言葉を失い、オーティスに助言を求める。自分の体が何を求め、どこが気持ち良いかを知る手段としてマスターベーションを勧められたエイミーは、夜通しの実践を通じて、自分の体が喜ぶ場所や触り方を探り当てる。

 第6話の終盤に挿入されるスティーヴとのベッドシーンでは、エイミーは的確にどこをどのように触って欲しいかと彼に指示を出し、スティーヴも喜んだように応じる。エイミーの例が示すのは、マスターベーションが女性にとっても自分の身体を知る術であり、恥じるものではないということだ。

 スティーヴがエイミーの顔や胸への射精を拒む態度には、女性が何を望む/望まないかについて同意を得ずに、女性身体を精液で占有せんとする男性への批判を読み取れる。男性が喜ぶだろうから、と第1話と第6話のエイミーのようにセックスの最中に演技する人もいるかもしれない。本作はそのような演技を前提としたセックスには暴力的な側面が存在してしまう可能性を実は第1話の冒頭から指摘している。

 アダムに対して「胸の上でイキたい?」と聞くエイミーは、すぐさま「前に発疹が出たから、やっぱりバックで」と体位を変えてセックスを続けるのだが、ここでなぜ発疹が言及されるのか? それは発疹が異物に対する皮膚の拒絶反応であり、つまりエイミーが実際は精液を顔や胸にかけられることを望んでいなかったからだ。皮膚にくっついた精液を洗い流しても、発疹は残り続ける。発疹部位にイメージとしての精液がくっついたままなのだ。

 皮膚に粘着し続ける精液のイメージは、女性を卑下するための蔑称や性的対象として女性を見貶す男性の視線からも読み取れる。

 たとえば、SNSでのリベンジポルノを扱う第5話で、メイヴはなぜ彼女が「ペニス噛み」(“Cock Biter”)と呼ばれているかについてオーティスに打ち明ける。友人エリック(ンクーティ・ガトワ)との待ち合わせに遅れて苛立つオーティスに対して、メイヴはある少年からのキスを断ったのをきっかけに、あらぬ性的な噂を流され、4年間も「ペニス噛み」と呼ばれてきたと訴える。

 視聴者はメイヴの告白をオーティスの視点ショットを通じて知らされる。メイヴに対するオーティスの心的距離の変化に応じて、ウェスト・ショットからバスト・ショット、そしてクロース・アップへとカメラは次第にメイヴに近づいていくエモーショナルな場面だ。

 ここで注目したいのはメイヴが使うボキャブラリーである。日本語字幕では「容赦ないわ」(“This kind of thing sticks”)と訳されているが、“stick”(くっつく、粘着する、こびりつく)という言葉は粘着性を想起させる。キスを断られた少年が作り上げ、尾びれのついた噂話はセックスの話題ばかりで、彼女の身体は、触れてもいないのに皮膚にくっついたまま離れない精液のイメージに侵されている。

 そんなメイヴにとって、リベンジポルノ被害者へのサポートは、女性を何年も苦しめかねない噂や他者からの蔑視的視線から守ることを意味している。自分の身体は自分のものであり、他者から占有されるのではなく尊重されるべきものだと、メイヴの告白は視聴者に呼びかけているのではないだろうか。

シーズン2はどうなるのか?

 斬新なタイトルと扱うトピックの幅広さから、『セックス・エデュケーション』は確かに若者だけでなく、様々な観客層への手広いアプローチに成功している。しかし一方で、シーズン1は恋愛至上主義で、誰しもが性愛に憧れるという価値観が物語を強く支配していた。 海外ドラマは日本のドラマよりもジェンダーやセクシュアリティの多様な在り方を物語世界に取り入れる巧みな手法を持っているが、多様性の名の下で無意識に排除してしまう存在たちがいることを見逃してはならない。

 また、オーティスの成長譚でもある本作には、「普通」への憧れやそれを達成することと「成長」を等しく扱う価値観が潜んでいる。そのような価値観がシーズン2でどのような発展を遂げるのか、注意深く考察する必要があるだろう。

 Netflixというプラットフォームを通じて、あらゆる人間関係で相手を思いやり尊重する大切さを学ぶ性教育が『セックス・エデュケーション』の物語に織り込まれることを期待している。2020年1月17日からシーズン2が始まる。

1 2

「高校生によるセックス・セラピー Netflix『セックス・エデュケーション』のススメ」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。