免許更新の違反者講習は脅し一辺倒でいいのか

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「GettyImages」より

 12月6日、警察庁は20年の通常国会であおり運転をした者の免許取り消しができることを含めた道交法の改正を目指すことを固めたと発表した。

 自民党の交通安全対策特別委員会での意見交換の中で出てきたものであるが、その時の資料を詳しく見ながら、あおり運転をいかにして防止するかについて考えていきたい。

死亡事故につながったあおり運転

 まずこの改正案が生まれることになった経緯には、2017年の東名高速でのあおり運転による死亡事件が社会問題化したことがある。

 これは2017年6月に東名高速の大井町付近の下り線において、追い越し車線に停車していた乗用車2台に後部からトラックが追突して、男女2名が死亡した事件である。

 娘2人の前で両親が亡くなる痛ましさ、また捜査の過程で明らかになった容疑者による執拗なまでのあおり運転行為は、世間に衝撃を与えたと言える。

 現状の道路交通法ではあおり運転は車間距離保持義務違反として取り締まられることが通常であり、平成30年の取締件数は1万3,025件で、平成29年の7,133件からほぼ倍増ともいえる増え方をしている。ほかに危険運転致死傷害罪(妨害目的)25件、殺人罪1件、傷害罪4件、暴行罪24件が刑法等の罪に適用されている。

 また令和元年の常磐自動車道におけるあおり運転も経緯として挙げられている。

 これは令和元年8月に常磐道の守谷市付近で男性があおり運転を受けた後に殴られた事件である。本件は被害者のドライブレコーダーに一部始終が記録されていたこと、捜査過程で明らかになった容疑者の異常ともいえる行為が大きく報道された。

 相次いだ事件を受けて発表された道交法の改正方針としては、あおり運転厳罰化のための道路交通法改正の検討を進めるとしている。

 また今後の方向性として、あおり運転に対する罰則の創設、免許の取り消し処分の対象となる行政処分の強化を挙げている。以上がいわゆる、あおり運転厳罰化法案の大枠である。

あおり運転ドライバーは「特殊な誰か」ではなく「誰でも」

 あおり運転は何も最近になって急に起きたことではないし、日本特有の問題でもない。

 筆者は車を運転するようになって約30年経つが、あおり運転は30年前から当たり前のように日常にある問題であった。

 ただ、これまではあおり運転が犯罪になり得るものだとは思われていなかったし、被害を受けても「たまたまタチの悪いのに絡まれた」くらいの感覚であった人が多いのではなかったろうか。

 英語ではあおり運転のことをロードレイジと呼ぶ。ロードは道路、レイジは強い怒りという意味だ。厳密に言えば、ロードレイジは日本のあおり運転よりもかなり広義のものであり、車内で他のドライバーや車に対して舌打ちをする、悪態をつく、独り言を言うなどを含めたものを指す。

 アメリカではロードレイジは50年近く前から社会問題となっており、誰もが加害者にも被害者にもなるといわれている。加害者は特殊な誰かではなく、普段から問題行動をしているような人でもなく、誰でもなのである。

 2016年の米国自動車協会(AAA)交通安全基金の調査によると、アメリカ人で車を運転する人の80%が過去1年間に1回以上、車の運転中に著しく怒ったり、攻撃的になったりしていたという。さらには約800万人が運転中に意図的に他車にぶつかったり、車から降りて他車のドライバーに向かっていくなどしたとある。

 アンガーマネジメントの見地から、あおり運転をしてしまう人の心理を分析すると、次のようなものが挙げられる。

・匿名性により気が大きくなる

 匿名性というのは、誰が運転をしているのかわからないということである。

 昔は一般の人でもナンバーから所有者を特定することもできたようだが、今は一般的にはできない。つまり、ネット炎上などの誹謗中傷と同様で、自分の身元がバレないという安心感から気の大きくなった行動に出られるのである。

・自分よりも大きなモノを操ることによる万能感

 車は大きな鉄の箱であり、その中にいることで自分の安全性というものをより強く感じることになる。

 自分よりも大きなモノを操ることによる万能感というのは、自分は自分よりも大きな車を自在に操れているという感覚から、自分が強くなった強い存在であると錯覚するものである。その自在に操れている自分を邪魔するとは何事か、と怒りを感じることは不思議ではない。

・車の価値/運転の価値と自分の価値を同一視している

 車の価値/運転の価値と自分の価値を同一視している人は、割り込まれたり、クラクションを鳴らされたりすることで、自分がバカにされた、なめられたと感じ、怒りを感じるのである。

・急いでいる

 急いでいる人は、単純にイライラしているので、あおり運転をしてしまう危険性が高くなる。

 これからあおり運転は厳罰化の方向に進んでいくことになるが、他に抑止する方法はないのであろうか。筆者は厳罰化以外に以下の4つの方法が現実的にあると考えている。

1. 自動運転化

2. 機械化

3. パノプティコン

4. 教育

車の自動運転にはレベル1〜5まである

 自動運転化というのは、車の自動運転技術のことである。

 当然のことながら、人が運転をしなければロードレイジは起きない。いや、車の中に乗っている人間は他車に対してイラッとしたりするかもしれないが、人にハンドルを握る権限がなければ、あおり行為をすることはない。

 車の自動運転にはレベル1〜5まである。レベル1は運転支援と呼ばれるもので自動ブレーキなどが該当する。これは日本においても実装済。

 レベル2は特定条件下での自動運転機能。これは前の車を追走する、高速道路での自動運転モードなど。これも日本では実装済である。このレベル1、2はドライバーによる監視が大前提だ。

 レベル3以上はシステムによる監視となり、日本では2020年を目処に条件付き自動運転が認められる方向にある。条件付きというのは、例えば高速道路等一定条件下での自動運転モードなどのことである。

 そして、2020年には限定地域での無人自動運転移動サービスが開始される予定。これはレベル4の特定条件下における完全自動運転である。次のレベル5になると、完全自動運転となる。

 日本メーカーは自動運転技術で欧米メーカーに後れをとっている。欧米メーカーでは技術的にはすでにレベル5を達成しているともいわれている。

 自動運転の技術の進歩により、今から20年後には“その昔は車を人が運転していた野蛮な時代があった”といわれるようになっているかもしれない。

あおり運転をさせない車のシステム

 機械化というのは、自動運転技術とは違う。ドライバーに対して、機械的な仕組みにより、あおり運転をさせないようにすることである。

 筆者が代表理事を務める一般社団法人日本アンガーマネジメント協会は、複数の自動車メーカー、自動車部品メーカーとともに、そうしたシステムがつくれないか共同研究なども行っている。

 例えば、車内カメラによるドライバーの表情観察により、ドライバーが怒りを感じていると検知されたら、ドライバーに対してアラームを鳴らす、視覚的に注意を促す、あるいはブレーキが働き減速するといったような仕組みである。

 そうすることでドライバーは自分が怒りの感情下にあることが認識でき、あおり運転にいたる前にストップをかけることができるようになるのである。

 これらは、ドライバーに対する運転アシスト機能といわれるようなものだ。例えば、ある程度の時間運転を続けていると、そろそろ休憩をしましょうとアナウンスをしてくれたる機能が実装されている車もあるが、こうしたものも運転アシスト機能である。

ドライブレコーダーによる監視の有効性

 3つ目のパノプティコンとは、イギリスの哲学者ベンサムが18世紀に考案した全展望監視システムのことである。

 ごく簡単に言ってしまえば、人は監視されている、あるいは監視されているかもしれないと思うだけで、犯罪を抑止できるという発想である。

 現代の私たちの感覚からすると、監視社会というのは非常に居心地の悪さを感じる。そこら中で監視されるような社会に生きたいとは多くの人は思わないであろう。

 一方で、あおり運転の大きな要因が匿名性であるならば、匿名性が担保されなければ、あおり運転は起きにくくなるともいえる。

 では、運転中の匿名性を下げるものは何かといえば、ドライブレコーダーである。監視社会に抵抗を感じる人が多いであろう一方で、ドライブレコーダーの出荷は右肩上がりに増えている。

 一般社団法人電子情報技術産業協会の統計資料によると、2017年度のドライブレコーダーの総出荷数は266万5,309台、2018年度は367万1,669台と約1.4倍になり、2019年度は第2四半期までで239万7,388台となっている。

 2019年度は半年で一昨年の年間の出荷台数に迫る勢いで出荷されているのである。これは人々がドライブレコーダーによる監視があおり運転に対する予防、遭遇してしまった時の対策として有効であると感じているからであろう。

 筆者としても、お互いに監視をしなければ犯罪が抑止されないような社会であってほしくはないとは心情としては思う。ただ、社会の仕組みとしは有効であるというのが残念ながら本当であると考える。

人は教育によって変われる

 最後にアンガーマネジメントの専門家として最も勧めたい選択肢が、あおり運転違反者に対するアンガーマネジメント教育である。

 アメリカでは、車の運転と怒りの感情の間には密接な関係があることが常識として知られている。そのため、あおり運転はもちろんこと、スピード違反者に対しても裁判所からアンガーマネジメントを受講するよう裁判所命令が出ることがしばしばあるのである。

 先日、筆者は免許更新の際、違反者講習(2時間)を受けた。内容は30分のビデオ視聴と1時間半の講話である。この講話の内容が、残念ながら筆者には脅し一辺倒の内容にしか聞こえなかった。

 どのような違反をしたらこういう事故が起きた、このドライバーはこのようなことをしたために人を傷つけた等々。受講しながら、この脅しは一定の効果があるからこういう内容にしているのか、それとも他に方法を知らないからこういう話にしかならないのかずっと考えていた。結局のところ、どちらかはわからない。

 一般的にいえば、免許更新の講習は誰もが喜んで受けたいというようなものではない。それは内容が一方的に脅される、恐怖感を与えられるだけの内容になっており、それをつまらないと多くの人が感じているからではないだろうか。

 何かを学び、そうかこうすれば良いのかと思うのではなく、何をしてはいけないと言われる。これがビジネスシーンであれば、何をすればより良くなると言われるのと、何をするなと言われるのでは、どちらがビジネス的なコミュニケーションとしてより良いかは自明だ。

 厳罰化の前に、あおり運転の加害者に対してアンガーマネジメント教育を施すことで再発を防ぐことができないかを試してほしいのである。人は教育により変われる。どんなことであってもだ。筆者はそう考えている。

 さて、ここまであおり運転の厳罰化以外のあおり運転防止のための策を考えてきた。どれが正解かは実際のところわからない。ただ、ひとつの方法によるのではなく、いくつもの方法、手段を試しながら、社会全体として、どうすればあおり運転をなくすことができるのか考え、実践していきたいものである。

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