
ものすごい愛さんのネイル。秋冬カラーでものすごくカワイイ。
若い女性たちから絶大な支持を誇るエッセイスト・ものすごい愛さん。
SNSで発信するうちに自然と多くの女性から恋愛相談が寄せられるようになり、恋愛メディア「AM」で恋愛相談の連載を始め、その連載に大幅に加筆した書籍『命に過ぎたる愛なし ~女の子のための恋愛相談』も発売になりました。
20~40代の女性たちから寄せられる恋愛相談には「コンプレックスからきているのかもしれない悩み」も多いといいます。そこで、ものすごい愛さんが考えるコンプレックスとは何か? コンプレックスとどう付き合っていけばいいのか。コンプレックスを抱えている人も・抱えていない人も、若い人たちに知っておいてほしいことを書いてもらいました。
コンプレックスは、あなただけのもの
コンプレックスを、抱えている人がいるのかもしれない。
コンプレックスを、抱えていない人もいるのかもしれない。
コンプレックスは、たったひとつかもしれないし、数え切れないくらいあるのかもしれない。
コンプレックスは、自分にとっては抱え切れないほど大きくて重たいものかもしれないけれど、他人には「そんなの大したことないでしょう」と一蹴されてしまうものかもしれないし、なんだったら、羨望の対象や美点になるものかもしれない。
コンプレックスは、物心ついた頃からずっと抱えているものかもしれないし、大人になった瞬間にそうなってしまったものかもしれない。
コンプレックスについて話そうとすると、どうしても、“かもしれない”が多くなる。だって、コンプレックスってそういうものだから。
流動的で、かたちが決まっていなくて、ルールがなくて、不確かな存在。他人が勝手に決めつけて、好きに評価して、侵害してはいけないはずだ。
だから、“コンプレックス=若い女性だけのもの”、“コンプレックス=若い女性なら全員が抱えているもの”、と思い込み、そしてさもそれが当たり前かのように言われているのを目にすると、わたしは怒りと悲しみが綯い交ぜになって「やめてくれぇ!」と叫びたくなる。
何がコンプレックスとされるかなんて、誰にも決められない。容姿、性格、所作、癖、セクシュアリティ、人間関係、家庭環境、能力、趣味嗜好、愛……とてもじゃないけれど挙げ切れないだろう。そしてコンプレックスに、年齢も、性別も、種類も、時期も、関係ないはずだ。ある人にはある、ない人にはない。大きさもかたちも種類も人それぞれ。それでいいと思うし、そうあるべきだとも思う。
自分以外には理解されないままでいい、自分にしか理解できないままでいい、わたしはそう思っている。
わたしのコンプレックスは「爪」
わたしには、コンプレックスがある。
わたしは自分のことを心から愛しているけれど、唯一、手の爪だけは、ずっと好きになれないままだ。小さくて、平べったくて、丸っこくて、なにをしても様にならない、ひとつもかわいくないかたち。
好きな男性とデートをするとき、ずっと爪を見られないようにできるだけ隠すようにしていた。オモチャの指輪をプレゼントされても、お姫さまよろしく手を差し出して相手に嵌めてもらうことが恥ずかしくて、「指輪なんていらない」とまで思っていた。
友達同士で、開いた雑誌を囲み「誰がタイプか、せーの! で指さそうよ」という無邪気な言葉は、恐ろしい宣告のように感じた。「せーの!」の掛け声と同時に、わたしの爪をみんなに見られてしまう、まるで公開処刑のようだと、つらい時間でしかなかった。
わたしの爪なんて、きっと誰も見ていない。見ていたとしても、きっと何も思わない。
「爪がコンプレックスなんだよね」と言っても、「え? そうなの?」ときっと気にも留めないくらい、些細なこと。
とても素の爪ではいられないから、就職活動のときに「ネイルOK」のところを選んだなんて言ったら、「そこまでして?」と笑われてしまうだろう。そんなの、わかっている。わかっているけれど、わたしにとっては、忌まわしくて疎ましいコンプレックスでしかないのだ。
周りからしてみたら、脚が太いこと、すきっ歯のこと、人に語れる趣味がないこと、かわいげがないこと、勉強できないこと、デリカシーがないことのほうが、むしろコンプレックスだと感じた方がいいと思われるかもしれない。
たしかにこれらは欠点かもしれないが、わたしは脚が太いのも気にせずに好きな服を着るし、すきっ歯でも口を開けて歯を見せて大笑いするし、人に語れる趣味がなくても触れたものを肯定的に捉えて楽しめるし、自分のことをかわいいと思っているし、勉強ができないなりに知識を増やす努力はしているし、デリカシーがないのを自覚して気をつけながらも大切な友達はたくさんいる。コンプレックスだなんて、微塵も思っていない。
そんなことよりも、爪なのだ。
コンプレックスを端金で買わせてはいけない
コンプレックスは、人に認められて、肯定されて、褒められて、気にならないくらい小さくなったり、なくなって思い出せなくなる場合があるかもしれない。
でも、他人からの言葉だけでは、そうならないことだってある。夫は知り合ったばかりの頃、わたしの爪を見て、「潜水艦の窓みたいでかわいいねぇ」なんて言ってくれた。夫は嘘をつかない人間だから、きっと本心からの言葉だろう。
長い間抱えているコンプレックスを、「かわいいねぇ」と褒めてくれるのは、もちろんうれしい。でもね、それだけで簡単に消えてなくなったりはしないんだよ。
今は、その爪を長く伸ばし、サロンで綺麗に整えてもらい、ジェルネイルをしている。
季節に合った色、気分に合ったデザイン、生活の中でふとしたときに目に入って「あ、かわいい」というときめきに、変化させた。
要するに、“お金で解決した”ということになるのだろうが、正直のところ、解決はしていないと思っている。ネイルを落として、爪を切れば、憎たらしいわたしの爪はいつだってコンプレックスに元どおりだ。
いつまでも解決することはないかもしれないけれど、わたしはこうだから、こういう風に生まれて、死ぬまでこうなんだから、いつまでも悩まされながら、上手く付き合っていくしかない。
だって、コンプレックスは自分で理解するしかないのだから。自分の中で深く理解すれば、これからずっと続く人生の中での付き合い方を考えていける。
コンプレックスをどうするかは、自分で決めていい。人に見せたって、見せなくったっていい。頑張って克服したって、無理に克服しなくったっていい。好きなタイミングでさっさと手放したって、そのままずっと抱え続けたっていい。自分で、決めていい。
使い方によっては匿名性が守られることもあって、SNSは自分の内面をみせたり、過去のトラウマ、それこそコンプレックスについて言える場になりつつあると思う。そこで、コンプレックスについて吐露することで楽になれたり、向き合い方を知る手段になったり、共感を得たり得てもらえたりすることで悲しみが減ったりするなら、それでいい。
でも、コンプレックスを抱える人たちに、どうしても伝えたいことがある。
コンプレックスは、個人情報のひとつだ。厳密に言えば、名前や住所、電話番号、メールアドレスなどとは違うけれど、他人に無闇矢鱈と晒してはいけないという点では同じではないだろうか。
どうか、自分を守るために、自分の人生を楽しむために、自分のコンプレックスを安売りしないでほしい。顔を出して、名前を出して、コンプレックスを曝け出す必要はない。
都合のいい言葉に乗せられて、コンプレックスをアドバンテージになんてする必要もない。ましてや、コンプレックスを端金で買わせてはいけない。
きっと簡単なものじゃないコンプレックスなのだから、自分自身が理解しきれていないことを、他人が理解できるわけがない。
簡単に晒してしまえば、それにつけ込んでくる人もいる。“弱み”ともされるコンプレックスは、心無い人が寄ってきたり、嘲笑の的になったり、本意ではないかたちで瞬く間に広がっていったり、自分の意図とは違う捉え方をされたり、リスクとなることがある。
勘違いされて決めつけられ、勝手なイメージを植え付けられたら、元のコンプレックスはより一層大きく、重くなってしまうのではないだろうか。
恋愛相談に見え隠れするコンプレックス
わたしは、恋愛メディアAMで『命に過ぎたる愛なし』という恋愛相談の連載をしている。そしてそれをまとめ、大幅に加筆し、さらに書き下ろしを加えたものが、同名の書籍として発売された。
読者の方から寄せられた相談を読むと、「もしかしたらコンプレックスを抱えているのかもしれないな」と思うことがある。
それは、わたしが決めていいことではないから断定はしないけれど、でも、“かもしれない”ということだけは、心に留める。
「好きな人に自分の気持ちを伝えられない」
「彼氏がいたことのない自分はおかしいのだろうか」
「いつも都合のいい女になってしまう」
「幸せなはずなのに不安が付きまとう」
わたしには、彼女たちを救いたいだなんて、おこがましいことは言えない。もしかしたら抱えているのかもしれないコンプレックスを、心から理解してあげることはできない。
でも、彼女たちに「一歩踏み出していく道は結構悪いもんじゃないよ」「あなたたちは絶対に大丈夫だよ」と声をかけ、背中を押してあげる手助けはできるのかもしれない。
だから、わたしは、数百字に込められた彼女たちの思いをできる限り想像し、持てる言葉と愛の限りを尽くして答えている。
長く長く、下手したら死ぬまで付き合っていかなくてはいけないコンプレックス。それを消費されることは、自分自身、そしてその人生を消費されることにつながってしまうから。
たしかにコンプレックスは愛せない存在かもしれないし、疎ましい存在かもしれない。自分で笑い飛ばせたら、誰かに一緒に笑ってもらえたら、楽チンなのかもしれない。
何かに活かせたら気持ちが軽くなるのかもしれない、裏返して武器にできたら誰かを救えるのかもしれない、強い自分になれるのかもしれない。
でも、だからといって、蔑ろにしていいものではないはずだ。どうか、自分なりのコンプレックスとの向き合い方が明確になるまでは、理解することに専念してほしい。どうか、「わたしなんて」なんて言葉をつかわないでないでほしい。どうか、お願いだから、自分を大切にしてほしい。
コンプレックスがあったっていい、なくったっていい。もしあるとしたら、それはどんなものだっていい。そんなの関係なしに、自分のコンプレックスを理解する足掛かりを、自分で自分を愛せる方法を、人生がハッピーになるヒントを、どうか見つけてほしい。

ものすごい愛
エッセイスト。1990年生まれ、北海道在住。Twitterを開始後、みるみるまにフォロワーが増え、現在では10万人超え。募集もしていないのにDM等で恋愛相談が寄せられるようになり、恋愛メディアAM(アム)にて「命に過ぎたる愛なし」の連載を開始。現在、マイナビ「大学1年生の転び方」、大和書房WEB「今日もふたり、スキップで」を連載中。その他WEBメディアにもエッセイを寄稿。
AM「命に過ぎたる愛なし」
マイナビ「大学1年生の転び方」
大和書房「今日もふたり、スキップで」
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『命に過ぎたる愛なし ~女の子のための恋愛相談』
ものすごい愛さんの待望の新刊が発売されました。
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