
『第70回NHK紅白歌合戦』公式ホームページより
2019年もいよいよ大晦日。毎年恒例、それでいて令和初の『NHK紅白歌合戦』が放送される。
第70回の節目となる今年も、出場者には今をときめくフレッシュな顔ぶれから、紅白には欠かせない大御所までが勢ぞろい。さらには、特別企画として故・美空ひばりさんの“復活”が予告されており、大きな目玉となることは確実だ。
美空ひばりさんが歌うのは、『あれから』と名づけられた秋元康氏プロデュースによる新曲。AI(人工知能技術)で美空ひばりさんの歌声を再現したもので、その取り組みは9月放送の『NHKスペシャル AIでよみがえる美空ひばり』でも紹介されていた。
歌声のクオリティについてはご自身の耳で判断してみてほしいところだが、SNSの反応を見るに、故人を蘇らせるという技術の進歩に、一種の恐怖を感じてしまった人もいるようだ。さらに踏み込めば、故人をAIで復活させることへの倫理的な問題にも発展するだろう。
故人とAIを巡るこの時代のあり方について、ロボットITジャーナリストの神崎洋治氏に話を聞いた。

神崎 洋治(こうざき・ようじ)
AI×ロボットのICTジャーナリスト、有限会社トライセック代表取締役。 著書に『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス』(日経BP社)、『図解入門 最新人工知能がよ~くわかる本』(秀和システム)、『シンギュラリティ』(創元社)など多数。「ロボスタ」などのWebメディアでも取材・執筆を手がける。
トライセック
Twitter<@internetman >
美空ひばりAI復活の試みが守るべきライン
「美空ひばりさんのAIに対する私の第一印象としましては、非常に面白い試みだと受け止めました。亡くなった方を偲ぶ気持ちをICT(情報通信技術)によって具現化し、エンターテインメントとして人々の感動を揺さぶるというのは、とても素晴らしいことではないでしょうか。もちろん、今回はNHKの大型番組の企画であり、故人を侮辱するような企図によるものではないというのもポイントです。
ただし、視聴者から『怖い』という意見が出ていることも理解できます。技術的な話をしますと、東芝が提供している『コエステーション』というスマホのアプリがあります。これは、指示に従って指定の文章を読み上げると、自分の声の合成音声が作られてデータ化され、入力したテキストを自由に読み上げさせることを可能にしたものです。
従来の技術でしたら、このような自由な合成音声を作るためには24時間近くかけて録音データを取る必要があったのですが、コエステーションでは所用時間がたったの30分ほどに短縮されました。これはAIの凄まじい進化であるとともに、一歩間違えば、本人が言ってもいないことを簡単に捏造できてしまうような時代になっていることを意味するでしょう。
AIの悪用という部分では、アイドルや女優の顔を既存のアダルトビデオに合成した“ディープフェイク”がネット上に出回り、問題になっています。パッと見ではまばたきの所作くらいしか不自然なところがないという、恐ろしいクオリティです」(神崎氏)
こうした現状を踏まえて、神崎氏は「私が今回の件で評価しているのは、AIの活用を“美空ひばりさんに新曲を歌ってもらう”という範囲にとどめている点です」と語る。
「美空ひばりさんのように、亡くなってしまったアーティストをAIで復活させるチャレンジは、過去にもありました。
2016年、ソニーコンピュータサイエンス研究所のパリ支部が、YouTubeでザ・ビートルズの“新曲”を公開しています。これはAIにビートルズの曲を学習させ、人々が“ビートルズらしさ”を感じる音楽を想像で作り上げたものです。
同年には、17世紀の画家であるレンブラントの新作を描くというプロジェクトも海外で行われました。油絵の凹凸をAIで分析し、架空の新作を3Dプリンターで出力したというわけですね。
今回の美空ひばりさんの場合、その姿をホログラムでステージ上に映し出すという試みもありますが、ここで美空ひばりさんに、歌ではない、例えばコントをさせるとなったら当然否定的な声が続出するでしょう。あくまでも“生前の活動の延長線上”というラインを守るのが、故人をAIで蘇らせる上での、ひとつのルールになるのではないでしょうか」(神崎氏)
AIの“権利”について法や議論が追いついていない
もっとも、神崎氏が口にしたようなルールがAIの世界で明確に定義されているわけではない。
二松学舎大学では、2016年から文豪・夏目漱石のアンドロイド(通称・漱石アンドロイド)を制作するプロジェクトを進行しており、シンポジウムでは“アンドロイド基本原則”について熱い議論が交わされたという。
「このプロジェクトでは、夏目漱石と正岡子規が実際にやり取りした手紙を題材とし、漱石アンドロイドに劇を演じさせました。漱石アンドロイドの開発には、夏目漱石の実孫である夏目房之介氏が携わっており、漱石アンドロイドをパロディに使うことについては肯定的だったのです。
とはいえ、いったい誰が夏目漱石のような偉人をアンドロイドとして復活させる権利を持つのでしょうか。アンドロイドをどう扱うのか? それを決める権利は誰にあるのか? もしアンドロイドが他人に危害を加えてしまったら、誰が責任を取るのか? ……などなど、法律的な話をしようとすれば、やはり一筋縄ではいきませんでした。従来の著作権や肖像権に当てはめようとしても、AIやアンドロイドが絡んでいる以上、ぴったりとハマるものがないのです。
先ほどディープフェイクの例を挙げましたが、技術の発達は、故人、存命中の人を問わず、自分が口にしていないことをニュース映像として流されてしまうような事件が起こり得るレベルに達しています。公共放送のNHKのように、自分たちなりの倫理観を持っている団体であれば、タガを外すことなくAIを扱っていけるのでしょうが、いずれ一線を超えてしまう例が出てきてもおかしくありません。
最終的に法律を定めるのは国会になるわけですが、このようなテーマが審議される日は、まだまだ遠い先のことでしょう。社会的に大きな問題が発生したときになってようやく話し合われるのかも知れません。それまでは、さまざまな故人が勝手にAIで蘇らされ、何かをさせられ……という状況が続く可能性もあると言えます」(神崎氏)
AIにおける倫理観の問題は、技術の進歩に合わせて進化できず、後手に回ってしまっているのだろうか。
「NHK紅白歌合戦に美空ひばりさんのAIが出場しても、それがきっかけでAIの是非に一石が投じられるかといえば、そうはならないと思います。
番組そのものがエンターテインメントだという大前提がありますので、視聴者は『似てる』『似てない』とか、『すごい』『気味が悪い』とか、その程度の個人的な感想に終始するでしょう。
ただ、この件と直接的に関係がなくとも、法律や倫理観については早急に、有識者が集まって検討していく必要があるでしょう。
美空ひばりさんや夏目漱石といった有名人や偉人ではなく、一般の人をAIで復活させる技術に関しては、今のところ具体的なニュースを聞いたことはありません。ただし、亡くなった父親の口癖や生活パターンを人型ロボットの『Pepper』にインプットして、その動きから故人を感じられるか……という実験をしたという例はあります。
大切な人を失ってしまったとき、どうにかして故人を蘇らせたいと願うのは、自然な流れなのではないでしょうか。そういうトライは、今後ますます増えていくような気がしています」(神崎氏)
故人を蘇らせるという、かつては不可能だった領域に手が届きかけている21世紀。テクノロジーが人々のモラルを追い越してしまう日はきっと来る。その前に、冷静な議論と決定が必要なことは間違いない。
(文=森井隆二郎/A4studio)