政治・社会

「貧困女性」の主体性と尊厳を、貧困ポルノに回収させない/鈴木大介インタビュー

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鈴木大介氏

 10代の家出少女を取材し続けてきたルポライターの鈴木大介氏。『家のない少女たち』、『援デリの少女たち』(ともに宝島社)、『最貧困女子』(幻冬舎)といった著作で、貧困女性が抱える問題を訴えてきた。

 そんな彼が、初めての小説『里奈の物語』(文藝春秋)を出版した。『里奈の物語』は、複雑な家庭に生まれ育った里奈という少女が、家出をし、違法性風俗や組織売春の世界に入りながらも力強く生き抜くさまを描いている。

 これまでノンフィクション作品として本にしてきた題材を小説にしたと捉えることもできる作品だが、なぜ、ノンフィクション作品として書いてきたことを「物語」として書かなくてはならなかったのか。鈴木氏に話を聞いた。

鈴木大介
1973年、千葉県生まれ。文筆家、ルポライター。裏社会、触法少年少女の取材を重ねてきた。主な著書に『最貧困女子』、『振り込め犯罪結社 200億円詐欺市場に生きる人々』(宝島社)、『老人喰い 高齢者を狙う詐欺の正体』(筑摩書房)、『脳が壊れた』(新潮社)など。漫画『ギャングース』(講談社)の原作も手がけている(肥谷圭介氏との共同制作)。

貧困層の女性は「見世物化」されてきた

──これまでルポルタージュというかたちでこの問題に取り組んできた鈴木さんが、敢えて今回は「小説」というかたちで作品にしようと思ったのはなぜでしょうか。

鈴木大介(以下、鈴木) ここ数年、貧困層の女性をテーマにした記事が週刊誌やネットニュースで多く出ました。
 僕の書いているものもそのひとつと認識されているのかもしれませんが、そういった記事の氾濫に対して非常に思うところがあったんです。
 いわゆる「貧困女子」ネタは、「日本社会における貧困問題を考える」という真摯な受け止め方はされず、むしろ、「ポルノ」として消費される部分があって。

──「ポルノ」としての消費ですか?

鈴木 一部の男性読者には「貧困女子=お金次第でいくらでも性を搾取できる人」という像に当てはめながら、彼女たちの人生に関する話をポルノ的に読んで消費する層がいたわけです。このテーマを扱うメディアや書き手も、そういった「見世物化」に加担していた側面があります。
 そういった状況に心底嫌気が差していました。
 「見世物化」する書き方・読まれ方を避けるためには、「貧困の中にあっても失われない像」をきちんと書く必要があると思ったんです。

──それはどんな「像」なのでしょうか。

鈴木 第一に、いくらお金を積んで身体を買ったって、彼女たちの「自由」「尊厳」「心」までを買うことはできない、ということ。
 これまで、虐待や貧困、飢えを伴うような育児放棄や教育を超えた過度の支配など、耐え難い生育環境を飛び出して売春やセックスワークのなかで生き延びている子たちに取材を重ねてきましたが、一度居所を捨てた後の彼女たちは「自力で生き抜く」という明確な意思をもって戦略的に立ち回っている。
 そこには単に搾取され利用されているだけではない、「主体性」があります。
 しかし一方で、あくまでも彼女たちは被害者です。崩壊した家庭や、適切な福祉を提供できない地域支援や制度の被害者。そこが大前提なのは変わりません。
 ノンフィクション作品では、その両方の像を描くことはできませんでした。主体性の部分を描いてしまうと、「所詮自分で選んだ道」「稼いだ金はどうせホストに消えている」といった「自己責任論」的な捉え方をされて、さらなる偏見や差別を生み、被害の像が見えにくくなってしまうからです。
 でも、主体性と被害像の双方を描かなければ、なぜ彼女たちが時に傷つくことがあってもその道を歩み続けるのかは、正しく伝えられません。どうすれば伝わるのだろうと悩んだ結果、「小説」というかたちを取りました。

──『里奈の物語』の主人公である里奈にはモデルがいるんですよね。

鈴木 います。複雑な家庭環境、自らの意思で児童養護施設に入った経験があること、その後、援デリ組織(※)のなかで生き抜いたことなど、物語上の里奈の人生は、ほぼモデル人物の人生そのままです。
 そんな彼女との出会いは強烈でした。
 彼女は僕の本を読んでくれていたんですが、池袋の喫茶店で初めて会ったとき、いきなり大声で「鈴木さんはリアルが書けていない!」と怒られたんです。

──どこがリアルでなかったのでしょうか。

鈴木 彼女は「売春で生き抜く少女たちの被害的な側面」を強調する僕の本に強烈な違和感を示し、自分自身の人生に関して「かわいそう」と言われることを拒否しました。
 かわいそう扱いされることで、彼女は彼女自身や仲間たちが「自分の力で生きている」「自分で人生をコントロールしてきた」という尊厳を傷つけられたように思ったのでしょう。

援デリ:出会い系サイトやSNSを通じて買春相手を探す男性に女性を仲介する管理売春の一業態。

鈴木大介『里奈の物語』(文藝春秋)

「決定権」は誰にある? そこに「主体性」はあるのか

──しかし、福祉からこぼれた被害者という側面もやはりあるわけですよね。

鈴木 貧困女性やセックスワークの問題を取材していくなかで、どう考えればいいのか、迷うことの連続でした。
 自由民権運動や廃娼運動から立ち上がってきた日本の女性解放運動の歴史のなかで、「男性社会に対するサービス業であるセックスワークやナイトワークを選ぶ」ことの“搾取”の側面に忸怩たる思いを抱く人々がいるのは理解しています。
 そうしたウーマンリブ運動の流れのなかでは、性産業=性暴力であるとして、性産業自体の犯罪化に関する議論が昔からあることも理解しています。
 けれど、いまもなお続く男性優位社会や制度的不備の中で、家族資源などの環境に恵まれない女性たちは、どう自力で生き抜くことが出来るのか。何もかも奪われ与えられない中で、唯一残ったのが「女性であること」だったなら、彼女たちの生きざまを犯罪化なんて、とても言えない。
 そんな思いのなかで、自分自身の立ち位置について悩み続けてきました。

──里奈のモデルとなる少女との出会いで、それが鮮明になったわけでね。

鈴木 身体を売る決意を固めた女性たちがその生き残り方を選ぶ背景には「戦略」があるはず。
 もちろん、自らの意思ではなく強制的にやらされている例もあります。そこは留意しなければなりませんが、里奈のモデルとなった少女のように、そうではない場合もある。
 ナイトワークやセックスワークが歴史からなくなったことはありませんが、里奈や彼女を育てた北関東の夜職女たちのエピソードを聞き取る中で、圧倒的に男性優位な日本社会のなかで女性が自分自身を唯一の武器として生き残りの道を模索してきた足跡を知りました。そういう意味では、彼女たちも「女性性」との戦いをしている。
 大事なのは、「決定権」が誰にあるか。彼女たちに「主体性」があるかどうか。

──主体性を持ち自ら決定してその戦略を取っている少女もいて、彼女たちの「自由」「尊厳」「心」は尊重されるべきだ、ということですね。

鈴木 合法、違法問わず、セックスワークに従事している女性たちは、男に屈してなんかいないし、おもねってもいません。里奈のモデルとなった少女との交流を通じてようやくそのことが理解でき、自分の心のなかでようやく決着がついたんです。
 もちろん、搾取の構造はあります。それは許せないし、そんな社会構造は変えていかなくてはならない。
 でも、そのなかでも、自分の心や人生を、自分自身の力でコントロールしている女性は存在する。そのなかには、里奈のモデルとなった少女のように、「かわいそうな被害者」として扱われることを拒否する誇りをもった女性もいる。そのことを、多くの人に伝え、対立とか処罰化、差別と排斥の対象ではなく、共に女性として戦っている同志なのだと感じてほしかったんです。

──小説のなかで里奈は家出し、援デリに生き残りの道を見出しますが、そこでは戦略的に「客を選ぶ」という作業を行います。

鈴木 彼女は誰にでも身体を売るわけではないんですよ。選択の自由や主体性が女性の側にあるかないかで全然違う。
 自分自身で選択の範囲を決められるのであれば、そこには主体性があるということになると思うんですよね。

──しかし本当は「選択の範囲」がもっと広ければいいのでは。

鈴木 もちろん、本来的にはセックスワーク以外の選択肢がたくさんあり、その中で選ぶことができるほうがいいのです。
 しかし、現状はそうなっていない。であるならば、選択肢を増やしていく過程において、いま現状セックスワークで生きざるを得ない人とか、主体的にセックスワークを選んでいる人が守られる仕組みづくりを目指すべき。
 風俗産業に関しては、性産業自体を犯罪化する方向への議論でもなく、行政の管理を強めるという議論でもなく、ワーカーが自ら選択する幅を広げていくこと、「主体性の向上」という方向で健全化していくという方向に議論がなされてほしいです。
 
──この小説が訴えかけているメッセージはそういうものだと思いました。

鈴木 皆さんがそう読んでくださったらいいんですけど……。正直、この本が出すメッセージが読者の方々にどんなふうに届くのかは不安です。
 男である自分がセックスワークを正当化すること自体に違和感を感じる方もいるでしょうし、「風俗産業はそんな綺麗事が通じるほど甘い世界じゃない」と言う人もいるかもしれない。
 ただ、『里奈の物語』の作者として望むことは、この本を叩き台に様々な立場の人が歩み寄って議論をしてくれることです。

鈴木大介氏

安全なセックスワーク・ナイトワークのやり方を福祉は教えてくれない

──『里奈の物語』には、地元の児童委員、児童相談所の職員、児童養護施設の先生など、支援する側が彼女たちをサポートしきれていない問題点も描かれています。

鈴木 小説のなかで「悪者」はつくりたくなかったんですけど、唯一、ほんの少し悪役になってもらったのが、児童委員さんや児童相談所の職員さんでした。
 誰もが善意をもとに、真摯に子どものことを考えて頑張ってはいます。それは間違いない。ただ、足りていないものがあることは事実です。
 まず、養護施設に関しては圧倒的に予算とマンパワーが足りていない。そして、児童相談所と一時保護施設に関しては、職員さんの専門性が足りていない。こういった問題はあると思います。

──どんな専門性が足りていませんか?

鈴木 散々語り尽くされていることですが、例えば「家族第一主義」。保護した子どもをまず親元に返す大方針は、思春期以降の子どもたちが最も望まない支援です。
 彼女たちは、たとえセックスワークやナイトワークに回収されてしまっていたとしても、自分の力で居づらい環境を捨てて「自由」を手に入れたことを誇りとしている。
 そういった心情を理解せず、画一的な保護補導によって劣悪な環境の家庭に戻された経験は、ひいては彼女たちが将来的に生活困窮した際にも「使える制度を使いたがらない」ことにまでつながっていきます。

──児童養護施設の先生による支援が、里奈たちの生きる現実に対応できていない状況も描かれています。

鈴木 そう、「できるだけ学力を上げて、進学させ、人生のその後の選択肢を増やしてあげよう」というキャリア支援の方針も、彼女たちが生きる現実には合っていないと思います。
 それができればいいですけど、劣悪な環境から飛び出して生き抜こうとする彼女たちに必要な知識は他にもあります。
 たとえば、「こういうキャバクラには勤めてはいけない」「こういう風俗店に入ってはいけない」「トラブルが起きたときは仲のいい不良ではなく警察に相談する」とか。
 15歳とか16歳の若さで社会に出た後、自立した生活を送るためには、どんな手段・収入源があるのか、どんなツールを使うと良いのか、適切な支援をしてくれるのは誰なのか、本当はそういうことを教えてあげなくてはならないと思うんですよ。
 そのためにはセックスワーク・ナイトワークの実情まで把握した専門知識が必要となる。でも、そういったハイティーン向けのソーシャルワークができる職員さんはほぼ存在しません。

──課題は多いです。

鈴木 家出少女たちが苦しむ「搾取」や「不自由」は、家出少年の受けるそれとは、明らかに被害の強度が異なります。
 それは、家庭や職場で多くの女性が感じているであろう「搾取」や「不自由」ともつながってくるものです。
 日本社会のこの在り方には、もっとみんな怒ってほしい。
 だから、この本を叩き台にして、様々なところで議論が起きてくれたらと思っています。

(取材、構成:編集部)

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