尼崎事件・角田美代子が拡大し続けた“家族”への暴力、恫喝、洗脳

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「Getty Images」より

 2005年(平成17年)から、主に刑事裁判を見つめ続け、傍聴ライターとして稼働してきた。令和二年の幕開け、すでに忘れられかけている平成の事件を振り返りたい。

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尼崎事件・角田美代子が拡大し続けた家族への暴力、恫喝、洗脳の画像2 ウェジー 2019.04.30

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尼崎事件・角田美代子が拡大し続けた家族への暴力、恫喝、洗脳の画像2 ウェジー 2019.04.28

【尼崎連続殺人死体遺棄事件】2013〜2014年傍聴

 2011年に発覚した兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件。関係者らの逮捕、供述により、主犯の角田美代子(64=当時)を中心として25年以上にわたり兵庫県をはじめとした複数の県で、複数の家族が長期間虐待を受け、殺害されていたことが明らかになっている。

 角田美代子は2012年12月、留置所で長袖Tシャツを首に巻き自殺を遂げてしまう。事件の全貌を知る主犯が不在となってしまったことで、美代子によって犯罪に巻き込まれた者たちの供述に基づき事件が組み立てられ、公判が行われる格好になった。

 長きに渡る複数の家族の取り込み、監禁、食事や排泄制限による死亡、保険金目的での殺人などが明るみになったのは、かつて北九州連続監禁殺害事件が白日の下に晒されたのと同じように、監禁されている人物が主犯の目を盗んで脱走し、警察に駆け込んだことがきっかけだった。

 本事件は複数の家族が犠牲になり、美代子に取り込まれ美代子と同居していた者たち、いわゆる“美代子ファミリー”には実際の家族(血縁者)ではないメンバーが含まれる。いわば、美代子の作り上げた疑似家族であった。

 25年以上もの長きに渡る事件であること、関係者や取り込まれた家族が複数あることなので尼崎事件は複雑な様相を呈しているが、今回はその片鱗と、美代子の人となりが語られた場面を取り上げたい。

 立件されたのは6名に対する事件で、起訴されたのは10名。すでに全員の裁判が終結している。

平手で殴られて愛情を感じていた

 最初に公判が行われたのは、警察に駆け込んだ人物Aと、その妹B、その元夫Cによる、AB母の『大江和子さん(66=当時)虐待死亡事件』裁判員裁判だ。

 2011年7月から9月にかけ、彼らは角田と共謀の上、和子さんの頭を殴るなどの虐待で衰弱死させ、遺体をドラム缶にコンクリート詰めにして尼崎市内の貸倉庫内に遺棄したという傷害致死などに問われていた。

 公判では主にAから、美代子がいかにして赤の他人を取り込むか、その手口が詳細に語られた。

 和子さんへの暴力行為が行われている最中は、3人も外出を禁じられ、食事と水、トイレすら制限される生活だったという。和子さんが死亡したのち、今度は暴力の矛先がAに集中。するとAは監禁されていたワンルームのあった2階から飛び降り、警察に駆け込んだ。ここから、一連の事件が明るみに出るのである。

 和子さんの事件における被告人という立場でありながらも、美代子による暴力の被害者でもある3人。法廷で見た姿は生気を失っており、40代には見えないくたびれた表情を見せていた。Bはこれまで受けた暴力のせいか、耳の形が柔道選手のようにダンゴになっていた。

 3人が美代子と知り合ったきっかけは、当時Cが勤めていた鉄道会社に美代子がクレームを入れたことだった。ここからBとCの元夫婦は美代子と親しくなっていったが、徐々に美代子は家庭の問題に介入し始める。いつのまにか家族会議を主催し仕切るようになったのだ。最後はAとその元婚約者も巻き込み、コントロール下に置き始めていった。

 あらためて登場人物を整理しておこう。

A:亡くなった大江和子さんの娘で、Bの姉

B:亡くなった大江和子さんの娘で、Aの妹。Cの元妻

C:Bの元夫。元鉄道会社社員

 さて、Aは法廷でこう語る。

「仕事から帰ったらBから電話があって『話し合いするから、あなたも婚約者を連れて来てほしい』と言われました。駆けつけたらCが角田を連れて来た。怖そうとは思ったけど、とりあえず自分から挨拶しました」

「角田がなんか、話を仕切り始めました。そしてしばらくして私の婚約者に対して、いきなり怒り始めて、挨拶しなかったとか、『何やのあんた、帽子も取らんと!』と怒鳴り散らしました。どのくらいの時間かは覚えてないですが、すぐには終わらなかったです。終わったのは夜中、明け方……3時くらいと思います。角田が『夜、気ぃつけて歩きや。警察は24時間守ってくれへんで』と脅してきました。でも『24時間警察守ってくれへん』っていうのに妙に納得してしまいました。実際、警察行ったとこで、確かに相談には乗ってくれるけど、守ってくれるわけではないし」

 角田美代子は超時間に及ぶ家族会議で恫喝を交えながら持論を展開することで、参加者らの体力や精神力を奪い、徐々に支配下に置く戦法をとっていたようだ。

 Aは会社にも行けない日々となったが、「他人の家族の問題に美代子が親身になってくれている」と思うようになり、最終的に美代子を信頼するようになる。

「仕事の事は責任あるし、すごく気になってたんですが、角田は『ウチは迷惑してるんや』と言ってて、私たち身内の問題なのに……と思うようになりました。それだけ時間を割いてるってこともそうやし、その間仕事できず何千万損したとか。角田に迷惑かけるのは確かやし、話し合いに参加しない事は考えられないと思っていました」

「角田は一度、Bを平手で数発殴った……そのときの暴力は、確かに暴力なんですけど、体罰的なものではなく、さも私のことを考えてくれて、Bも諭すような、情のあるような話をしながら、愛のムチ的な……実際に母から私、殴られた事なかったので、私も愛のムチのような感じで、情のある人なんやと思ったし、Bも『殴ってもらって嬉しかった』と言ってました」

 こうしてAは美代子を母親がわりに思うようになった。「Aさんしかおれへんのや」と言われ、最終的にBの娘(Aにとっては姪)の面倒も引き受けていたという。のちに彼らには執行猶予つきの判決が下された。

幼い息子に繰り返した性的虐待

 美代子は自身の血縁者ですら、暴力的な手法で支配下に置いた。次男の角田優太郎は5名の被害者に対する事件で起訴されていたが、彼が被告人質問の時に語った“美代子の支配方法”は壮絶だった。

 もともと優太郎の戸籍上の母親は美代子である。しかし突然「ほんとのお母さんは三枝子さんや」と美代子に告げられたのだという。三枝子さんというのは美代子の義理の妹で、一連の事件で同じく罪に問われていた。

「小学校の……6歳、7歳ぐらいじゃないかなと。そこで『どっちを母親にするか』と。僕の誕生日のときに話しました。ほんとに突然やった。まずびっくりして『うそや』って言って、泣きました。ショックやったんで。『どっちもお母さんじゃだめか』と聞いたら『どっちかしかダメや』と言われて『美代子でいいです』と言いました」

 なぜ突然美代子がこんなことを言い出したのか、優太郎は「僕が三枝子になつきはじめた」からではないかと分析していた。ただそれは今振り返れば、であり、当時は母親だと思っていた女性が実は母親ではないと突然知らされ衝撃を受けていたようだ。そしてここから、美代子の態度は豹変したと優太郎は語る。

「殴ったりとかも増えたり、理由分からず怒ることがあった。モノが当たって、落としたりしたら『ダラダラしてるからや』と殴られて髪をつかんで、引きずり回される……」

 身体に対する暴力だけではなく、性的な虐待も行われたという。

「まぁ……キスは普通で、舌、入れてくるってのもあったり、胸、舐めさせられるってのもありました。僕の胸や性器をさわられるのもあったし、性器を舐めさせられかけたこともあった。平成21年……22年くらいまで……。胸やキスは、三枝子や瑠衣(美代子ファミリーの一員で、のちの優太郎の妻)の前でもありました。よく思い出します……一番は、性器舐めさせられかけた時の臭いとか……」

 これを見ていたという瑠衣は、美代子とは血の繋がらない他人だったが、まだ高校生の頃に家族で住んでいた高松市の家に美代子が押し掛けてきて、家族とともに“美代子ファミリー”に取り込まれた。

 瑠衣は次第に美代子に心酔、同人から「後継者にする」と言われるほど寵愛を受けるようになった。美代子ファミリーのカースト上位のメンバーだ。

 優太郎とのあいだに二人の子供をもうけた瑠衣も、公判で生前の美代子について様々な証言を行なったが、美代子と近い関係にあったためだろうか、方言を交え美代子の口調を再現する彼女には、美代子が降臨したかのような迫力があった。

「姉ちゃんのためならいける、みんなのために死ねる」

 瑠衣は法廷で、死亡保険金を得るために死ねと強要され最終的に自殺を遂げた橋下久芳さん(51=当時)の決心がつかないときに、美代子が告げたという言葉を淡々と再現していった。

 久芳さんは2005年7月、美代子ファミリーと沖縄旅行へ行き、絶景で有名な「万座毛」から転落して死亡している。検察側によれば、久芳さんは交通事故を装って死ぬように強要されたが実行できず、美代子ファミリーによる暴力を受け、さらに自殺を迫られたという。

 以下は、瑠衣が法廷で再現した美代子のセリフだ。

「うち、恥しのんで言うたよな、お前には。家苦しいんやって。そしたらお前『姉ちゃんのためならいける、みんなのために死ねる』って言うたんちゃうんか」

「自殺じゃあかんねん」(事故に見せかけろという意図)

「結局お前、どないやねん」

「玄関で、これで久芳見れるの最後かと思って『いってらっしゃい』言うてんのに、帰ってきやがって」

 当初は「自転車で車に突っ込んで死ぬ」という計画だったが、当然ながら決心がつかず、久芳さんは実行できなかった。帰ってくるたびに、上記のように美代子に凄まれていたそうだ。いつしか暴力や飲食制限を受け、追い込まれていったという。

 万座毛への飛び降り直前には「分かってんな、チャンスは1回しかないからな、怪しまれんようにな」美代子はこう念押しし「形見が欲しい」と久芳さんがつけていた磁気ネックレスを受け取ったという。

 覚悟を決めた久芳さんについて瑠衣は、「私自身、お金のためという感覚が飛んでいて、やっと覚悟を決めれた、死ぬという恐怖に打ち勝って話が綺麗に進んだというか、おかしいんですけど2人を見て感動しているというか、そんな記憶があります」と述べた。

 久芳さんは万座毛の崖の上で家族写真を撮影した直後、崖から飛び降り、亡くなった。その後、美代子ファミリーは約5000万円の死亡保険金を受け取っている。

 一端を覗き見るだけでも、あまりに凄惨な尼崎事件。証言者たちが残した言葉から察するに、彼らが美代子の暴力や言葉による支配から解放されるのは、おそらく相当な時間がかかる。

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