かつて、痴漢は“娯楽”だった――「痴漢を語ればみえてくる」、現在の痴漢と地続きな大問題

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『痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学』刊行記念イベントの様子。左から版元編集者の松尾亜紀子さん、著者の牧野雅子さん、漫画家の田房永子さん

 10代の女性アイドルがビキニ姿で痴漢被害について話したり、痴漢の触り方が図解されていたりする。痴漢の手口や痴漢しやすい場所、路線の選び方や、ターゲットの選定方法、さらには騒がれたときの対処方法のほか、2019年現在もテレビに出ている男性芸能人が、痴漢の加害経験を話している。

――突然、何の話かと思ったかもしれない。

 11月に発売された『痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学』(エトセトラブックス)では、1970年代~1990年代のメディア(主に雑誌や新聞)において、痴漢を“娯楽”として楽しんできた歴史が暴かれていた。冒頭の文章は、同書で紹介されていた当時の雑誌等についてのものだ。本当に、そういう雑誌記事があったのである。

 当時の雑誌には「痴漢のススメ」特集や、痴漢の体験を被害者が語る人気コーナーがあった。メディア側も読者も、痴漢を一種のエンタメコンテンツとして消費していた。同書はそうしたメディアの変遷を辿っている。

 痴漢がエンタメコンテンツであったという”事実”を、現在も発生している現実の痴漢問題と地続きなものとして分析している同書を、筆者は沈鬱な気持ちで読了した。

 11月23日、都内の青山ブックセンターでは同書の刊行記念イベントが行われ、著書の牧野雅子さんや、漫画家の田房永子さん、版元であるエトセトラブックス社長の松尾亜紀子さんが登壇してトークが繰り広げられた。イベントの様子を一部紹介する。

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牧野 雅子さん
1967年富山県生まれ。龍谷大学犯罪学研究センター博士研究員。警察官として勤めたのち、 京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(人間・環境学)。 専門は、社会学、ジェンダー研究。 著書に、『刑事司法とジェンダー』(インパクト出版会)、 『生と死のケアを考える』(共著、法藏館)がある。

 

田房 永子さん
1978年東京都生まれ。漫画家、ライター。2001年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。母からの過干渉の苦しみと葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)を12年に刊行、ベストセラーに。他に、『ママだって、人間』(河出書房新社)、『「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました』(大和書房)など著書多数。

 

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松尾 亜紀子さん
エトセトラブックス代表。2018年12月設立。フェミニズムにかかわるさまざまな本を出版している。フェミマガジンである『エトセトラ』は現在vol.2まで発売中。

 

痴漢が“娯楽”として楽しまれていた時代

 『痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学』にて、新聞や雑誌を中心として分析した理由について、著者の牧野雅子さんは次のように話していた。

牧野「若い人たちは昔、痴漢がどのようなものであったか、痴漢が犯罪とみなされるようになってきた経緯を知りません。例えば痴漢冤罪問題を議論するにしても、かつては痴漢がどのように扱われてきたのかという共通認識を持って議論したほうがいい。 インターネットと違い、雑誌というのはお金を払って情報を買うものです。その雑誌で、昔は痴漢情報がこのように掲載され読まれていた。それはつまり娯楽として扱われていたということです」

 イベントでは、本の中でも紹介されている一部の雑誌について解説があった。

 例えば1982年に青人社から出版された「ドリブ」(1997年休刊)という雑誌では、「快適通勤痴漢特集 ここまでならつかまらない スレスレ痴漢法」という特集が組まれていた。そこでは、どうやって痴漢をするか、もし被害者に騒がれたらどう逃げるかといった方法が面白おかしく解説されていた。

 さらに、1980年に出版された芸能・エンタメ誌(とくに男性をターゲットとした雑誌ではない) でも、当時10代の女性アイドルがビキニを着て胸の谷間を強調するようなポーズを取った写真とともに、痴漢被害について楽しそうに語っている様子が書かれていたという。

 当時中学生だった牧野さんは、この記事を目にして大きな違和感を覚えたそうだ。

 昔は痴漢に対する社会の目が甘かったという背景があったことを振り返りつつ、「その時代に生きていても『おかしい』という感覚はありました。なので『そういう時代だった』ということで話を終わらせられないと思います」と牧野さんは話した。

 当時の他の雑誌からも、通勤電車では痴漢行為をするのが当然のように描かれていた時代があったということが見えてくる。

 1990年代前半生まれの筆者は、日常的に電車に乗る年齢になったときにはすでに「痴漢=犯罪」という認識が社会で共有されていた。かつてメディアが痴漢を“娯楽”として扱い、読者に広く共有されてきたことなんて、全く知らなかった。この歴史を知り、大きな衝撃を受けた。

痴漢被害は「恥ずかしい」より「怖い、気持ち悪い」

 当たり前のことを確認するようだが、痴漢は迷惑防止条例で禁止されている行為だ。

 例えば東京都の迷惑防止条例では、<第5条 何人も、正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為であつて、次に掲げるものをしてはならない>< (1) 公共の場所又は公共の乗物において、衣服その他の身に着ける物の上から又は直接に人 の身体に触れること>と書かれている。

 この迷惑防止条例の問題点について、イベントでは次のように語られた。

牧野「痴漢で検挙された加害者の約9割が、迷惑防止条例違反として検挙されたものですが、 この条例にも問題があると感じています。ひとつは、条例に『痴漢は女性の羞恥心を侵害する行為』として書かれていること。
 痴漢被害にあった場合、もし恥ずかしさがあったとしても、それは相手に対する気持ち悪さや怒り、恐怖といったいろいろな感情の中のひとつに過ぎません。つまりこの条例には、立案した人たちの『痴漢被害に遭った女性は恥ずかしいはずだ、恥ずかしがるべきだ』という偏った認識や視点が反映されていると感じられます」

 筆者も痴漢被害に遭ったことがあるが、その時に恥ずかしいという感情が少ないことには同感だ。「痴漢がいる」と声をあげることには勇気が要るし、周囲の注目を集めることに対して恥ずかしい思ってしまうことはあっても、加害者に体を触られたこと自体は、恥ずかしいというよりも、恐怖心や気持ち悪さで体や思考がフリーズしてしまうような感覚だった。

「痴漢冤罪」にまつわる問題

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 痴漢冤罪問題といえば、2007年に公開された映画『それでもボクはやってない』(監督・周防正行)を思い浮かべる人も少なくないだろう。

 牧野さんは、「あの映画(『それでもボクはやってない』)は、痴漢をめぐる警察の取り調べや司法の問題点などを社会に投げかけた良作だと思います。ただし、あの映画では主人公の他に真犯人がいたにも関わらず、観客からは“痴漢をでっちあげる女の話”というふうに認識されてしまったことは残念でした。
 被害者が痴漢被害に遭ったことには変わりがなく、痴漢をした疑惑のある人が実際に犯人であるかどうかを確かめるのは警察の役割です。被害者が、犯人の確定まで責任を負うべきかと考えると、疑問に思います」と言う。

 映画『それでもボクはやってない』の中では、取り調べや裁判における問題が描かれていた。

痴漢冤罪を知らしめた映画『それでもボクはやってない』が伝えたかったことは

 今春、電車内で痴漢を疑われた男性が線路に飛び降り逃走する事案が頻発した。このうち一件は実際に迷惑防止条例違反で逮捕起訴されており、すでにwez…

それでもボクはやってない
かつて、痴漢は娯楽だった――「痴漢を語ればみえてくる」、現在の痴漢と地続きな大問題の画像3 ウェジー 2017.11.09

 一般的に、冤罪というと、痴漢行為そのものがなかったり、別に犯人がいるのに誤解されたりといったものをイメージするだろう。
 
 牧野さんの著書によれば、かつての男性誌においては、自ら痴漢行為に及んだにも関わらず、あたかも女性が触らせたと認識を歪めているケースさえも「冤罪」としていたことがつまびらかになっている。

 冤罪問題でさえ性的なコンテンツのように描かれていた過去からは、痴漢をする人と被害者との間で、見ている世界や認識に大きなへだたりがあったことを感じる。

 また、現在、女性専用車両への抗議活動をする男性たちもいる。

牧野「女性専用車両への抗議や、女性専用車両を『男性差別だ』と言うこと、そして痴漢冤罪“被害”を問題にして女性を非難する男性たちに対しては、なぜそこまで女性を敵視するのか疑問に思います。女性専用車両が必要なのは痴漢という犯罪があるからで、それを推奨するかのように痴漢をカルチャーとしてきたメディアや、それを享受してきた人たち、性暴力を軽視してきた文化に抗議をするべきで、相手を間違っているのではないでしょうか。女性を攻撃し、抑圧することは何の解決にもなりません」

 現代の痴漢をめぐる諸問題を考えると暗澹たる気持ちになるが、牧野さんは、知人に著書『痴漢とは何か』の感想を聞いた時のエピソードを話し、「希望が見えました」と述懐していた。

牧野「この本を知人に読んでもらったときに、私と同世代や上の世代からは『スッキリした!』『痛快だった!』といった感想をもらいました。他方で、若い人たちからは『読むのが辛い』『こんなに酷い時代があったのですね』という感想で、世代によって感想が二分されたんです。この本に『痛快だった』と感想を持ってくれた人たちがこれまでの社会を変えてきたわけで、今まで社会を変えてこれたなら、これからも変えていける、そんな希望を持ちました」

 痴漢問題に関しては、現在もさまざまな課題が残っている。筆者も、同書を読み終え、そして牧野さんの言葉を聞いて、今の子どもたちが大人になって振り返った時には「昔はこんなに酷かったんだ」と思ってもらえるよう、未来を変えていかなくてはならないと感じた。痴漢問題にほんの少しでも関心のある人はぜひ同書を読んでほしい。どうすれば変えていけるのか、考えていきたい。

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