
「GettyImages」より
2019月頭、東京都では水疱瘡(みずぼうそう)の流行注意報が発令され、麻疹(はしか)も今年は報告数が700例を超え、近年で最も多いと言われています。
そんないま、専門家たちに集まっていただき「感染症」「ワクチン」について語り合う、座談会を行いました。
参加メンバーは、今年9月に共著で(内外出版社)を上梓された、小児科専門医の森戸やすみ氏と宮原篤氏、編集担当の大西氏。さらに『反ワクチン運動の真実』(地人書館)の翻訳を手がけ、海外のワクチン事情に詳しいナカイサヤカ氏。総勢5名にて、それぞれの立場からのワクチンについて語っていただきました。
まずはじめに、「ワクチンは怖いもの」と思っている人たちが少なくない現状について。これはどこからはじまったものなのか、歴史を紐ときながら、お話を進めていただきましょう。

森戸やすみ
小児科専門医。一般小児科、NICU(新生児特定集中治療室)などを経て、現在は世田谷区にある『さくらが丘小児科クリニック』に勤務。朝日新聞アピタルで『小児科医ママの大丈夫! 子育て』を連載中。Wezzyでも。医療者と非医療者の架け橋となるような記事を書いていきたいと思っている。

宮原篤
小児科専門医・国際渡航医学専門医・臨床遺伝専門医。大学卒業後、成育医療研究センター成育遺伝部での研究や大学病院などの研修を経て、総合病院小児科に勤務後、東京都千歳船橋に「かるがもクリニック」を開設。地域の小児医療に貢献したいと考えている。

ナカイサヤカ
慶應大学大学院修了過程を考古学専攻で修了、文学修士。2人の娘を育てながら日英・英日翻訳を始める。2011年東日本大震災及び原発事故後、毎年講演会『ふくしまの話を聞こう』を主宰。この経験から現在は毎月サイエンスカフェスタイルのリテラシー勉強会『えるかふぇ』を開催中。訳書に『探し絵ツアーシリーズ』『世界恐怖図鑑』(ともに文溪堂)『超能力を科学にした男-J.B.ラインの挑戦』(紀伊國屋書店)『エリザベスと奇跡の犬ライリー』(サウザンブックス社)『代替医療の光と闇 魔法を信じるかい? 』『反ワクチン運動の真実 死に至る選択』(ともに地人書館)。
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宮原篤(以下、宮原):まず日本では戦後の1948年に、ジフテリア予防接種の事件がありました。ワクチンの製造過程のミスなどから無毒化されていないものが使われてしまい、84人の死亡者が出たんです。
ところがそれは、あまり問題にされなかった。終戦後で衛生環境が劣悪、感染症対策も不十分な時代、公衆衛生の発達のほうが大事だったからです。
ワクチンが問題視されるようになったのは、衛生環境の改善や予防接種によって感染症が減ってきて、相対的に副反応が目立つようになった1950年ごろ。天然痘(てんねんとう)が減り、副反応である脳炎とかの副反応に注目が集まるようになったんです。
編集大西(以下、大西):昔は予防接種がないことで、感染症が流行していましたよね。私は子どものころ、ポリオワクチンが足りなかった時代の小児まひの映像を見たことがあり、すごく怖かったので、いまでもよく覚えています。ワクチンが開発されてよかったなあって。
ナカイサヤカ(以下、ナカイ):私が昭和34年生まれで、ちょうど翌年にポリオ不活性化ワクチンの勧奨が始まり、さらにその翌年は生ワクチンが緊急輸入された時代。だから上の学年にはワクチンを受けていない子もたくさんいて、学校でひとりはポリオ(※)で足が悪い子がいたものです。
(※ポリオ=急性灰白髄炎。脊髄性小児麻痺とも呼ばれ、ポリオウイルスによって発生する疾病。子ども(特に5歳以下)がかかることが多く、麻痺などを起こすことがある。日本では1940年代頃から全国各地で流行がみられ、1960年には北海道を中心に5,000名以上の患者が発生する大流行となった)
森戸やすみ(以下、森戸):ポリオの子ども、黒柳徹子さんの自伝『窓ぎわのトットちゃん』にも出てきますよね。
大西:ワクチンが接種されるようになっても、日本では近年まで生ポリオワクチン(※)が長く使われて、少数といえども実際に毎年、ワクチン由来の小児まひが起こっていましたよね。アメリカ等ではずっと前から不活化ワクチンだったのに、なぜ日本は生ワクチンだったんでしょうか。私は自分の子どもには、不活化ワクチンを選びました。
(※ポリオの生ワクチン=口から飲むタイプの生ワクチンは、ごくまれに腸の中で毒性を強めることがあり、生ワクチンを飲んだ人や保護者など周りの人に、ワクチンの副作用として小児まひが起こる。世界では1990年代後半から経口生ワクチンを注射で接種する不活化ワクチンに切り替えてきたが、日本の定期接種では2012年9月まで経口の生ワクチンが指定されていた)
宮原::あれは不活化ワクチンの安全性を確認するデータがなかなかとれなくて、遅くなっちゃったんですよね。