素晴らしかった歌舞伎「風の谷のナウシカ」、”優しい女性”が主人公というレア度

【この記事のキーワード】

 序幕冒頭では、映画でも登場する「腐海」や「火の七日間」などの神話のタペストリーが引幕として掲げられ、用語解説とともに世界観を説明。舞台背景の腐海のセットや、飛び交う蟲たちの造形の再現性は「素晴らしい」の一言! 原作の中央アジア風の無国籍な雰囲気を残しながらも、衣装などは歌舞伎ならではの日本風にアレンジされ、長年どんな題材でも取り込んできた歌舞伎の懐深さをうかがうことができます。

 映画では、幼い王蟲をえさに王蟲の大群を呼び寄せていたのは、トルメキアへの復讐を目論むペジテ市の残党でしたが、歌舞伎版では原作同様、土鬼諸侯国連合帝国の仕業になっていました。土鬼は王蟲を兵器として用いるために「旧世界の悪魔の法」と呼ばれる技術を使い、王蟲を培養しています。剣士ユパ・ミラルダ(尾上松也)とアスベル(尾上右近)による培養槽の破壊は、本水(舞台上を大量に流れる本当の水)の使った立廻り。

再演を熱望する声

 また、土鬼諸侯国連合帝国の皇帝で超能力を持つ不死の神聖皇弟ミラルパ(坂東巳之助)と、その兄で彼を暗殺し皇位を簒奪する皇兄ナムリス(坂東巳之助の二役)の、舞台上に同じ俳優が2人いるかのように見える入れ替わりや、ナウシカの衣装が王蟲の血に染まり一瞬にして青くなる早替えの技法「ぶっ返り」、そして主人公ナウシカが、王蟲の暴走を止めるためにメーヴェで旅立つ宙乗りと、歌舞伎らしい演出法が網羅されており、それまで歌舞伎になじみのなかった層に対して、そのすごさや魅力を余すことなく伝える構成に。

 また、ナムリスの死の場面は古典「義経千本桜」の「渡海屋・大物浦の段」の名場面、平知盛の死にざまを思わさせる演出になっており、歌舞伎ファンにとっても胸が踊るものでした。

 なかでも特別に素晴らしかったのは、舞踊です。

 歌舞伎舞踊の見方について、演者たちは「深く考えすぎず美しさを堪能して」とよくいいますが、それなりに歌舞伎に親しんでいても心から理解し楽しむのは、率直にいうと少しハードルが高いもの。今作中では、王蟲の暴走を止められなかったナウシカが、王蟲とともに死に腐海の一部になろうとする心情を表す踊りと、物語終盤に土鬼の聖都シュワで世界の秘密を握る「墓の主」(中村歌昇)と巨神兵(尾上右近)の精が対決する場面が舞踊で表現。絶望にかられつつも他者を慈しむナウシカの優しさが一番伝わってきたのは、この舞踊での菊之助の儚い美しさと所作からでした。

 墓の主と巨神兵は「連獅子」の拵(こしら)えと振り付けで、クライマックスに相応しい勇壮さで見応えがあるだけでなく、ジブリ世界の壮大さを何より体現しており、哲学的で複雑な物語の展開や登場人物たちの心情が、どんな台詞での説明よりも雄弁に心に届いたように思います。

 もっとも、逆をいえば台詞にはただの説明が多く、そのとばっちりを食ってしまったのが、他ならぬ主人公のナウシカだったかもしれません。脚本にジブリのスタッフが入っているためか、話の展開が映像的で、舞台らしい緩急に乏しく、原作の膨大な要素の盛り込み方も粗(あら)が多くて、ナウシカがただ超常的な力を駆使してすべて解決していくだけのように見えてしまったのは残念。

 本来ならトリウマ(馬のような架空の動物)に乗って花道から舞台へと駆けていく合戦の場面が、開幕直後の事故の影響もあり、トリウマを曳いて歩いていくだけの演出になってしまったり、宙乗りの回数が減ってしまったりしたのも、アクシデントで仕方がなかったとはいえ、よりナウシカがただ周りに流されるだけの人に見えてしまったように思います。

1 2 3

「素晴らしかった歌舞伎「風の谷のナウシカ」、”優しい女性”が主人公というレア度」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。