2016年7月26日早朝、神奈川県の障害者入所施設「津久井やまゆり園」に元職員・植松聖氏(当時26歳)が侵入し、入所していた知的障害者19人を包丁で刺殺、26人を負傷させた。事件の公判は、2020年1月8日から横浜地裁で開始されている。15日に第2回公判、24日に第3回公判が行われるスピード進行で、3月にも判決の言い渡しが行われると見られる。
現在、植松被告と公判に関する報道や「ネット世論」の関心は、法廷で植松被告が見せる奇妙な言動、「障害者は抹殺すべき」という植松被告の信念、殺害された障害者たちの人となり、遺族たちの思い、生き延びた障害者や関係者たちの思い、そして植松被告に言い渡される判決の内容と量刑に集中しているようだ。
相模原事件の激震、「再発防止」、そして障害者団体のブレーキ
事件から間もない時期に注目されたのは、まず、植松被告に精神科入院歴があったこと、しかも措置入院(行政命令に基づく強制入院)であったこと、措置解除(退院)から半年も経過しない時期の犯行であったこと、措置解除後の植松被告が精神保健福祉関係者と接触していなかったことだった。語弊を恐れずに言えば、「危ない人物と分かっていながら、なぜ野放しにした」という視線が集中したのである。
厚労省は、政府の意向を受け、事件を検証し再発を防止する有識者検討会を設置した。「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」という、早口言葉のような名称を持つ検討会の第1回は、事件からわずか15日後に開催され、8回の議論の後、12月に最終報告書の取りまとめが行われた。熟睡しており、抵抗の手立てを持たなかった知的障害者たちが、無残にも次々と刺殺されたのである。「再発防止」を求めるのは自然の感情であろう。
しかしながら、この検討で「再発防止策」と呼ばれているものは、まず「危ない人物を野放しにしない」ということである。精神障害を理由とした「危ない人物」というラベリング、そのラベリングに基づく監禁や監視は、典型的な障害者差別に他ならない。「精神科病院への(強制)入院と治療」「地域での支援」と名付けることは、内実が監禁や監視ではないことの担保にはならない。しかし、検討会の議論と結論は、ほぼ措置入院の解除、解除後の体制、そして施設の防犯に終始した。
「知的障害者を精神障害者から守るために、精神障害者の人権を制限する必要がある」という主張は、多くの障害当事者や障害者団体にとって、到底受け入れられるものではない。このため、障害者団体多数が、声明を公表したり、厚生労働省等への申し入れを行ったり、集会を開催したりした。
まず、措置入院制度に関する直接の当事者は、精神障害者たちである。精神障害当事者団体多数が、事件直後から声明多数を公表し、数多くの集会を開催した。
もちろん知的障害者たちも、障害を理由に殺されてよいわけはない。植松被告の「障害者は不幸を産み出すことしかできない」「障害者なんていなくなればいい」という考え方は、知的障害者と家族にとって、自らに突きつけられた刃の切っ先に他ならない。あまりにも安易に生命の価値を計り、「死なせるべき生命」を勝手に選別した植松被告の行為への批判は、事件直後から現在まで数多く表明されている。また、犯行の背景には、人間の価値を能力や収入によって一面的に評価しがちな社会の風潮もあろう。この風潮への危惧も、数多く表明されている。
障害者の全国組織である「DPI日本会議」も、事件直後から、「障害者はいないほうがいい」という植松被告の信念と、「危ない人は措置入院させておけばいい」という「再発防止」の方向性の両者に対する懸念と抗議を表明し続けた。
しかし検討会は、2016年12月、措置入院の「入り口」を拡大して「出口」を狭め、退院後のフォローを行う内容の報告書を取りまとめた。退院後のフォローが目的としているのは、「地域で孤立することなく安心して生活を送ること」である。それは、誰にとっても必要なことであろう。
だが報告書によれば、措置入院を解除された人に対する「退院後のフォロー」は、警察が強く関与して「危ない人」であるという情報(過去の犯罪歴など)を共有し、児童虐待の事例と同様に制度的な対応を行うというものである。どのような美辞麗句を重ねても、「危ないから、自由の身にした後も地域で監視しましょう」というコンセプトは隠しようがない。
もちろん、障害者団体は沈黙せず、意見を積極的に表明し、政府や政治家へ働きかけ続けた。しかし結果として、政府の動きを押し止める力とはなれなかった。
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