「強制のライセンス」 精神保健指定医資格も問題に
植松被告を措置入院させ、措置解除の判断を行ったのは、相模原市の北里大学東病院であった。当時、植松被告は大麻の影響下にあったとされる。
措置入院を行うにあたっては、原則として、2人以上の精神保健指定医が必要と認める必要がある。措置解除の判断を行うのも、精神保健指定医である。この判断が妥当に行われたかどうかは、当然、検討会の関心の対象となった。
しかし報告書によれば、措置入院開始に関しては特段の問題は発見されなかった。措置解除についても、薬物による精神疾患の専門家が関与していないことを問題視した程度である。筆者は、少なくとも診断と判断に関する決定的な「ツッコミどころ」は見当たらなかったものと理解している。
報告書が最も問題視したのは、措置入院を解除された植松被告の「その後」を、居住していた相模原市が把握できなかったことであった。原因の一つは、北里大学東病院に対し、植松被告が「退院後は八王子市で暮らす」と述べていたにもかかわらず、実際には隣接する相模原市に居住していたことだった。事件後、相模原市が八王子市に情報提供や照会を行っていれば、少なくとも八王子市に居住していないことは確認できたはずである。報告書には、措置入院解除後の「退院後の支援」の充実を必要とする意見が数多く盛り込まれた。
とはいえ入院は、疾患や症状があり治療が必要だから行うものである。症状が軽減すれば入院の必要はなくなる。「肺炎様の症状がある人が高熱を発して倒れており、意識不明である」という時、本人の意思を確認できなくても、救急車が駆けつけて入院させ、治療を行い、治ったら退院させる。精神疾患を「疾患」とする以上、精神疾患の急性症状の扱いは、緊急性の高い身体症状と同等であるべきだろう。つまり、落ち着いたら退院させ、退院後に「支援」の名の下で追いかけ回さない、ということである。
「やっと強制入院から解放されたのに、病院や病気の情報を知っている誰かが追っかけて来たらウザい」と考えるのは、人間の自然だ。植松被告が特別というわけではない。この観点からは、「落ち着いたから退院させた」「退院後は近寄って来てくれなかったけれど、追いかけなかった」という北里大学東病院の対応は、特に不適切ではなかったことになる。
しかしながら、「危ない人だから強制入院の対象になったのに、少しおとなしくなったからといって野放しにされたら困る」「せめて、様子をチェックして、野放しにしないようにしてほしい」という観点からは、北里大学病院の対応は「あなたたちが安易に解放したからいけない」ということになるだろう。強制と監視と「やり得」と「やられ損」以外の選択肢は確実に存在するのだが、現在の日本では、まだ“常識”にはなっていない。
2016年10月26日、厚生労働省は、精神保健指定医資格の不正取得に関わったとして、指定医49名と指導医40名を資格取り消し処分とした。処分以前に返上した医師らを含めると、99名の医師が精神保健指定医資格を失ったことになる。植松被告の措置入院と解除に関わった精神保健指定医2名のうち1名も、資格を失った。この資格取消そのものは、北里大学東病院に対する“処罰”とは言えないが、政府または厚生労働省の何らかの意向との関係を完全に否定することも難しい。
精神保健指定医資格は、措置入院をはじめ、身体拘束や保護室への隔離など、精神医療で行われる多様な「強制」のライセンスである。
原則として、警察による逮捕では裁判所の令状が必要とされるが、精神保健指定医の場合、とにかく指定医2人が措置入院に同意すれば、強制的に入院させることができる。
しかも指定医1人でも可能な場合もある。極めて強力な「強制」と人権侵害のライセンスである以上、資格要件は厳格であるべきであろう。しかし筆者は未だに、「なぜ、この時期に?」という疑問を抱いている。さらに、「精神医療は、精神科医に強制や人権侵害のライセンスを持たせておかなくては成り立たない」という前提を疑う必要もありそうだが、その観点からの本質的な見直しの機運はない。
「2016年7月26日」を経て何かが変わったと言えるのか?
2016年7月26日から同年末にかけての動きをまとめると、以下の通りである。
2016年7月26日 相模原障害者殺傷事件発生。植松氏、逮捕される。
2016年7月28日 安倍首相、「速やかに対策実行を」と指示
2016年7月31日 菅義偉官房長官が津久井やまゆり園を訪問、献花。「真相究明と再発防止を徹底したい」と述べる
2016年8月2日 自民党・民進党(当時)が、それぞれ再発防止策を検討
2016年8月2日 自民党・民進党のヒアリングにDPI日本会議が出席し、意見書を提出。
2016年8月10日 相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム 第1回開催
2016年9月14日 中間取りまとめ
2016年9月26日 DPI日本会議、日比谷で追悼集会を開催
2016年12月8日 報告書取りまとめ
2016年12月26日 DPI日本会議、報告書に対する意見書を公開
実際には、障害者団体多数の動きは極めて複雑であった。また、知的障害者に関しては、保護者団体の動きも大きな影響を与えた。事件後、活発な発信と取材・報道を継続している神戸金史氏(RKB毎日放送)はじめ、知的障害者の親として、また職業人として、社会に大きな影響を与え続けている人々もいる。いずれにしても、「知的障害者は殺されるべきという論理も、精神障害者は監禁するか監視するかしておくべきという論理も、ともに認められない」「障害を理由とした人権侵害は許されない」という主張においては、概ね一致していた。
この他に、措置入院解除後の地域でのフォローを“商機”と見た精神保健福祉業界団体による動きもあった。また、「津久井やまゆり園」の建て替えをめぐって、障害者の施設収容そのものを悪とする立場からの反対運動もあった。
2016年は7月26日から年末にかけ、さまざまな思惑が入り乱れ、政府による事件の政治利用、それに対抗する政治利用が絡み合った。障害者、障害者を家族に持つ人々、障害者を含む地域、そして日本のメンタルヘルスは、どのように変わっていったのだろうか。
次回も引き続き、「2016年7月26日の“あの日”の後」を振り返ってみよう。
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