相模原障害者殺傷事件―日本に植松聖被告を裁く資格はあるのか?

文=みわよしこ
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 最初に、相模原障害者殺傷事件を知った2016年7月26日朝の筆者自身の思いを語ることを、お許しいただきたい。

 事件を知った時、最初に心の中に浮かんだのは、「よく知っている地域の近くに、大きな障害者入所施設があるなんて、知らなかった」という驚きであった。ついで、「知らなくて申し訳ない」という思いが湧き上がった。

 筆者は1990年から2000年にかけ、沖電気工業(株)八王子事業所に勤務し、半導体デバイスの研究開発に従事していた。「津久井やまゆり園」までは直線距離で5km程度。最寄り駅はJR高尾駅、「津久井やまゆり園」のあるJR相模湖駅から1駅だけ東京寄りだ。それほど近くに10年間勤務していながら、障害者の大規模入所施設があることを全く知らなかった。

 なお、複数の量産工場を持ち、最盛期には2000人以上の規模を誇った八王子事業所は、2008年にローム株式会社に売却され、2013年に閉鎖となった。現在は、跡地に大規模ショッピングセンターが建てられている。

相模原障害者殺傷事件は障害者をどのように政治利用したか

 2016年7月26日早朝、神奈川県の障害者入所施設「津久井やまゆり園」に元職員・植松聖氏(当時26歳)が侵入し、入所していた知的障害者19人を包丁で刺殺、…

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相模原障害者殺傷事件―日本に植松聖被告を裁く資格はあるのか?の画像3 ウェジー 2020.02.01

あの日突きつけられたのは、障害者を知らなかった自分

 当時の筆者の主な関心事は、半導体業界再編と日本の半導体の行く末、そして自分自身の今後であった。沖電気の半導体事業の状況が芳しくなかっただけではなく、日本の半導体産業全体の先行きが不透明、日本に拠点を置いていた外資系ソフトウェアベンダーや装置メーカーまで日本から撤退しつつあった。「国内での転職で活路を見出すのは難しいだろう」と判断した筆者は、2000年に著述業に転じ、20年後の現在も生き延びている。

 筆者は、「自分自身は障害者について理解している方だ」と自認していた。従姉の一人は高機能自閉症だ。幼少時は従姉のパニックに困惑する場面もあったが、楽しい付き合いが続き、現在に至っている。その従姉・森口奈緒美は、1996年、日本の高機能自閉症者として初めて、自らの生育経験を書籍『変光星』(2014年、遠見書房より文庫化)として世に問うた。

 1980年代前半に通っていた予備校では、校長の方針により、数多くの障害学生が受け入れられていた。全盲のクラスメートが点字でノートを取るため授業の進度が遅れる場面もあったが、学生も教師も、「その条件を生かして、全員の学びをより良く発達させる方法はないのか」と模索した。結果として、入試シーズンにはそのクラスの成績が最も良好だった。

 2005年には筆者自身が中途障害者となり、日本の障害者福祉や障害者差別と直面せざるを得なくなった。「障害者は、生き延びるために障害者運動家にならざるを得ない」という言葉があり、障害者の間で広く知られている。筆者自身も、そういう道程をたどった。自分自身が生き延びるために、毎年のように、居住している自治体と対峙する。ここ数年は、国連が日本に対する審査を行うたびに、障害や障害者に関連する内容であればレポートをせっせと送付し、可能であればジュネーブなど現地に飛んでロビイングや審査に参加する。

 しかし、そんな自分が、10年間も勤務していた職場のすぐ近くにあった「津久井やまゆり園」と入所者たちのことを、全く知らなかった。植松聖被告が殺傷事件を起こさなかったら、現在も知らないままかもしれない。

 「人は二度死ぬ」という。一回目の死は肉体的な死であり、二回目の死は「その人を知っていた人が全員死に絶える」という、いわば社会的な死である。この考え方に照らせば、「津久井やまゆり園」に入所していた人々は、筆者にとって、最初から社会的に生きていなかったことになる。

 2016年7月26日、19人が植松被告に刺殺された。筆者はそのことを、津久井やまゆり園の存在とともに知った。そして19人は、「肉体は消えたけれども、生きていたことを私が知っているから、社会的に生きている」という存在になった。重軽傷を負ったものの生き延びた障害者たち、幸運にも負傷しなかった障害者たちは、現在の筆者にとって「肉体的にも社会的にも生きている」人々となった。

 しかし、存在を意識したこともなかった障害者たちが、「自分にとって、何らかの意味で生きている人たち」となるために、なぜ、19人の犠牲が必要だったのだろう?

 あの日、植松被告の握った包丁は、障害者について知らなかった自分自身を筆者に突きつけたのだった。

障害者に優しくなった社会への不信感

 事件からしばらくの間、植松被告の犯行に対する「ひどい」という怒りと、犠牲となった障害者たちへの哀悼の声が、日本社会にあふれていた。報道に接した人々は、自然に感情が動き、心からそのような思いを語ったのであろうと思われた。筆者は、このことに当惑した。

 車椅子を利用しており、一目で「障害者」と判断される筆者は、数多くの障害者差別と日常的に直面している。「自転車で通りすがりながら罵る」といった軽いヘイトは、多すぎて気にしていられない。エレベータを待っていると割り込まれ、通路で歩行者と正面衝突しそうになったときに歩行者が自発的に避けてくれることは期待できない。

 筆者は、相手と周囲の通行者には「それは許されないこともある」ということを示す必要があると考えている。だから、巧妙に割り込もうとする高齢者を牽制する。歩行者と正面衝突しそうになると、「この人の方が横に動きやすいのだから、私ではなく、この人が避けるべき。だけど、この人はそうしないから、致し方なく私が危険をおかして道を譲る」ということを周囲に示しながら街の中を移動する。疲れる。

 頻度が比較的高く、かつ対処に困るのは、「突然、不自然な猫なで声とタメ口で、必要としていない好意の提供が表明される」といったものである。相手は好意であるが、その“好意”を向けられた自分にとっては、まぎれもない障害者差別である。対処が難しい。相手に自分の不快を伝えて退散してもらうことに成功しても、深い絶望感が残る。

 時には、「こんなの生かしておいてはいけない」といった、紛れもないヘイトがぶつけられる。通りすがりに荷物をわざと顔や頭にぶつけられることも、偶然を装って肉体的に傷つけられそうになることもある。見てみないふりをする周囲の人々、介入を求められても応じなかったり逆ギレしたりする駅やビルの従業員に落胆はするけれど、「悪意に基づく攻撃であり、遠ざける必要がある」ということが明確なので、まだ対処しやすい。

 このように、障害者が軽重さまざまな肉体的攻撃を避ける行動を日常的に取らなくてはならない2020年の日本は、障害者福祉は削減され続け、職場はないのに健常者並みの就労と収入を求める日本でもある。その不条理に絶望し、悔し涙を流す。

 2016年当時も、2020年現在も、筆者自身は日本で、そのような現実の中を生きている。

日本の論理と植松被告の論理は相似形

 「差別する機会があれば、差別したい」「自分が安全である限り、誰かを攻撃したい」「差別に泣き寝入りしない人々には、少なくとも自分の目に見えるところから消えてほしい」といった願望は、おそらく現在も、日本の多くの人々の“ホンネ”であろう。

 日本は、障害者を多様な形で攻撃し続けている。無意識のうちに、あるいは「社会のため」という名目で、障害者を自動的に排除する。あるいは、「共生」「思いやり」などの名の下に、「私たち健常者の望む障害者でいなさい、さもなくば……」という無言のメッセージを発して支配しようとする。しかし、自ら包丁を握って障害者を直接殺すわけではない。

 植松被告は、自ら手に包丁を握り、障害者を殺傷した。2016年2月、措置入院となる契機となった衆議院議長への手紙には、「津久井やまゆり園」の障害者を抹殺する計画が、「日本国と世界の為」「世界経済の活性化」という目的とともに語られている。植松被告の論理によれば、障害者を介助して生存させるための負荷を除去することは、経済状況を好転させ、日本と世界を救うのである。この論理はそのまま、2001年に始まった「聖域なき構造改革」以後の日本で続く、社会保障削減の論理ではないだろうか?

 植松被告の論理は、「異常」「異様」「人道的に許されない」と評されている。しかし、そこに見え隠れするのは紛れもなく、日本政府と日本社会の“ホンネ”であろう。一方、思っていても言えない“ホンネ“を体現した植松被告は、政府に賞賛されることなく逮捕され、今、公判の被告となっている。

 居酒屋談義はしばしば、そこにいない人の悪口で盛り上がる。語られる悪口の数々は事実や実感に根ざした“ホンネ”であるが、互いに限度をわきまえ、空気を読みあった上での「ガス抜き」だ。その“ホンネ”を本気の批判に展開させたり、シラフの提言に反映させたりする過激な人物が現れた場合、居酒屋談義に参加していた人々は「他人のふり」をするであろう。場合によっては、過激な人物に対する過激な攻撃を競い合うことになるかもしれない。

 事の軽重でいえば、居酒屋談義の悪口と殺傷行為は全く異質だ。しかし構造として、日本社会は障害者差別を蔓延させており、日本政府は社会保障削減を推進している。居酒屋談義の悪口で盛り上がり、問題にされたら「他人のふり」をする人々と、相似形となっていないだろうか。

知的障害者の大規模施設は、温存される

 事件で“効率的”な殺傷が行われてしまった背景の一つは、津久井やまゆり園が大規模入所施設であったことである。定員は長期入所者150人と短期入所者10人の合計160人となっており、事件当時は149人が入所していた。149人が地域のアパート100軒に1~2人ずつ住んでいたら、このような“効率的”な殺傷は不可能であろう。

 そもそも障害者を施設に入所させることは、「隔離」という人権侵害に他ならない。伝染病を理由とした「隔離」は、他人に伝染させる可能性がある期間に限定されている。犯罪者の刑務所への「隔離」も、期間と内容が裁判で定められる。しかし日本の障害者は、ただ障害を理由として、生涯にわたって施設に「隔離」されうる。若干の行動の自由や外出の自由があっても、隔離は隔離だ。

 日本の施設収容主義は、精神科病院への入院患者が多数であることを含めて、国際社会の批判を浴び続けている。「障害者の地域生活を促進する」という目的のもと、全国で設置が進められているグループホームも、国際基準では「施設」である。いかに小規模でもアットホームでも、施設は施設であり、通常の居住環境ではないゆえに悪なのだ。そのグループホームですら、建設計画には「土地が汚れる」「地価が下がる」「危険」といった反対の声が上がる。

 とはいえ、24時間のケアや見守りが必要な重度障害児者とその家族にとって、重度障害者施設や病院の療養病棟は、生存のための唯一の選択肢となる場合がある。どのような障害児・障害者にも、家庭の中で育ち、自らの家庭を持つ権利がある。その家庭に必要な介助や資源を提供するのは、社会の役割である。しかし、「環境が整うまで、生存を一時中断する」というわけにはいかない。障害をもつ子を親がケアし続けたいと望んでも、親の老い、そして親亡き後が確実にやってくる。「障害者の地域生活を推進するために、施設を劣悪な環境にする」というわけにもいかない。

 相模原障害者殺傷事件の後、津久井やまゆり園の建て替えをめぐって、これらの議論も活発化した。障害者団体の一部は、施設を再建しないことや、グループホーム多数に分散させることなど、少しでも地域生活に近づけることを求めた。しかし結局、やや規模を縮小した施設として再建されることが決定され、現在、工事が進行している。

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