フィリピン女性バラバラ殺人被告「死刑になるように努力した」控訴の顛末

文=高橋ユキ
【この記事のキーワード】
フィリピン女性バラバラ殺人被告「死刑になるように努力した」控訴の顛末の画像1

「Getty Images」より

 筆者は2005年(平成17年)から、主に刑事裁判を見つめ続け、傍聴ライターとして稼働してきた。平成の終わりに、これまで傍聴してきた刑事裁判を紹介したが、令和二年の幕開けにも、すでに忘れられかけている過去の事件を振り返りたい。

【お台場フィリピン人女性バラバラ殺人事件】

<2009年傍聴@東京地裁・高裁>

 長く伸びた天然パーマの毛を後ろで1つに結び、大きめのスーツに黒いシャツ。透明フレームのメガネ。バブル時代から抜け出てきたようなスタイルが印象的なその男の名は、野崎浩という。

 野崎は恋愛感情を抱いていたフィリピン人女性を殺害してその遺体をバラバラにした殺人等の罪で起訴されていた。森本レオのような穏やかな囁き声で語られた事件の全貌は、まったく穏やかなものではなかった。

 殺害したフィリピン人女性はひとりだけではない。野崎は2008年に東京・台場の自宅マンションで、同居していたカミオオサワ・ハニーフィット・ラティリアさん(22=当時)の首を絞め殺害。その遺体をバラバラにし都内の運河などに投棄したとして逮捕起訴されていたが、99年4月にも横浜の自宅で、ヨネダ・ロンガキット・エルダさん(27=当時)の首を絞め、殺害したとして起訴されていた。

 エルダさんに対しては当時、死体損壊・遺棄の罪に問われたが、殺人については最後まで認めないまま、野崎は実刑判決を受け服役していたのだった。

 どちらの事件も経緯は似ている。フィリピン人ホステスに恋愛感情を抱いた野崎が、仕事への送迎や家事、そして彼女たちの子供の面倒を見ていたが、冷たくされたと感じたことから犯行に及んだのだという。

 野崎がラティリアさんの遺体をバラバラにしているとき、ラティリアさんが出勤しないことを心配した従姉が、部屋を訪れた。その時の様子を語った調書にも、野崎の犯行の様子が生々しく語られている。

「玄関に入ると、生臭いにおいがしました。そして、リビングの入口にチャーリーが立っていました」

 なぜか野崎は、彼女たちから「チャーリー」と呼ばれていた。

「チャーリーは胸のところに両腕で何かを抱えていましたが、私が話しかけると、ものすごく驚いて、抱えていたものを床に落としました。見ると、細長いものが一本落ちていました。私は、ハニーの骨だと直感しました。チャーリーがそれを拾おうとするとき、さらに、骨のようなものが腕から2本くらい落ちました。私は殺されると思い、部屋を逃げ出しました……」

一転して「殺害した覚えはありません」

 2009年7月23日に東京地裁で開かれた初公判。野崎は穏やかな低音の声で「私はいま、検事が読み上げた起訴状に何ら異議を申し立てる事はない。また申し訳ないと思います……」と、ラティリアさんとエルダさんに対する殺人のほか、ラティリアさんに対する死体損壊・遺棄、すべてについて起訴事実を認め、謝罪の言葉を述べていたが、2名の殺人は死刑判決も有りうると気づいたのか、同年同月30日の公判で、突如主張を変遷させた。

「エルダは10年前、僕が起きると既に亡くなっていました。僕はエルダを殺害した覚えはありません」

 エルダさん殺害を否認してから、野崎の公判証言は迷走し始める。

「僕は裁判官にも何度もたてつきましたが、事件が解決しても解決しないと思ってる……。僕自身、魚で言うならアンコウ……。さばき方を間違えると、えらい事になる。まな板に乗せればいいと思ってるかもしれないが、そんなもんじゃない。真実を語ってもらいたいと、ご遺族は言っていましたが、僕自身、真実がどこにあるのか分からない……」

 法の“裁き”と魚の“さばき”をかけた洒落を効かせた発言のつもりだったのかもしれない。しかし、法廷は感嘆の声が漏れることもなく、シーンと静まり返っていた。否認してからは、2名の女性に対する今の気持ちを聞かれても、こう言うばかり。

「僕に正義はないかもしれない!でも秩序はある!言わせて下さい!僕は!秩序を乱すために事件を起こしたんじゃない!警察、司法をこき下ろす事は簡単です!誰も、冤罪を作ろうと思って、やってるわけじゃないんです!!!」

ガン告白も二転三転

 さらに話は野崎の“体調”にも及ぶ。

「僕はガンを抱えたまま、法廷に立ちたかったんです!」

 こう法廷で叫んだ野崎は、ラティリアさん事件当時「実は大腸ガンを患い、医師からは余命いくばくもないと言われていた」のだという。

 だが手術を受けぬまま事件を起こし、逮捕後に国費により手術が行われ、幸運なことに完治した。手術を受けなかったのは野崎曰く「エルダの罪を償っていないのに生きていくのに抵抗がある」という思いがあったと述べた。そして「僕はいずれにしろ、手術は受けたくなかったんです!!」とも述べ始めたのだが……。

検察官「あなた取り調べ当時、“手術してほしい”という書面を書いてますよね?」
野崎「それは診察だけしてもらいたかったんです!」
検察官「医師から『完全に切除できるか分からない。場合によっては人工肛門もありうる』と言われた時、あなた『人工肛門は絶対にいやだ』と言ってましたね。それから『せっかく手術して完治しなかったらイヤじゃないですか』とも言ってましたよね」
野崎「ハ、ハイ……」

 実際、野崎は一度手術をドタキャンしている。その後、再び『麻酔は全身麻酔でお願いします』など手術にあたり希望を細かく述べた書面を医師に提出、ようやく手術が行われたのだそうだ。だが検察官により内幕も暴露され、何のための“ガン告白”か分からない状況に。そして9月3日の公判ではまた主張を変遷させ、神妙な声色でこう言うのだった。

「結論としてはエルダさんを殺しました」

 否認し続けると心証が悪くなることを案じたのか。こうして法廷を混乱の渦に陥れた野崎に対して東京地裁は、ラティリアさん事件について無期懲役(求刑死刑)を、エルダさん事件について懲役14年(求刑無期懲役)をそれぞれ言い渡した。

「殺人は短絡的かつ自己中心的。酌むべき事情は全くない。死体損壊・遺棄についても凄惨かつ非人間的な所行。遺族らに慰謝の措置もとっていない。被告人質問で遺族への謝罪を促されたが拒否している」と一刀両断。しかし「殺人行為自体の態様は、執拗かつ残虐という程ではない」などの理由で死刑が回避された。

「ハイッ!そこまで!」

 これで終わっていればよかった、と現在の野崎は思っていることだろう。ところが当時、判決を不服として検察側のみならず、弁護側も控訴。東京高裁で控訴審が開かれたが、またもや野崎は謎主張を繰り広げる。

「人を殺して謝罪しない人間はいません!私も、どんなに謝罪したいか!でも、望んでいるものと違う!遺族が背負ってるのはそんなもんじゃない……」

 長々続く供述に、裁判長からストップが入った。

「ハイッ!そこまで!」

 彼は法廷で控訴の理由を「死刑にならなかったことが不服」と訴え、こう続けた。

「死刑になると思ってたんで、意外でした。一審では、法廷で供述を変遷させて、死刑に届くように、自分なりに色々と努力しました……。被害者遺族とボクの気持ちは同じなんです!」

 さらには、自分の事件が報じられたのちに“バラバラ殺人”が続いており、自分はそのパイオニアなのだという供述まで飛び出した。

「ボクの事件の後、江東区、千葉、鳥取、福岡、そして汚水処理施設……みんな(同じように)バラバラにしたりしてる……」

 死刑になりたかったのか、なりたくなかったのか、また分からなくなったところで、検察官も釘を刺した。

検察官「アナタね、『死刑になるように努力した』とかね、そういう楽屋裏、言わない方が遺族のためではないですか? 単なる自己満足なんじゃないですか?」
野崎「そうは思っておりません」

 こうした謎主張を裁判所は重くみたのか、野崎の願いは聞き届けられる。東京高裁は一審を破棄し「仮釈放後、5年8カ月で再び事件を起こした点を一審は著しく軽く評価している。他の死刑確定事案と比較すると、刑のバランスや犯罪予防の見地からも死刑をもって臨むしかない」として、野崎に死刑を言い渡したのだ。

 もともと野崎が控訴した理由が「死刑になりたかった」というものであった。であれば、上告はなされないまま、ここで死刑確定してしかるべきだが、なぜか野崎側は上告した。一審当時から、主張が定まらないスタイルは貫かれていた。

 最終的に2012年12月、最高裁は「死体損壊・遺棄罪の服役で、反省、悔悟する機会を与えられたにも関わらず、類似の犯行を敢行した。刑事責任は誠に重大」として上告を棄却し、死刑が確定した。野崎は裁かれ方を間違えたのだろうか。

「フィリピン女性バラバラ殺人被告「死刑になるように努力した」控訴の顛末」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。