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Uber Eats(ウーバーイーツ)の働き方は誰にとって魅力的か? ギグワーカーに「ならざるを得ない」時代への危惧

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Uber Eats(画像はWikipediaより)

 働き方改革や副業解禁、クラウドソーシングサービスの普及など、働く環境は大きく変化しようとしている。働き方も多様性を求められ、職場に縛られないリモートワークが可能な職種も少なくない。

 Uber Eats(ウーバーイーツ)やAmazon Flexなどのように、空いた時間だけ労働力を提供する働き方や、そのマッチングをするspotgigのようなアプリも登場している。このような空き時間を利用して自由に働く人たちのことを「ギグワーカー(Gig Worker)」と呼び、その働き方が注目されるようになってきた。

 しかしギグワーカーは、“雇用に縛られない自由で楽しい働き方”なのだろうか。

ギグワーカーとは

 ギグワーカーの「ギグ」は、音楽業界のスラングから来ているらしい。元々は、ジャズのライブなどで一度限りのセッションを行うことをギグと呼んだ。

 これが転じて、特定の企業に雇用されずに、断片的で単発的な仕事を受注する働き手をギグワーカーと呼ぶようになった。特にインターネットを利用して単発の仕事を受注する働き方だ。

 ギグワーカーが対象とする業種は多岐にわたるが、とりわけビジネスモデルとしてわかりやすいのは配車アプリのUber(ウーバー)を活用した働き方だろう。

 Uberは米国ウーバー・テクノロジーズ社の配車アプリだ。アプリにドライバーとして登録した人が、空き時間を利用して移動したい人を自分の車に乗せる。つまり、Uberは移動したい人と、その人を車に乗せる時間のある人をマッチングするアプリだ。このようなサービスをライドシェアと呼ぶ。

 一見タクシーに似ているが、タクシーはタクシー会社に雇用されているドライバーが運転している。一方Uberに登録したドライバーは、ウーバー・テクノロジーズに雇用されているわけではない。あくまでマッチングアプリの登録者であり、本業は他にある人も多い。

 日本でもすでに、時間が空いている人が、食べたい人に料理を届けるUber Eatsは普及し始めている。

 ギグワーカーの定義には多少の揺らぎがあるが、インターネットを利用して都合の良いときに単発で仕事を受ける人という意味であれば、ランサーズやクラウドワークスなどのクラウドソーシングサービスを利用して仕事を受注する人たちもギグワーカーと呼べるので、日本でも少し前から広まっている働き方と言える。

ギグワーカーとアルバイト、フリーランスの違い

 ギグワーカーの定義は、やや曖昧なままである。インターネットを利用して単発の仕事を受注する者だとすると、クラウドソーシングを利用しているライターやプログラマー、デザイナー、通訳などのフリーランスも含まれる。

 しかし、定義をもう少し狭く捉え、フリーランスとは異なる働き方だとする考えもある。

 まず、ギグワーカーが正社員ではないということではアルバイトも含まれそうな気がするが、アルバイトは特定の企業と雇用契約を結び、定められた時間の労働力を提供する時間報酬型であることからギグワーカーではない。

 そして、フリーランスも自分の裁量で単発の仕事を受注しているという点ではギグワーカーに含まれるが、ギグワーカーは請負ではないと定義する立場からすると、フリーランスとは異なる。

 フリーランスは単発のプロジェクトにおいて、発注者と請負契約を結んでプロジェクトの完了まで責任を持って業務を遂行する。たとえば私のようなフリーランスのブックライターであれば、出版社の依頼に応じて一冊の本の原稿を書き上げ、完成させることで報酬を得る。

 ところがギグワーカーは、プロジェクト単位ではなく、自分の好きな時間だけ労働力を提供し、仕事の発注者と請負契約を結ぶのではなく、マッチングサービスを提供するプラットフォーム事業者と契約する。たとえば出版社で午後2時~4時の間だけ校正作業を手伝える人をマッチングアプリで募集していて、たまたまその時間帯に手が空いている人が作業に参加するといった具合だ。

都合のいいギグワーカー

 仕事を発注する企業側のメリットは、言うまでもない。仕事があるときだけ人手を得られるということは、仕事のピーク時に合わせて人を雇うことで固定費が高くなる経営上のリスクを回避できる。人件費を固定費から変動費にしたいという企業側の思惑に合致する。

 また、業務内容に適した能力やスキルを持った人材を多数の企業で共有できるため、新しい業務が発生する度に社員教育の費用が発生したり、せっかく教育したスキルが市場の変化や事業内容の変化により無駄になってしまうリスクも回避できる。

 スキルを持っているのに職場で活かせる機会がなかった人材が、活躍できる可能性が出る。これは社会全体のスキルの有効活用につながると考えることもできる。

ギグワーカーは好きな仕事を自由にできるのか?

 働く側にとっても、ギグワーカーは一見すると自由で魅力的だ。

 ギグワーカーはポートフォリオワーカーのひとつであるため、複数の仕事を組み合わせることができる。たとえばライターの仕事で手が空いたらUber Eatsで料理を届け、声がかかれば映画のエキストラとして撮影に参加するといった具合だ。

 あるいは、農作業の合間にプログラミングやデザインの仕事をするなども考えられる。フリーランスの中にはすでにこのような働き方をしている人は多いだろう。

 つまり、特定の企業の特定の部門の業務に縛られずに、自分の好きな仕事なら何でも取り組めるという自由さが最大の魅力だ。

 このことで、自分の才能やスキルを存分に活かせるという満足感も得られる。また、複数の収入源を持つことや、特定の企業や業種に依存しないことで、仕事を失うリスクを分散することもできるかもしれない。

 さらに、働く時間を自分で決めることができるので、ワークライフバランスを自分でコントロールすることができる。子育てや介護などでフルタイムで働けない事情がある人などには、好都合と言えるかもしれない。

 ただ、良いことばかりのように見えるギグワーカーだが、安易に良い話だと受け止めてはいけない。問題点はもちろんある。

ギグワーカーは使い捨てか

 まず、すでにフリーランスの人であれば気づいているように、ギグワーカーは社会保険や労災などの福利厚生は受けられない。また、給料が保証されているわけではないので、怪我や病気で仕事ができなくなれば、即収入が途絶えてしまう。つまりセーフティーネットがないのだ。

 次に、ギグワーカーはインターネットに接続されたデジタルデバイスを活用できなければ仕事を得られないため、ICTリテラシーがない人はまず参加できない。

 また、ギグワーカーとして高額報酬を得られる仕事は限られている。やはり高度なスキルや専門性が必要とされる仕事ほど、時間あたりの報酬額は高くなり、誰でもできるような簡単な仕事ほど、時間あたりの報酬は低くなる。

 その結果、同じ時間働いても、能力やスキルの差で収入に大きな開きが生じる。これは新たな格差を深刻化させてしまう可能性があるだろう。

 そもそも企業がギグワーカーを使うのは、社員の雇用に必要なもろもろの手間と費用を省けるためだ。考え方によっては、それらの費用を省いて搾取されているのがギグワーカーだといえる。

 次に、会社員であれば会社の研修などで身につけられる知識やスキルを、ギグワーカーは自らの努力と出費で身につけなければならない。これを怠っていれば、いつまでも時間当たりの報酬が低いギグワーカーのまま。ギグワーカーは会社員よりも自分の市場価値の高さが収入に影響しやすいのだ。

 社会全体として見ると、ギグワーカーの使い勝手が良くなるほど、企業は正社員を雇用する必要がなくなるため、不安定な雇用状態にある労働者が増えてしまう。

 その結果、毎月安定した収入があり、毎年昇給することが見込まれることで社会的な信用のある消費者が減れば、一定レベル以上の金額の商材(車や家など)は購入されなくなり、景気が冷え込む可能性がある。

 同時に、正規社員の雇用を抑制してギグワーカーに労働力やスキルを求めるようになれば、企業のノウハウの蓄積が行われなくなる。このことは、企業側の生産性を高める動機付けをなくすと同時に、生産性を高める仕組みも失わせるのだ。つまり、ギグワーカーに依存していると、企業も成長できなくなる。

ギグエコノミーの先にあるもの

 筆者は個人的に、夫婦のどちらかが会社員として得られる収入だけで家族が生活でき、子どもを学校に通わせ、車や家を持て、旅行にも行け、老後の不安がない、というのが“良い社会”だと思っている。

 そうすれば、妻もしくは夫はより手の込んだ家庭料理を作ることができ、子どもたちに安全な食事を与え、何より自分の手で子育てができる。もちろんこれは「そうすべきだ」という話ではなく、あくまでそのほうが余裕を持って生活できるという話だ。

 しかし、日本人の貧困化が進んだ以上、共働きでなければ生計を維持することは難しくなっている。かつて一般的とされた「片働き・専業主婦(主夫)モデルの結婚」は贅沢品となってしまった。

 男性も女性も働き、自立する者同士が結婚して生活すると言えば聞こえはいいが、一人では自立できないから共に働いてなんとか凌ぐケースもあろう。政府は“女性の社会進出”を明るくポジティブに推進するが、「やむを得ず」働かなくてはならないのだとしたら、手放しに歓迎できない。

 こうした情勢において、デフレで儲けても社員への還元や投資を行わず、内部留保をひたすら貯め込み、株主への配当金を増やすことで評価される経営者にとって、人件費という固定費を削減できるギグワーカーは、便利に使い捨てできる労働者として重宝できるというのが本音ではないだろうか。しかもギグワーカーは自己責任で働いてくれる。

 しかし政府や経済界は、そのような本音はおくびにも出さず、「一人ひとりの可能性を引き出し、より柔軟で自由な働き方ができる社会を」といった綺麗事でごまかそうとしているのではないか。

 つまり、労働力を変動費として都合良く手に入れたい企業と、空き時間をやりくりして自己責任で働かざるを得ない労働者の間で仲介料を稼ぐプラットフォーマーばかりが稼ぐ悪しき時代に向かっているように思えてならない。

 その結果、ギグワーカーに「なりたい」のではなく、「ならざるを得ない」時代に向かっているような気がしている。以上が、「やむを得ず」自営業者になった筆者個人の懸念にすぎなければ良いのだが。

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