東洋と西洋の文化の衝突
『フェアウェル』のテーマは、東洋と西洋の文化の衝突だ。今も中国に暮らす親戚や、大人になるまで中国で暮らした両親は東洋のメンタリティと習慣を維持している。だが、双方のバックグラウンドを持つビリーのみが板ばさみとなる。
8歳で中国を出たビリーの中国語は日常会話レベルだ。”難しい”単語は中英バイリンガルの父親に尋ねなくてはならない。中国で英語話者に出会うと、無意識に気兼ねのない会話をしてしまう。中国を出たことのないおばあちゃんに分かるはずもないアメリカの事情はサラリと省いて説明し、食事も含めて中国の文化は共有する。
数日間をこうして過ごしたビリーは、自分でも忘れていた移民の子供としての辛い体験を思い出す。自分の中にある中国とアメリカ、東洋と西洋に気付いていく。
この複雑なビリーを、オークワフィナは静かに、見事に、演じた。
オークワフィナはビリー
オークワフィナ(本名:ノラ・ラム)はニューヨーク出身。韓国系の母親はオークワフィナが4歳の時に他界し、以後、中国系の父親と祖母に育てられる。母親代わりの祖母と『フェアウェル』の祖母を重ね合わせ、オークワフィナはビリー役がこれまで演じた役の中で最も自分に近いと言う。
高校はマンハッタンにある、パフォーミングアーツに特化したラガーディア高校に進む。ここでクラシック音楽とジャズを専攻し、トランペットを学ぶ。同時にチャールズ・ブコウスキーの詩に傾倒する読書家でもあった。
この時期、あまりにも内省的な自分を客観視するためのオルター・エゴ(もう一人の自分)としてオークワフィナというキャラクターを創造し、ステージネームとする。大学ではジャーナリズムと女性学を専攻。途中、中国語を学ぶために北京に留学。
このように複雑な文化背景を持つオークワフィナは、2013年に『ニューヨーク・シティ・ビッチ』というラップ・ソングをヒットさせている。
「ニューヨーク・シティ・ビッチ、それが私の出身地」「あんたみたいな他所の州から来た偽物はiPadを盗まれたりするんだよ」
リリックには上記のフレーズがある。同曲が収録されているアルバムのタイトルは『イエロー・レンジャー』。アジア系・黄色人種を指す侮蔑語 ”イエロー” に基づくものだ。
アメリカ人、ニューヨーカーとしてのアイデンティティと、アジア系としてのアイデンティが錯綜する様は、まさにビリーだ。かつ、ラッパーでもあるオークワフィナは黒人文化をも吸収しており、『クレイジー・リッチ!』での話し方が黒人の模倣と批判されたことは記憶に新しい。
アカデミー賞ノミネートならず
アジア系女優として初のゴールデン・グローブ賞受賞者となったオークワフィナに対し、東アジア系初のアカデミー賞主演女優賞ノミネートの期待も一気に膨らんだ(*)。かつ作品自体も優れている『フェアウェル』(監督:ルル・ウォン)の各部門へのノミネートも期待された。
*1935年に南アジア系(インド系)のMerle Oberonがノミネートされている
ところが1月13日、発表された今年度アカデミー賞ノミネート一覧にオークワフィナも『フェアウェル』も含まれていなかった。同様にノミネートが期待されていたルピタ・ニョンゴ(ケニア系メキシコ人)、ジェニファー・ロペス(プエルトリコ系)も漏れている。発表の瞬間から#OscarsSoWhite(アカデミー賞は白人ばかり)のハッシュタグが復活した理由だ。
なお、全米で絶賛された『パラサイト』は複数のカテゴリーでノミネートを果たしている。
自伝的・新作シットコム開始
アカデミー賞ノミネートを逃したオークワフィナの今の心境は不明だが、新作シットコムのオンエア開始が1月22日に迫っている。コメディ専門のケーブル局、コメディ・セントラルでの『オークワフィナはクイーンズ出身のノラ Awkwafina Is Nora from Queens』だ。
ノラはオークワフィナの本名、ニューヨーク市のクイーンズ区は実際の出身地だ。そこで20代後半になっても仕事もなく、親と同居するアジア系女性ノラと、その祖母や友人たちが中心となるコメディだ。
昨年より『サタデーナイトライブ』でアジア系初のレギュラーとなっているコメディアンのボウエン・ヤンがイトコ役、『ロー&オーダー』などで知られるベテランのアジア系俳優、BDウォンが父親役を演じる。オークワフィナはエグゼクティブ・ディレクターも兼ねており、まさに自伝的内容だ。
ラップ、コメディ、クラシック音楽、ジャズ、詩、ジャーナリズム、女性学、中国、ニューヨーク、韓国……。新世代のアジア系俳優、ノラ・ラム aka オークワフィナの引き出しは、まだまだ無限にあるに違いない。
(堂本かおる)
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