ライターとしてweb恋愛コラムを量産しまくった私の懺悔と「愛され女子」撲滅の誓い

【この記事のキーワード】

なぜ女性だけ「愛され」を目指すのか。「恋愛」における男女の非対称性

 ライター生活2年目に入り、安定して仕事をいただけるようになってからは、「将来が不安すぎて眠れない」ことはほぼなくなったのですが、そうなると今度は、「どの仕事を受けて、どの仕事を断るべきか」という問題が出てきました。

 自分が好きでしている仕事は続けるとして、でも前述したような嫌だった仕事をすべて断ち切っても生活が成り立つほど稼げるわけではない。だからまず、恋愛コラム系の依頼で、「愛され系」かつ自分のポリシーと合わないものはNOと言うことにしました。毎回、「これは女性をエンパワーする記事になるか、それともこれまでの性別役割を強化するものになるか」という視点で依頼を吟味するようになり、あらためて疑問がわきました。

 なぜ女性だけ「愛されること」を求められ、女性自身も自分が気になった人にぐいぐいアプローチしてゲットするのではなく、アプローチされることを求めるのか。

 Google検索でも、ここ数年、「愛され 女子」はコンスタントに検索されていますが、「愛され 男子」はほぼゼロ。

 なぜ恋愛・性愛関係において、女性は受け身寄りなのか……。この疑問に端を発し、どうやって「現在の男女関係や恋愛の形ができあがったのか」を知りたくなりました。いくつか本を読んだ中で、一番腑に落ちたのは、『男たち/女たちの恋愛: 近代日本の「自己」とジェンダー』(田中亜衣子著)です(実はこのコラム、ブックレビューだったんです! 前置きが長くなってすいません)。

 百人一首は恋の歌が多いし、昔から日本には恋愛という概念があったのかと思いきや、恋愛という言葉は明治期に作られた造語なのだそうです。恋愛ブームがくるのは大正時代。明治期にロマンティック・ラブ・イデオロギーが誕生し、愛と性と結婚が一致し、一夫一婦制を営むことが理想とされるようになりました。

 明治20年ごろに夫婦愛という概念もできました。男の役割は立身出世で、外で働いている夫にとって家庭は安らぎの場所であり、自己を解放できる場。一方の女性にとっては家庭こそが職場であり、妻の愛は妻自身の自己実現のためではなく、夫のために使われるべきものとされた……「男」と「女」はまったく別の生き方を求められていたのですね。

 男女の恋愛観の非対称性が、どのように作られてきたのか。それを理解するにあたって、豊富なデータをもとにわかりやすく解説している『男たち/女たちの恋愛: 近代日本の「自己」とジェンダー』は、非常に役に立ちました。同時に、「異性愛が普通とされ同性愛が周縁化されていった過程」についても詳しく紹介してくれる一冊でした。

 現在の男女関係・恋愛関係を、「自然な状態」として受け入れている人はとても多いでしょう。私も、これが「自然な状態」だという前提で、たくさんのweb記事を作ってきました。そこに疑問を呈するような原稿は、求められていませんでした。だって、そのほうが「読まれる(可能性が高い)」から。

 でも、長い歴史の中で、為政者によって意図的に構築されてきた価値観が、「自然な状態」であるはずがありません。そしてこの社会的な概念は、時代と共に変わっていくものでもあります。

 「原宿なつき」という名前は、これまで適当な記事を量産してきたライターネームを残したくなくて、新しく使い始めました。名前を一新しても過去に書いてしまった記事は消せないけれど、自然だと思い込まされている不自然な恋愛観や、ジェンダー観を、この時代と共に「変える」記事をこれからは作っていく。それが私の仕事です。

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