シングルマザーが追い詰められる「お金」「情報」「人」の不足

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「GettyImages」より

 2020年になってまだ1カ月も経っていないが、シングルマザーが子どもに危害を与えてしまう事件が2つ起きた。どちらも母親が追い詰められていたのがわかる事件だ。

 ひとつは、正月に報じられた未婚女性による新生児放置死事件である。

正月に起きた新生児放置死事件

 1月2日、生後間もない娘を自宅に放置して死亡させたとして、母親である足立区の31歳のアルバイト従業員が逮捕された。

 産経新聞と共同通信の記事によると、女性は12月28日の朝に自宅浴室で娘を出産。翌29日と30日は掛け持ちしているアルバイトへ行くために長時間自宅を空けていた。

 「子どもが動かなくなった」と女性が119番通報したのは、1月1日の夜。救急隊員が駆けつけた時点で、赤ちゃんは心肺停止の状態だったという。

 生後数日だった赤ちゃんの体重は約1350グラム。この母親は妊婦健診を受けておらず、出産後も医療機関を受診していなかった。医療機関を受診しなかった理由は「お金がなかったから」だという。

 赤ちゃんの出生体重はわからないが、生後数日でたった1350グラムしかなかったということは、低出生体重児だった可能性が高い。適切な医療を施さなければ、順調に成長していくことは難しかったかもしれない。しかし母親は金銭的に困窮し、あまりに小さな我が子を病院に連れて行くこともできなかった。そして産後すぐに働き、お金を稼がなければいけなかった。

「貧すれば鈍する」を食い止められなかった

 この母親は出産後、薬局で粉ミルクや哺乳瓶を購入していた。娘にはベビー服を着せていたそうだ。女性なりに子どもを育て、生きていくつもりだったのではないか。しかも彼女は、出産直後からアルバイトに行っている。かなり金銭的に切迫した生活環境であったのだろう。

 それほど逼迫していたにもかかわらず、公的機関に助けを求めることはできなかった。「発想がなかった」のか「諦めていた」のかは、記事ではわからない。しかし、適切な相談相手や情報を得る術がなかったのは明らかだ。

 このニュースは、医療・社会福祉の網目からこぼれ落ちてしまったとき、人は「生きるための情報を得られないまま追い詰められていく」ということを世間に突きつけた。突き詰めると、この事件は「お金・情報・頼れる存在」が乏しいことがトリガーになっている。

発達障害の子に暴力をふるった事件

 1月14日には、このような事件も報道された。

 1月12日に47歳の女性介護士が小学校6年生の長男の腹を蹴ったとして、暴行の疑いで逮捕された。UHB 北海道文化放送によると、女性は長男を含め子ども3人を抱えるシングルマザーで、長男は発達障害だった。

 警察の発表によると、きっかけは女性が長男に洗濯物を干すように頼んで出かけたが、長男が洗濯物を隠してしまったことである。女性が帰宅後、ベッドの下に洗濯物を見つけ、その際に下腹部を2回蹴った疑いが持たれている。

 事件発覚の経緯は、支援していた役場職員が女性から暴行の話を聞き、警察に通報したことである。以前にも、この女性は長男に対して暴行した疑いで書類送検されており、不起訴になっていた。

 取り調べでは「また手をあげたら捕まってしまうと思っていたが、自分で自分を止められなかった。もうこの子を育てられない。無理です」と供述しているという。

行政のサポートがあっても追い詰められた母親

 発達障害は個人差が大きく、マニュアル化した対応では何とかなりはしない。また、この母親は仕事をしながら3人の子育てをしており、日々の生活で彼女の苦労が偲ばれる。

 この母親は以前にも暴行容疑で書類送検されているので、定期的に家庭への行政の介入があったはずだ。しかし、行政の支援を利用しても、1人で子ども3人を養育することは精神的にも金銭的にも楽ではない。どれほど大変な暮らしをしてきたのだろうか。行政のサポートがあっても、追い詰められてしまったのだ。

 ただこのケースは見方を変えると、行政の介入があったことで女性は役所にSOSを出せたともいえる。言い換えれば「頼れる存在」が役所だけだったのかもしれない。

「お金」「情報」「頼れる人」が足りない

 どちらの事件も、女性は母親としての務めを果たそうとしていた。なぜ抱えきれなくなってしまったのか。

 その理由のひとつは、「生きていくために必要なもの」がなかったからだろう。

 人は「お金」がなくては生きていけない。生きるための「情報」も必要である。物理的・精神的な支えとなる「頼れる存在」がいないと孤独になってしまう。「お金・情報・頼れる存在」の3つは、人間が生きる上で大事なものだ。

 特に育児は、3つのうちどれが欠けても追い詰められてしまう。もちろんシングルマザーだけに限らない。お金や情報、頼りになる存在のどれかが欠けているならば、サポートが必要だ。

 新生児を放置死させてしまった事件は、この3つすべてがなかった。長男を暴行してしまった事件は、行政支援が十分ではなかったのかもしれない。

 もうひとつは、「普通の人にとって当たり前」なことができないと生活難易度が上がるということだ。できて当たり前のことを、できない(しない)のは生き辛い。育てている母親も苦しい。

 新生児を放置死させた母親は、医療・公的機関に「頼る」という選択をしなかった。Twitterでは「どこかに相談していれば……」と多くの人が嘆いていたが、相談しなかったのかもしれないし、相談した相手が頼りにならなかったのかもしれないし、相談しても拒絶されたのかもしれない。

 また、北海道の事件でいえば、「発達障害」は近年認知の広がりとともに支援の数も充実しており、障害者手帳の取得も可能になっている。だからといって、「発達障害の長男」の子育てが、「発達障害でなく育てやすい子」の子育てと同じようになるというわけではなかっただろう。ましてや働きながら、他に2人の子も育てている。SOSは必然ではないだろうか。

 すべての人が安心して子育てできるような社会になってほしい。その願いに、異論のある人はいないだろう。けれど一方で、「今の母親は甘えている」といった自己責任論もまだ跋扈している。

 誰にも甘えず頼らずたったひとりで、母親が子育てする状況は、「安心」とは程遠く心細いものだろう。「お金(貧困対策)」ももちろんだが、それだけではなく「頼りになる存在」がいることがどれだけ安心につながるか。そうした存在がいることで、「適切な情報」を受け取る環境も整っていくのではないか。

 行政のサポート窓口へさえたどり着けば解決とは決していかないが、少なくともそこはひとつの入り口だ。セーフティネットがあることの周知・対応を、これまで以上に拡充させていく必要がある。そのための予算と人員は、削ってはならない。

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