『きのう何食べた?』にみる日常の連続と「年をとる」ということ

文=久保豊
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東日本大震災後の家族とホームムービー

 2011年の暮れ、東芝は「僕とLEDの10年」というLED電球のCMを放映開始した。

 このCMは、ある男性が電球を新しく取り替え、電気をつける場面から始まり、独身時代、新婚時代、妊娠、子供の誕生と成長、愛犬の死、そして家族の拡大を10年間のスパンで描く。まるで影絵のように登場人物たちをシルエットで見せる手法は、視聴者にとって、暖色のLED電球に照らされた部屋(家)で過ぎ去る10年間の物語と感情移入しやすい効果的な演出となっている。

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【図4】電球を替えてから10年後の2021年12月31日が明るく照らされている

 このCMの最後、「10年前は想像しなかった自分」というナレーションと共に、2021年12月【図4】までに過ぎ去った10年間の1日1日がカレンダーのように提示される。画面がもう一度暗くなり、「同じあかりの下で、幸せな日々は続いていく。」というキャプションの後、新しく交換されたLED電球が夫婦と子供3人のシルエットを再び照らし始める。「今日替えたLED電球は、10年後の私たちも明るく照らしていることだろう」と、新しいDay1から始まる家族の未来を展望させる。

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【図5】赤ん坊が立ち上がる瞬間をビデオカメラで撮影する父

 LED電球を交換して「〜日」経過したか示すことで、ある男性とその家族の日常がカレンダーのように記録されていく。例えば、「1804日」は赤ん坊が歩き始めた記念日である【図5】。CMは、父親が赤ん坊の初めての歩行をビデオカメラで撮影し、子供の成長(=エイジングの過程の一部)をホームムービーとして記録に残す姿を提示する。このように、ある家族がホームムービーを撮影するきっかけとなるのが子供の誕生であり、成長の記録が収められていく。

 ホームムービーの歴史は古く、映画が誕生した1895年にフランスのリュミエール兄弟が制作した『赤ん坊の食事』にまで原型を辿ることができる。屋外のテーブルで、兄オーギュストと妻マーガレットが赤ん坊の娘アンドレに食事を与えている様子を、弟のルイがシネマトグラフで撮影した一分弱の作品である。葉っぱや涎掛けを揺らす風の動きだけでなく、背景に映る土埃、そして生きている赤ん坊が動いている様子が捉えられていることに当時の観客は驚いたとされる。

 1920年代前半に不可燃性フィルムを用いた家庭用撮影機と映写機が登場し、日本でも富裕層や元々写真愛好家だった人々によってホームムービーが撮影されていた。戦後日本では、高度経済成長期に入った1950年代後半から8mmフィルム撮影のブームが再燃し、1964年の東京オリンピックや1970年の大阪万博といった大規模イベントへの家族旅行だけでなく、地域のお祭りやピクニック、誕生日や運動会といった「ハレの日」を中心にホームムービーが撮影されてきた。

 上記のテレビCMに映るホームムービー撮影の様子は、このような歴史の連続性の上に成り立っている。ここで見逃してはならないのが、ホームムービーは男女の夫婦と子供がいる家族を主体とした、極めて異性愛規範的なアマチュア映画である点だ。震災後に絆の重要性が叫ばれたとき、その絆にはもちろん友情も含まれたが、その中心にあったのは「僕とLEDの10年」が示すような異性愛的な絆、そしてその絆から形成される異性愛家族の増幅ではなかったか。

 【図4】は、ある一つの家族の10年間を視覚化したカレンダーである。しかし、視点を変えれば、このカレンダーが示す一日一日は、まるで集合住宅で暮らす別々の家族たちの家が照らされていると読むことも可能だろう。同一的な異性愛家族が震災から10年をかけて均一に増幅し、次の10年にかけてさらに拡大していく。この照らし出された家々の中に、シロとケンジが暮らす空間は存在しうるだろうか。

『きのう何食べた?』は同性カップルの未来を想像させうるか?

 同性パートナーシップの整備や同性婚に向けた法律上の議論が進められている一方で、同性カップルやトランス女性/男性を含む家族のイメージに対する豊かな想像力を、2020年代以降の映像製作者たちは養わなければならない。

 『きのう何食べた?』は、そのような豊かな想像力をよしながふみの原作から脚色することで獲得した。西島と内野の細かな演技によって、その想像力がシロとケンジというゲイカップルの日常へと表現されることで、多くの視聴者を説得させることができたのだろう。

 その想像力はエイジングの観点からも重要である。シロとケンジが共に年を重ねる過程が描かれるマンガが原作であるがゆえに、テレビドラマ版『きのう何食べた?』もまた、実際に西島と内野が年々老けていったとしても、いや、老けるからこそ、お正月スペシャルのように継続してシロとケンジのエイジングを違和感なく演出できるのだ。

 ケンジが撮影するホームムービーは、西島と内野の演技に染みついたシロとケンジが共に生きてきた時間を記録したものだ。第一話で二人が口論する場面において、ケンジは次のように吐露し涙を流す。「ごめん。でも。でも、うちの店の店長はお客さんに自分の奥さんや子供の話をするよ。なんで俺だけ、自分と一緒に住んでる人の話を誰にもしちゃいけないの?」と【図6】。ケンジにとって、オープニングクレジットのホームムービーは、「一緒に住んでる」シロとの日常を(視聴者と)共有する役割を果たす。

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【図6】シロとの暮らしを誰かと話したいと打ち明けるケンジ

 シロはケンジの言葉に直接答える代わりに、手料理でケンジへの愛情を示す。料理を作ることがシロにとってケンジと暮らす日常の象徴なのだ。だからこそ、料理するシロを映すケンジのホームムービーがオープニングクレジットとして毎エピソードの始まりを刻むのは、『きのう何食べた?』が単なる飯テロドラマではなく、ゲイカップルの日常を映し出すことで異性愛規範的な定義をラディカルに作り変えるホームムービー的飯テロドラマであるからだ。

 日本映画やテレビドラマにおいて、中年や高齢の性的マイノリティを描く作品はあまりにも少ない。だからこそ、シロとケンジの日常を映像化する意義は、中年のゲイカップルが共に年を重ねる経験に対する想像力を地上波で拡散した点にある。中年のゲイカップルとして彼らが提示する日常は、無数にある生き方の一つに過ぎないかもしれない。しかし、二人が日常の連続のなかで年をとる姿は、シロやケンジと同世代の人々だけでなく、クィアな若者たちにとっても未来を想像するための糧となるだろう。

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