フェミだけど彼氏に自分の苗字を強要していいわけじゃなかった

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「GettyImages」より

 つい2カ月ほど前のことです。私は、彼氏(以下、鈴木とします)と結婚について話し合っていました。結婚話が出たとき、私は「女性が苗字を変えるって常識になっていることがイラつく」という話をしました。

 彼は、「自分は長男だから、苗字を変えるとなったら親に相談する必要がある。ちょっと難しいかも。でも説得してみる」と言ってくれました。自分が苗字を変えるのは嫌だ、とは一言も言いませんでした。

 ところが、彼はご両親を“説得”することはできず、相談してみた結果、「孫で男が自分しかいないから、祖父母が鈴木家を継いでほしいと言っている」とのことでした。

 だけど私も苗字を変えたくありません。30年以上この苗字で生きているし愛着もある。鈴木(実際は鈴木ではありませんが、それに近いよくある苗字です)って……原宿(私の苗字)の方が絶対いいやん! それに、「結局、女が変えるというシステム」に加担するのが嫌すぎました。

 入籍してどちらかが苗字を変える必要のない事実婚という選択肢もあります。そこで、「事実婚にしようか?」と提案したのですが、「事実婚は親や祖父母的に絶対NG」とのことでした。

 自分の姉にもちらっとこの話をしたところ「事実婚とかありえない! ガルちゃん見て! はあちゅうとかめっちゃ叩かれてるから」と、どうでもいい情報を教えてくれつつ、猛反対されました。

 そういった経緯もあって、彼氏の前で「なんか、もうめんどくさいなー」という態度を取るようになっていた私に、鈴木は「僕だって、鈴木じゃなくなることは寂しいと思ってたけど、原宿の意思を尊重して動いていたのに、僕が苗字変えるのが当然、みたいな態度をされて悲しい」と言いました。

……正論です。

 今振り返って考えてみたら、自分の気持ちを押し付けすぎていたな、と思えます。でもあのとき指摘されるまで、私は「自分が苗字変えるのが当然って思われるのが嫌だったのに、いつのまにか相手が変えるのが当然だと思うようになっていた」ということに、まっっったく気がついていませんでした。

「戦ってきた相手に似てきてしまう」

 2019年12月28日(土)、下北沢の書店B &Bにて行われたトークイベント『フェミニズムのさまざまなかたちを、‘弱さ’から考える』に行ってきました。

 登壇者は『ぼそぼそ声のフェミニズム』(作品社)を発売されたばかりの栗田隆子さんと、名古屋市立大学人間文化研究科准教授の菊池夏野さん。

 イベントは栗田さんがこれまでされてきた労働運動の紹介から始まり、運動内での権力関係の話や、女性の貧困への対策としてキャリア教育のみが強調されることに対する違和感などが語られ、頷くばかりでした。

 さらに今盛り上がっているフェミニズムも、決して手放しで賛同できるような動きばかりとは言い切れません。対等であろうとせず権力関係を作り、知識がある人から「教えてもらう」ことに終始しがちなフェミニズムの現状への懸念など、とても刺激を受けました。

 私が一番心に残った言葉は、大阪大学大学院で哲学を学んだ栗田さんが引用した、ニーチェの言葉でした。ニーチェは「人は自分が戦った者と、よく似た者となる」という趣旨の言葉を残しているそうなのです。

  栗田さんは、「人は自分が戦ったものと、よく似た者となる」という言葉を、「弱者としての女性という立場から出発し、体制と戦ってきた人が、いつのまにか自分の権力に無自覚になり、パワハラまがいのことをしてしまうことがある」という文脈で使われていました。

 ああ、私も彼氏にそれをしてしまった。身に覚えがありすぎました。

専門家・研究者じゃなくても、いや、ないからこそ証言できることがある

 『ぼそぼそ声のフェミニズム』では、「弱者側の立ち位置にいた人が、いつの間にか自らの権力に無自覚になり、権力関係ができてしまうこと」は、労働運動内部やフェミニズム運動の現場でも頻繁に見られることだと繰り返し指摘されています。

 だから、人権派として活動していた「偉い人」が、パワハラやセクハラを告発されることだって当然あります。実際にいくつもそんな事件が報じられることはありましたよね。

 フェミニズムについても、大学のエラい先生、つまり研究者などに、その分野に明るくない人が「先生、教えてください」と教えを請うスタイルの記事がメディアにはたくさんあります。そこにも一方的な「教える・教えられる」の権力構造があるのではないでしょうか。

 もちろんSNSでは市井の人々が大勢、匿名で実感を語り、共感し合っています。ただ、一般の人々が“大きな声”を出せるわけではありません。普段そうした小さな声を耳にするコミュニティを築いていない多くの人には、大手メディアなどで目にするフェミニズムのイメージを、「高等教育を受けた頭のいい選ばれた人だけが語っていいもの」だと感じているかもしれません。

 また、「教える・教えられる」関係を通してしか学べず、自分が声を上げたとしても「お前の認識は正確ではない」とマウンティングされるような状況があるとしたら、フェミニズムはこれ以上広がらないでしょう。

 栗田さんが過去、女性の貧困がテーマのシンポジウムに登壇した際、「貧乏な女性の登壇者」は栗田さんひとりきりだったことがあったそうです。当事者の声を壇上に上げず、その属性の人々について語ることへの違和感は拭えません。

 社会を動かすためには、「専門家」だけで話し合うのではなく、様々な立場の人が意見を表明し、連帯していく必要があります。

 栗田さんは、非正規・独身(結婚制度は女性の貧困を維持するシステムのひとつだとして反対という立場)・生活保護受給経験あり、というアカデミズムと距離をとった位置から発信しています。

 『ぼそぼそ声のフェミニズム』において、栗田さんは<私自身は、教える、というよりもむしろ「証言し」「還元していきたい」>とし、<華やかな論破の能力もなく、すぐに男女平等を生活の中で実現できない立場からのフェミニズムを軸とするぼそぼそとしたつぶやきを、途切れ途切れでもやめずにいたい>と表明しています。

 私自身も、研究者ではなく専門的知識がとくにあるわけでもない立場から、ジェンダーやフェミニズムについて「ライターとして」発信してきました。これまで、「専門家じゃないけど、いいのかしら」「もっと知識がある人がするべきこと?」と迷うことは何度もありました。

 けれどそうした迷いはもう振り切れそうです。多様な立場からの実感を伝えることは大切だよね、という当たり前のことに気づかされた気がします。

 冒頭の結婚と苗字問題しかり、「戦っている相手と似ちゃう現象」についても、このごろは意識するようになりました。彼氏の鈴木には自分の非を認めて謝り、今は仲良しです。結婚の予定も変わらずあるけれど、苗字については保留中……早く夫婦別姓OKにならないかなあ。

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