麻生太郎副総理兼財務大臣による「単一民族発言」の問題を指摘するケイン樹里安さんの論考を21日に公開した。その中で批判的に言及された、東京外国語大学・伊勢崎賢治氏が主宰するイベント「あなたは⽇本⼈何パーセント? Letʼs 「混ジャパ」Project 堀潤さんと一緒に2030年の日本人を考える」の名称および告知文が、翌22日に変更されている。
麻生太郎の失言と「純ジャパ/混ジャパ」イベントの狭間で――誰が「単一で純粋な日本人」を語るのか
麻生太郎副総理兼財務大臣が、地元・福岡県内での新春国政報告会での講演で多くの有権者を前に「2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言…
ゲストの堀潤氏が前面に出されるタイトルになった、そして定義不明のまま使用されていた「混ジャパ」という文言が消えるなど、複数の修正がなされている。批判に対する応答として評価する一方で、「簡単に片付けられる問題ではない」と言うケイン樹里安さんに追加の寄稿をお願いした。
名称の変わった「純ジャパ/混ジャパ」イベント
2020年1月21日の朝8時に公開された「麻生太郎の失言と「純ジャパ/混ジャパ」イベントの狭間で――誰が「単一で純粋な日本人」を語るのか」で、告知文を批判したイベント「あなたは⽇本⼈何パーセント? Letʼs 「混ジャパ」Project 堀潤さんと一緒に2030年の日本人を考える」の名称と告知文が大幅に変更されたことを1月22日17時すぎに知った。
変更後のイベントの名称は「堀潤さんと一緒に考える〜 10年後の日本人 そもそも純ジャパなんて言葉なんて必要?」となったようだ。
告知文の冒頭には以下の文章が赤字で記されている。
「※当初の説明文章が、想定しているイベント内容とは違う誤解を受ける表現がありましたので、関係者・ゲストと調整をした上で、文章を変更させて頂いております。改めて、下記の内容にて、イベント参加についてご検討頂ければ幸いです。」
(https://isezakiseminar2020.peatix.com/)
21日の論考で筆者は、「純ジャパになれない混ジャパ」という表現も含めて、イベントの企図と告知の表現がズレている点を指摘しつつ、批判を行っている。
今回の変更によって、イベントの企図と表現のギャップが埋められているように思われる。
変更された点はいくつかある。まずタイトルに「堀潤さんと考える」という表現が加えられ、ゲストの堀潤氏が前面に出されるようになった。これは「主催者」ではなく、ゲストである堀潤氏が、Twitterに批判への応答として投稿した「修正案」に依拠するものだろう。
僕だったらタイトルこうします!と下記提案しておきました。【「純ジャパ」に違和感!〇〇人とは何かを一緒に考える】。企画してくれた学生はじめ、みんなの気付きになる1日になればと思いますので、ぜひ、お時間ある方はぜひいらして下さい。下地さんのご指摘感謝。 https://t.co/cbC8AagooH
— 堀 潤 JUN HORI (@8bit_HORIJUN) January 19, 2020
加えて、定義がなされないままに提示されていた「混ジャパ」という表現が消え、「純ジャパになれない混ジャパに注目」という文言も消えた。
こうした修正が行われたことで、おそらく、もともと企図されていたと思われる、「単一民族の神話」を解体するイベントを実施するに、いくぶんかふさわしい告知文になったと評価できるだろう。
そもそも、批判と非難はイコールではない。本論考に限らず、当事者、その身の回りの人びと、さらには自らがマジョリティであることを明言した人々、学生時代に「純ジャパ」という言葉を使っていた人々、研究者など、実に多様な人々が、同イベントの告知文の問題性を明らかにする批判を行っていた。そうした人々の批判に、少なくとも「変更」によって応答したことには意義があるだろう。
伊勢崎氏は1月23日にTwitterで「寝た子を起こすな的な批判が殺到した」と書いている。だが、「あなたは日本人何パーセント?」とたえず問われる状況のなかで生き抜いてきた人々は、いつ「寝た子」になったのだろうか。誰も「寝て」などいないから、さまざまな人々による批判が行われたはずだ。
なお「変更」前の告知文の表現が、なぜ「誤解を受ける表現」だったのかについては、一切の言及がなされていない。また、なぜ「誤解を受ける表現」が大学発のイベントとしてそのまま世に放たれたのか、という経緯の説明および再発防止の必要性の明記もなされてはいない。
典型的弁明では片付けられない
告知文の冒頭には「誤解を受ける表現」という文言がある。
「あなたは日本人何パーセント?」「純ジャパにはなれない混ジャパ」といった表現は、当のイベントが「誤解を受ける」ことになってしまう「表現」だったから、「変更」されたのだろうか。その表現の「宛先」となる人々のなかに、多様なルーツをもつ人々がいることは想定されていなかったのだろうか。
そもそも、「あなたは日本人何パーセント?」「純ジャパにはなれない混ジャパ」と書き、翌日になって告知文およびポスターの内容を「変更」したのは、一体、誰なのか。
そして、「混ジャパ」という造語はどこへ消えたのか。
伊勢崎氏は「ハーフでも、ダブルでもない、そんなことカンケーないじゃんって言いたいけど、しっかり存在する“問題”に、様々な「混ジャパ」が集う伊勢崎ゼミが斬り込みます」と2020年1月19日にTwitterに投稿している。伊勢崎氏にとっての「問題」とは、どのようなものだったのか。
そして、すでに問題含みの「純ジャパ」という言葉に対置されていたのであろう、「混ジャパ」という造語は、どのように「斬り込」むことが想定されていたのであろうか。
イベントの中で、どのように主催者(たち)は経緯を説明し、(なぜか修正後にますます前面に押し出されることになった)ゲストは応答し、フロアに集う人々は議論を展開し、いかなる「問題」をワークショップによって「斬り込」むのだろうか。
その「問題」は、「混ジャパ」と呼ばれた学生たち――彼らはその表現や現在に至る経緯について、どのように思っているのだろう――や「変更」した人々や「斬り込みます」と宣言した人々も、そして、批判を行った人々も、「問題」がないと断じた人々も、巻き込むものであるはずだ。
少なくとも、麻生財務大臣をはじめとする政治家の典型的な弁明のような「誤解を受ける」「誤解を招く」といった表現をもって、簡単に片付けられる「問題」ではないだろう。
誰が「単一で純粋な日本人」を語るのか。
わたしたちは、何度でも、自らの言動をふくめて、問い返し続けねばならない。本イベントにかかわる学生たち・教員・参加者と共に、学び続けながら。