政治・社会

普通の男たちを殺し合わせる戦争。第一次大戦記録フィルムが伝える戦場の“地獄”

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© 2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

第一次世界大戦を疑似体験させるドキュメンタリー映画

 『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズで知られるピーター・ジャクソン監督が、第一次世界大戦中に撮影された記録映像を基に、最新技術によって、いまの映像のように鮮やかにカラーリングし、自然で見やすい状態によみがえらせたドキュメンタリー映画が、『彼らは生きていた』だ。

 この作品が貴重なのは、実際にあった過去の戦争を、現在に生きるわれわれが現実のものとして実感できるところにある。イギリス軍とドイツ軍がにらみ合う西部戦線。歴史の教科書や映画で見たことのある塹壕で、兵士たちは確かに存在し、一人ひとりが生きて、そして死んでいったのだ。

 ここでは、そんな本作が映し出した、真実の戦場の姿を紹介していきたい。

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戦場において、人間は人間として扱われることはない

 映画が発明されたのが1890年代。第一次世界大戦当時は、まだ20数年しか経っていない頃のため、記録フィルムは劣悪な状態で、一つひとつの回転速度もバラバラだった。それを根気よくナチュラルな映像へと編集する作業は、気の遠くなるようなものだったはずだ。そのおかげで、観客は一兵士の視点から戦場を体験することができる。

 『彼らは生きていた』でまず映し出されるのは、戦争へ向かおうとするイギリスの社会状況だ。兵士は志願制となっていたが、リビングで子どもが「パパは戦争のときに何をしていたの?」と質問をするイラストが印刷されている当時の宣伝ポスターが象徴するように、志願しない市民がいたたまれなくなるような空気が社会に醸成されていた。若者たちは、「臆病者」と呼ばれることを恐れ、入隊の年齢制限に満たない少年たちも大勢兵士となっていく。軍はそれを知りながら続々と入隊させていったという状況が語られる。

 重い装備を負ったまま、厳しい訓練に励む新兵たち。身体を鍛えて向かった戦場では、彼らはまだピクニック気分で談笑したり、おどけて笑い合ったりしている余裕がある。イギリスのどこにでもいる、普通の青年や男たちである。彼らは写真の中だけに存在する人々や、感情のない戦闘マシーンでなく、人格や個性、そして人権を持った人間だという当たり前のことが、映像を通して伝わり、胸に響いてくる。

 ドイツ軍と対峙する塹壕戦は、幾度となく映画で描かれてきた戦いだ。兵士たちは遠方からの射撃や、大砲による爆撃、病気による下痢に悩みながら、神経をすり減らしていく。いま会話していた戦友が、突然頭を撃ち抜かれるという、極限的で異常な状況が続き、死への感覚が麻痺してくる。

 第一次世界大戦は、本格的な重機関銃や毒ガス兵器など、人類史上初めて、人間を大量に殺傷できる武器を持った戦いとなった。兵士の命は軽く、死体の数はおびただしく増えていく。

 そんな状況下で、ついに歩兵の一斉突撃の命令が下る。有刺鉄線の張り巡らされた、機関銃の激しい射撃が待ちかまえている“死のゾーン”を、歩いて敵陣まで進めというのである。兵士の多くが死ぬことは覚悟の上の、上層部による作戦だ。兵士たちは死が待ち受けていることを理解しながらも、「逃げたら“敵前逃亡”とみなし射殺する」と、背後で銃を構える上官に脅されているので、進まざるを得ない。

 この場面については、さすがに映像が残っていないものの、膨大な資料や兵士たちの証言によって、狂気の突撃がもたらした、現実の出来事とはとても思えない地獄絵図の様子が生々しく伝わってくる。

 興味深いのは、そんなイギリス兵たちとドイツ人捕虜との交流についての話である。自分の命を狙われ仲間を殺害された、憎き敵のはずなのに、知り合ってみると意外と分かり合えるところがあることに、彼らは気づくのだ。それもそのはずで、彼ら前線に立ったドイツ兵もまたイギリス兵と同様に、国の扇動によって死地へと赴かされた、同じ立場の普通の男たちだったのだ。

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兵士たちは何のために戦争で死んでいくのか?

 決死の作戦に参加して生き残った兵士たちの多くは一様に、戦争の意味や大儀の有無について疑問を抱いていると、作中で述べている。

 結局、両国の一般の市民が、危険な戦地に赴くことのない一部の権力者や商売人の利益のために、殺し合いをさせられただけではないのか。それこそが近代的な戦争の本質なのではないのか。でなければ、自国の市民で構成された兵士たちに、このような人権を無視した自殺行為を命じられるわけがない。戦争は市民のために行うわけではないことが、この一点からだけでも理解できる。

 第二次世界大戦における、日本の特攻作戦は、作戦が成功しても生存できないという意味で、それがさらに先鋭化したものだった。にも関わらず、死を強要された被害者であるところの、彼らの犠牲を、いまだに美しく勇敢な言葉で飾り立て、利用する者が絶えない。

 作戦には参加したが、すんでのところで敗戦を迎えたために命を取りとめた日本の兵士たちは、先に飛び立った若者たちが、どのようにして死に向かうコクピットへと乗り込んだのか、その地獄のような光景を証言している。もしも、その映像が実際に残っていたとすれば、どんなに後世のためになっただろうか。少なくとも、『永遠の0』のように、特攻作戦を感動的に描こうとする書籍や映画が、日本人を感動させるといったグロテスクなブームは起きることがなかったはずだ。本作が事実として示したように、描くべきは軍による戦争犯罪である。そのような命令さえなければ、“彼らは生きていた”はずなのだ。

 もちろん、どんな思想を持つことも、その人個人の自由だ。なかには状況によって戦争もやむなしと思っている人もいるだろう。しかし、人間を大量に殺戮する技術が開発された時代に、兵士たちが戦場で何を経験するのか、その事実をまずは知っておくべきだ。それを生きた映像で教えてくれる貴重な作品が、本作『彼らは生きていた』なのである。

『彼らは生きていた』
2020年1月25日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
配給:アンプラグド

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