「選べる制服」から考えるマイノリティ運動のかたち

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トランス男子のフェミな日常/遠藤まめた

 性の多様性について話すために学校を訪れる機会が多い。教員研修のこともあれば、子どもたちに向けた授業もある。訪問先のいくつもの学校で、これまで制服について相談を受けてきた。

 「実は今、スラックスの導入を考えていて、見積もりを取っているんですよ」と先日話してくれた女子校の先生は、最近の制服メーカーは女子のスラックスの見本をカタログに含めているのだと教えてくれた。

 いくつもの学校がトランスジェンダー の生徒がいたことをきっかけに、制服を変えることを検討していた。苦しんで卒業していった生徒、通い続けられなくなった生徒が過去にいて、その結果として導入された女子のスラックスは、今では自転車通学だったり寒いのが苦手だったりする生徒たちにも広く着用されている。

 トランスの人口比なんてとても少ないのだから、ほとんどはシスジェンダーの女子生徒だろう。かつて苦しんだトランスの先輩がいて、その人には間に合わなかったけれど、今では主にシスジェンダーの後輩たちが選択できる自由を楽しんでいる。

 私もかつてセーラー服を着ることが死ぬほどイヤだった生徒だったけれど、トランスではない人たちを含む後輩たちが権利をエンジョイできるのは、本当によいことだと思う。

 2000年代のはじめ、教育現場では「男らしさや女らしさの押し付けを見直しましょう」という牧歌的でごくささやかな教員同士の問題意識の共有さえ、過激なジェンダーフリー教育だと言われ攻撃されていた。その結果、2010年代に教育現場で研修として行われたジェンダーに関する学びほぐしの機会はLGBTに関する研修が大きな割合を占めることになった。

 学校に呼ばれた私のような講師は、マイノリティ当事者の権利だけを認めてくれ、LGBTの権利を保証しろ、というのではなく、みんなに対する接し方をまずは見直そう、なぜなら当事者がどこにいるかなんて先生は知りようがないのだから、という話をしてきた。

 トランスジェンダーの不登校経験率は高く、その背景として制服問題は大きな割合をしめる。本当は、ジェンダーについて別の角度から先生たちに研修機会があった方がよかっただろう。

 でも、その経路は事実上存在せず、きっかけとなったのが性の多様性に関する研修だったり、不本意な服装に翻弄された各学校の生徒たちの個々の苦しむリアルな姿だった。はじまりはトランスの生徒の悲劇だったが、今では服装の議論は「死ぬほど苦しんだ人」だけに特別枠が与えられ、限定的な権利を認めようというのではなく、みんながちょっとした軽い気持ちで自由を楽しめたら良いね、という方向にシフトしつつある。

 昨年3月に、高校生たちを集めて多様な性に開かれた学校を作るにはどうしたら良いだろうかを話し合った。そこで出た議論は、「先生にお願いしたいことリスト」としてHPからダウンロードできるようにまとめられている。

 「そこの女子!」「男子は~だから」などと男女で一括りにして扱わないで、だとか、「修学旅行の時、理由を言わないでも個室入浴可にしてほしい」など、学校に通うすべての人たちに当てはまる要望項目も多い。

 自分がどれだけ苦痛を感じるかをプレゼンし、苦痛レベルが合格点に達していることを他者に理解してもらい、それではじめて特別枠に入れてもらえるような仕組みよりは、他の人たちもへっちゃらで服装を選べたり、軽い気持ちで部屋風呂か大浴場かを選んでいる方がよっぽど気楽だ。

 マイノリティによる当事者運動は「これはワガママなのではありません」ということを永遠に説明し続けるだけでは退屈で、みんながもっと気楽に生きられることを提示できるからこそラディカルに社会全体を変えることができる。

 5年後、10年後、もっと多くの人たちが気楽に服装や靴、髪型を選べる社会だったらいい。性別違和のある人が、性別違和についてとうとうと説明し、自分たちの権利を他者から認めてもらおうという場面はないほうがいいに決まっている。

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