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子どもを持たない理由を、世間に問う必要はない

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「GettyImages」より

 「子どもが好きではない」あるいは「子どもが苦手」といった言葉をときどき耳にする。これは全世界の子どもたちに対して、とても失礼な言葉である。

 「子ども」を別の言葉に置き換えてみるとわかりやすい。

 例えば、「おばあさんが好きではない」「おばあさんが苦手」などと、平然と口にする人がいたら、違和感を覚えないだろうか。

 「子どもが好きではない」とか「おばあさんが苦手」といった物言いは、人間を一方的にカテゴライズして、切って捨てるようなものだ。当事者にとっては、存在を否定されたも同然で、特に子を持つ親は、ひやりとさせられるのではないだろうか。

 「おばあさん」「おじさん」「おねえさん」を「好きではない」「苦手」と言うのにはためらいがあるが、「子ども」だとためらいがないのであれば、それは大人である自身が「子ども」を下に見ているということだ。これはとても不遜な態度であり、人としてとても未熟なことである。

 こうした発言は、「人は子どもを育ててはじめて一人前になる」といった意味不明なことを言う人たちに、「やはり子どもがいない人は未熟だ」と拠り所を与えてしまうことにもなりかねない。

 「納豆が苦手」と同じ感覚で「子どもが苦手」と言ってしまう人には再考を促したい。納豆と子どもを一緒にしてはいけない。

子どもを持たない選択の何が「おかしい」のか

 今月20日、朝日新聞の投稿欄「声」に、「子を持たない選択 おかしいか」と題した27歳「主婦」からの投稿が掲載された。私は「子を持たない選択 全然おかしくない」という立場なので、共感しつつ投稿を読み始めたのだが、残ったのは違和感だった。

 投稿は、「私はいま結婚4年目、子どもはいません。今後も作る予定はなく、夫も同じ意向です。理由は子どもが好きではないから。」と始まる。

 先に述べたように「子どもが好きではない」と綴ることへの違和感もさることながら、この投稿者は「子を持たない選択は『おかしい』」という前提に立ちながら「おかしいですか?」と尋ねている。それこそおかしい。

「生物として子孫を残すことは本能であり、子を持たない選択が少数派なのは理解しています」
「愛する人との子どもを作らない私は、生物として欠けている気がしてしまいます」

 投稿者はこのように述べているが、果たして、「子孫を残すこと」が「生物」の本能だとして、人間は「生物」にふくまれるだろうか。

 少なくとも生殖に関しては、人間を他の生物と同列に語ることはできない。「子孫を残すこと」が人間の「本能」でないことは、投稿者自身が証明している。また、統計を挙げるまでもなく、「子を持たない選択」は、もはや「少数派」ではない。

 さらに言えば、人間以外の「生物」は「愛する」相手と子どもを作っているだろうか。それこそ「本能」で子孫を残しているのであれば、「愛」は不要である。

 そして言うまでもなく、人間誰しもが「愛する人」との子どもが欲しくなるわけではない。愛し合っていても、あえて子どもを作らないというカップルはいくらでもいる。

 また、子どもという存在に対して、「愛する人」との間に持つべきものという認識があるとしたら、それは危険である。かりに妊娠中に相手に対する“愛”が覚めたら、胎児の存在意義はどうなるのだろう。

 “子どもというものは、愛し合う男女の間に誕生するもの”あるいは、“子どもというものは、愛し合う男女の間に存在すべきもの”という思い込みは、多様な性、ひとり親家庭、血縁のない親子など、さまざまな人の在り方を排除する考え方にもつながる。

 「愛する人」との子どもが欲しいと考えること自体を否定するつもりはない。しかし、子どもが生まれたあとは、「誰との間にできた子どもか」ということは、まったく意味をなさない。

 子どもを持つ持たないの選択は、パートナーと考え、最後は自分が決めることであり、世間に問うことも「おかしい」。

 もちろん、“子どもを持たない選択などありえない”という価値観で、投稿者を悩ませ、追い詰める人たちが、一番「おかしい」のだが。

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