東京五輪「全員団結プロジェクト」だけじゃない。炎上する五輪応援コピー

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「全員団結プロジェクト」が共感されなかった理由

 日本オリンピック委員会(JOC)が展開している「全員団結プロジェクト」が炎上中だ。このプロジェクト自体は昨年8月から実施していたが、今月になってSNSなどで「#全員団結」と投稿すると以下のロゴが表示されるようになり、「まるで戦時中のスローガンのようだ」と批判が殺到した。

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 五輪関係の広告を見ていると、そこには一貫した法則があることに気づく。今回はそれについて話したい。

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 改めてこの全文を見ると、これは確かに酷いシロモノである。扇情的な赤文字と文章で、まるで読む人に指示するかのような体裁になっている。コピーとしては共感よりも反感を買う、完全な失敗作である。

 まず、導入部がいけない。悪評が充満する五輪を<みんなが待ち望んだ、東京2020オリンピック>などと、まるで全国民が待望しているかのように始めている。様々な問題を巻き起こして批判を浴びている現状を殊更無視し、敢えて批判者に挑戦するかのような始まり方だ。もうこの時点で、「誰も待ち望んでいないぞ!」と拒絶されてしまう。

 そして<じっとしていても、何も始まらない。勇気を出して、オリンピックに参加しよう>と、このプロジェクトへの参加を促すのだが、これがまた強制的な響きでよろしくない。五輪は多様な人々の共生を謳っているはずなのに、参加しないことは良くないから運動に参加しろ、と読み手に指図しているような印象を与える。また、五輪に積極参加しない人を<じっとしていても何も始まらない>と揶揄しているのも反感を買うだけだ。

 さらに、何の根拠もなく<そうすればきっと、あなたの中で何かが変わる>、<ものすごい力が生まれる>と新興宗教かと見まごうばかりの言葉が続く。何がどうやってどう変わるのか、ものすごい力がなぜ発生して、それによって何がどうなるのかについての説明は一切ないのだから、ただの独りよがりで意味不明な主張にしか感じられない。

 さらに言えば、最大の失敗はタイトルの「全員団結」にある。戦時中でもあるまいに、なぜ「全員」が「団結」し、「心をひとつに」しなければならないのか。百歩譲って、これが大震災などの直後で、全国民が結束して頑張ろうと言うのならまだ分かるが、一部の企業やJOCが肥え太る商業イベントのために団結せよと言われても、反感が醸成されるだけではないか。

 要するにこのコピーは一見、自発的な五輪参加を促すような風でありながら、実のところ上から目線で非常に高圧的であり、「じっとしてないで参加しろよ」と言っているようなものなのだ。このイベントのHPを開くと、応援団長の松岡修造をはじめ、多くの有名タレントが笑顔で参加を誘っている。だが肝心のこのコピーを見てしまうと、衣の下から鎧が丸出しになっているので、全く共感されないのだ。

パラリンピックチケット販促広告に見る類似性

 この騒動が発生したとほぼ同時の1月17日、パラリンピック観戦チケットの販売促進15段広告が朝日をはじめ全国紙に掲載された。こちらの広告コピーもなかなか面白いので紹介しよう。以下がコピー内容だ。

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<パラリンピックへ、行こう

22競技539種目。4400人の選手たちが
熱き戦いを繰り広げる、東京2020パラリンピック。

あなたはきっと驚くだろう。
独自のフォームで、ゴールを駆け抜ける力強さに。
タイヤが焦げるほど、激しくぶつかり合う迫力に。

さあ、いよいよ2020年。
味わったことのない興奮を、全身で感じよう。

奇跡をつくる、1人になろう。>

 組織委による最新の発表によれば、五輪チケットは50万枚も余っているそうだ。理由は簡単、有名競技や日本選手が活躍しそうな競技に応募が集中したためで、抽選時にあれほど大騒ぎしたのは何だったのかと笑ってしまう。同じ理由でパラリンピックのチケットはさらに売れ残りは必至だから、このような広告を打ったのだ。

 この広告も、微かに上から目線を感じさせるが、「全員団結」よりは工夫がある。<さあ、いよいよ2020年。味わったことのない興奮を、全身で感じよう>などとチケット購入を煽りながら、<奇跡をつくる、1人になろう>で、あなたは単なるチケット購入者ではなく、パラリンピックの参加者なのだ、と暗示し、購買意欲を参加意欲に変換することによって、チケット購入者の満足度を上げようとしている。

 つまり、こちらも隠れたキーワードは「参加」である。単に見るだけでなく、あなたが行けばもっと盛り上がるよ、それは「見る」だけでなくあなた自身が五輪に「参加」することなのだよ、と誘う文面になっている。

 だが冷静に考えれば、もちろんこれは完全なフェイクだ。五輪もパラも、あくまでも主役は選手であり、観客は、コーチや監督などの共同参加者ですらない。そこで勝利できるかは選手個人の力量次第であり、どこで競技をやろうが、観客がいようがいまいが全く関係がない。観客がいなくて困るのはチケット収入が減る運営側であって、選手ではないのだ。

 だが、最初からそれを言っては身も蓋もないので、<奇跡をつくる、1人になろう>などと、嘘くさいコピーで人を釣ろうとする、という訳だ。奇跡をつくるのは一人ひとりの選手であって、観客ではない。そうした当たり前の事実を隠し、空虚な言葉で観客の意識を操作し、チケットを売ろうとするやり方が、どうにも鼻につくではないか。

五輪招致時にもあった、空虚なコピー

 今回、上記の二つのコピーを見ていて、過去にも似たような匂いのコピーを読んだことがある、と思ったら、それは2013年の五輪招致時に、電通のコピーライター・CMプランナーである高崎卓馬氏が招致委員会のHPで発表していた文章だった。<2020年以降の日本のために絶対に必要なもの。カッコつけてなんとなく反対とか言わないで欲しい。>という導入部から、以下の文章を続けていた。

<津波の直後、東北に行った。
帰りに自分にできることを必死に考えた。
未来をつくるために、仕事をつくりだすために、
大きな経済効果があるものをもってこないといけないって本気で思った。
東北にオリンピックを持ってきたいと思った。

それから個人的にひとをたどってどうやったら実現できるか考えた。
まず、地元のひとが「欲しい」と思う必要があった。
復旧に心も体もすべてを使うひとたちにその余裕はなさそうだった。
僕はそれでも、2020年になった時のことを考えてほしいと言い続けた。
地元の有力者を訪ね回って説得した。
意見をまとめて、県庁に乗り込んだ。

でもまだそのときの宮城には2020年はまだ遠く、
招致の体力も、政治的な意味もからみ、
招致の中心になる決意まではたどり着けなかった。
悔しかった。
すべてのひとが賛同してくれるのに実現できないものがある。
そのことが悔しかった。
けれど
その帰り道。
僕はひとつのことに気がついた。
東北はニッポンだ。
ニッポンのためになることをやる。
それは東北のためにもなる。
僕たちが復興しなくてはいけないのはニッポンだ。
東北だ、東京だ、と見えない線を引いて
意識を小さくしているのは間違っているかもしれない。
ニッポンのオリンピックを東京でやりたい。
東北のためになることを、
きちんと開催計画、招致の過程すべて、に盛り込んで
大きな経済効果をつくって、
ひとつの目的をもつことの楽しさや、気持ちよさをつくりたい。

できることをひとつひとつやっていきたい。
この国のために。
ただのCMプランナーなんだけど。

2013年に開催国が決まる。>

 ご覧の通り、異常とも言える前のめりな文章である。<東北はニッポンだから、ニッポンのオリンピックを東京でやりたい>という意味不明で支離滅裂な論法なのだが、この前のめりさ、根拠のない自信、内容のない空虚な強い言葉が、上記の2つのコピーと似てはいないだろうか。高崎氏は五輪エンブレム盗用問題で組織委のクリエイティブ・ディレクターを更迭されたので現在は制作に関わっていないはずだが、同じようなテイストを感じて7年ぶりにこの文章を思い出した。つまるところ、電通のコピーライターとは、ほぼ全員がこのような上から目線的思考でコピーを書いているのだろう。

 <2020年以降の日本のために絶対に必要なもの。カッコつけてなんとなく反対とか言わないで欲しい。>などとは当時読んでも全く納得できなかったが、念願かなって招致した五輪は、復興に必要な人員や資材を奪ったことで工事費の高騰を招き、東北や被災地の復興を遅らせただけだったことが、今や明らかである。

 そしてさらに酷暑下での開催、無償ボランティア、際限のない予算膨張など、招致していなければ発生しなかった問題が山積みしている。開催が「日本のために絶対必要なもの」だったかどうか、遠からず歴史の審判が下るだろう。

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