東京オリンピック2020は下品な「スクラップ・アンド・ビルド」/本間龍・武田砂鉄対談(前編)

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本間龍(左)、武田砂鉄(右)

 7月の東京オリンピック・パラリンピック開催まで半年あまり。これから夏にかけて日本は国をあげてお祭り騒ぎに浮かれるだろう。

 しかし2020年東京オリンピックに関しては、招致段階からいまに至るまで数々の問題を抱えており、それらが解決されないまま本番に突入しようとしている。

 こうした状況はなぜもたらされてしまったのか。東京オリンピックは今後の日本社会にどんな影響を与えるのか?

 「WEZZY」で東京オリンピックの問題を指摘し続けている本間龍氏と、各媒体で厳しくオリンピック批判を行っている武田砂鉄氏が語り合った。

オリンピック批判をしても反対意見が出てこない

──おふたりは様々な媒体で2020年東京オリンピックへの批判を語っておられますが、それに対してどのような反応が返ってくる傾向にありますか?

武田砂鉄(以下、武田) 日頃、様々な社会問題について原稿を書いていますが、オリンピックの諸問題に関する原稿を書き終わったあとにいつも思うんです。「あれ、なんだかこれ、自分の言っていることが正し過ぎるな」って。
 どういった問題を書くにしてもためらいはあるし、どんな反対意見が出るんだろうか、と想像するのですが、オリンピックに関しては、明らかに自分の考えが正しい。それぐらい明確におかしなことが山積している感じがするのです。

本間龍(以下、本間) 僕もまったく同じ。こちらはオリンピックのボランティア問題を批判する本まで書いているのだから、あちら側から「誇りを傷つけられた」「俺たちはこんなに一生懸命やっているのに!」という反応があってもおかしくないと思うんだけど、それはない。

武田 東京五輪によって利益を得る人たちからすれば、「本間うぜえな」「武田うぜえな」と思う人もいるのでしょう。本来であれば、そういった人たちがメディアを通して反論したりするのが、あらゆる社会問題・時事問題に共通するところだと思います。しかし、その動きはありません。議論して納得させるのではなく、議論させないことを優先する。

本間 我々以外にも、たとえば、久米宏さんなんかもラジオ番組を通じて厳しいオリンピック批判をしていますが、それに対しても「あなたの言っていることは間違っている」という声はあがっていない。
 そして、議論も起きないまま、全体としてはなんとなく「オリンピックやるぞ!」という方向へ動いている。社会問題の議論として、なかなか見ない珍しいかたちだなっていう気はします。

オリンピックは人間の「命」や「生活」を踏みにじっている

──そもそも、おふたりはなぜ2020年東京オリンピックに反対の声をあげるようになったのですか?

武田 招致のプロセス、それ以降の対応を見ていれば、反対せざるを得ません。とりわけ、今回のオリンピックについては、ボランティアの熱中症対策をはじめとして、「人間の命」という大きな問題があります。「非人道的だな」と感じることが多すぎる。そのような状況を前に、「これでいいのだろうか」と反対意見を投じることは、覚悟のいることではなく、当然のことだと思っています。「いつまで反対しているの?」と言われるけれど、「いつの間に賛成しているの?」と問い返したい。

本間 武田さんがおっしゃった「非人道的」というのは、まさにその通りだと思います。酷暑の下でこき使っておきながら、熱中症で倒れたとしても責任をとろうとしないボランティアの問題は、「非人道的」と言わざるを得ない。

武田 命の問題は他にもあります。2017年には新国立競技場の建設現場で働いていた労働者が過労自殺しました。これ以上、こういった悲しい出来事が起きないことを祈りますが、大会が近づいていけば、様々な場所で過酷な環境が生じかねません。

本間 そうした問題は山のようにある。

武田 オリンピックの華やかさの裏で、心と体を傷めている方はたくさんいます。
 新国立競技場の建設に伴って立ち退きを強いられた都営霞ケ丘アパートでは、これまで何十年と住んできた方々が築いてきた小さなコミュニティが壊されました。立ち退きが決まった頃、取材をしましたが、住民の多くが高齢者です。転居を余儀なくされ、慣れない場所で暮らすことになりました。

──そういった「非人道的」なオリンピックの在り方を主導したのは、本来であれば国民の命や生活を守る存在であるはずの政府です。

武田 今、冷静になって日本地図を見回してみると、東日本大震災の被災地はもちろんのこと、この数年に起きた天災を思い返すだけでも、日本各地が傷んでいます。立ち直ることができていない被災地が日本のあちこちに存在します。
 それなのに、東京ばかりに強い光を当ててお祭り騒ぎをし、その影で苦しんでいる人たちを無視するというのは、あまりにも冷たい。安倍政権はなにかとオリンピック開催を物事を動かす理由に活用してきましたが、とにかく冷たい人たちに思えます。

「オリンピック」が口実に使われている

──当初、東京オリンピックには「復興五輪」というキャッチフレーズがついていましたが、オリンピックによって東北の復興が進んだかといえば、現実は真逆です。

武田 この国が、東日本大震災や原発事故によって生活を奪われた人々を軽視し始めたな、と感じたのは、オリンピック招致のときに用いられたスローガン「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」を見たときです。「夢の力」という言葉で現実から目を背けることを選択したのです。
オリンピックを前に、「夢」だ、「絆」だ、「手をつなごう」といった空虚な言葉が飛び交うようになった。本来、最優先されなければいけない人や地域が後回しになった。繰り返しますが、これって非人道的です。心の冷たい人のやることです。夢や絆を大切にする人がやることではない。「復興五輪」という言葉はまやかしです。「復興」と「五輪」という二つの言葉を使って文章を成立させるのならば、「復興のために五輪をやめる」しかあり得ません。五輪は復興の妨げです。

本間 武田さんのおっしゃる「冷たい」というのは的確な表現だと思います。
 では、その代わり政府が求めているものはなにかと言えば、旧来型の経済至上主義。
 確かに、それでうまく行っていた時代はあったのかもしれない。国民が一丸となって踊るイベントが前向きな変化をもたらす時代です。1964年の東京オリンピックはまさにそうだったのでしょう。
 でも、いまの日本の状況は、そのときとは違いますよね。

武田 1964年東京オリンピックの際は、その6年後に大阪万博があり、さらに2年後に札幌オリンピックが開かれました。

本間 それと同じローテーションを21世紀のいま、また繰り返そうとしている。

武田 それに加え、今回は、リニア中央新幹線、カジノを含んだ統合型リゾート(IR)といった事業もあります。
 確かに、こうやって大きなパーティーを繰り返し用意しておけば、あたかも眺望がよくなったかのように見える。大企業は儲かります。でも、政府がそうしたパーティーを優先することによって、日常生活を取り戻したい人たち、日々の生活に四苦八苦している人たちが見捨てられる。ここに至るまでの流れを丁寧に振り返ると、そのことがよく分かります。

本間 オリンピックを通じてこの社会を良くするのではなく、オリンピックを口実にして自分たちのやりたいことをどんどん進めていこうという意向がはっきりと見える。

武田 「オリンピック」という主語を用いる範囲が日に日に広くなっていきました。共謀罪が国会で議論されたとき、安倍首相は「共謀罪がなければオリンピックが開催できない」と述べたし、2017年の時点で「オリンピック・パラリンピックが開催される2020年、日本が大きく生まれ変わる年にするきっかけとしたい」と憲法改正を目指した。
東京のあちこちで、暴力的なまでの再開発が進んでいます。「オリンピックムーブメンツ アジェンダ21」には、「既存の競技施設をできる限り最大限活用し、これを良好な状態に保ち、安全性を高めながらこれを確立し、環境への影響を弱める努力をしなければならない。既存施設を修理しても使用できない場合に限り、新しくスポーツ施設を建造することができる」とあります。国立競技場は耐震改修計画が出ていたのに、壊してしまいました。これまで使ってきた施設を大事に使ったり、その場に受け継がれてきた文化を守ったりするのではなく、オリンピックを口実に街を作り変えてしまう。これでひと儲けしようという「スクラップ・アンド・ビルド」の姿勢がある。とても下品だと思います。

オリンピックは誰のためのものか?

本間 オリンピックに関して取材をしていて思うのが、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が「オリンピックを開催して最終的にこの国をどうしたいのか?」ということ。
 そもそもこの組織は、ひとつひとつの事務的な話の責任者がまったく見えてこない組織です。
 マラソン競技の開催地変更といったような話になれば、さすがに森喜朗会長であったり、小池百合子東京都知事のような人が出てくるんだけれども、ボランティアの待遇や熱中症対策といった話における責任者を聞いても、具体的な名前はまったく出てこない。

武田 思えば、オリンピックの招致が決まったときには、安倍首相、猪瀬直樹元東京都知事、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恆和元会長といった人たちが、しきりに功績をアピールしていました。しかし、新国立競技場のザハ・ハディド案が白紙撤回になったあたりから、だんだんと逃げ腰になっていった印象があります。「いや、これは自分の責任じゃないよ」という顔をするようになった。

本間 報道関係者の話を聞いていると、佐野研二郎氏による大会エンブレム騒動が組織委員会の体質を変える大きなきっかけだったらしい。
 それまでは組織委員会って割と情報をフルオープンにしていた。
 でも、あの騒動で世間から相当きついバッシングを浴びたもので、それ以降は発表文に個人名を一切入れないとか、どんどんガードが固くなっていったと聞きます。
 実際、「WEZZY」で組織委員会に質問状を送っても「戦略広報課」としか書かれていなくて、誰が回答したのかまったく分からない。

武田 電話でも聞けないんですか?

本間 聞けない。「WEZZY」の連載とはまた別に、電話で取材したこともあるんですけど、担当者の名前を聞いても全然答えてくれない。暖簾に腕押し。
 もちろん、ホームページでは組織図や役員の名簿は公開されているし、事務総長とかの名前は明かされていますよ。でも、なにかあったときにこの人たちが責任を負うのかといえば、それは心もとない感じがするんですよね。
 「誰が最終的な責任をとるのか?」「裁判になったら誰が出てくるのか?」といったことにすら答えられない。これは、すごい組織だと思うんですよね。一般的な企業だったら、まずあり得ない。

武田 あり得ないですね。

本間 一般的な企業であれば、そういった場合に出てくるのは社長ということになると思うんだけれども、では、会長の森喜朗が出てくるのか、それとも、その時の東京都知事が出てくるのか、どうも分からない。というか、分からないようにしてあると思うんです。

──こんな状況でオリンピック本番に突入してしまうことの一番の被害者は、参加する選手たちなのではないかと思います。

武田 そう思います。オリンピック批判を口にしていると「選手はオリンピックを目指して頑張っているんだから」とよく言われます。自分もそう思います。でも、「だからこそ」ではないでしょうか。選手たちのために、オリンピックが汚れたものであってはならないと思います。オリンピックは国のものではなく、政府のものでもなく、アスリートたちのものです。だからこそ、その周辺に問題があるのなら、指摘していかなくてはなりません。
 選手たちからそういった問題に疑問を投げかけることは難しい。このところ相次いだ数々のスポーツ団体の不祥事を見ていると、選手が組織の上層部に物申すことがいかに難しいかがわかる。「選手たちも言ってよ」とは思うけれど、難しいのならば、外から問題点を指摘していかなければいけない。
問題山積みのまま行われるオリンピックと、悪しき事案が少しでも解消されたオリンピック、どちらが選手にとって望ましいオリンピックでしょうか。答えは明らかだと思います。

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 後編では、オリンピックの関する諸問題が解決されない原因のひとつであるメディアの自主規制について、また、オリンピック後のこの社会はいったいどうなっていくのかについての話をお届けする予定だ。

後編はこちら→https://wezz-y.com/archives/72582

(取材、構成:編集部)

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