重度難聴者による難病児の子育て「やるしかない」覚悟ができた瞬間

文=玉居子泰子
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牧野友香子さん(撮影:玉居子泰子)

 生まれながらに重度の聴覚障害がある牧野友香子さん(31歳)。幼い頃からの訓練で巧みな口話を身につけ、学校でも仕事でも充実した日々を送ってきた(インタビュー前編を読む)。

 22歳で知り合った男性と1年後に結婚、さらに24歳で思いがけず妊娠が発覚。トントン拍子にも思えるが、彼女自身の人生設計とは異なっていたその妊娠が、彼女の人生を大きく変えていくことになる。

妊娠8カ月「胎児の手足が短いのでは」

 重度の難聴である自分に子育てができるとは思えないと、妊娠を望んでいなかったユカコさん。だが予定外の妊娠に気づいたのはなんと5カ月目のこと。授かった以上産むつもりではあったが、生まれてくる子にも障害があるのではないかという不安が心をよぎった。

「これまでの人生で、聴覚障害以外であっても障害を持つ人と接する機会もあったので、いつ何があるかは誰にもわからないなという気持ちが根底にあります。障害がある確率がいくら少なくても、その確率に当たれば100%その人の人生には障害があるのだから、私だけは大丈夫とも、この子は大丈夫ともいえないですよね」

 漠然とした不安は、早めに産休に入った妊娠8カ月目に現実のものとなる。

「妊婦健診で、胎児の手足が短いのではと言われたんです。ところが、大きな病院に転院して再検査をしても、何か異常があるようだけど今の時点では確定できない、と言われました。余計に不安になっちゃって……」

 遺伝子検査を含め、長期入院をしていくつもの検査を受けた。それでも、はっきりしたことは産むまでわからないという。気持ちは沈むばかりだった。

「正直、産みたくない、と思いました。妊娠中、楽しみな気持ちになったことは一度もありませんね」

生まれてくる子どもに障害があるかもしれないと言われて過ごす妊娠期は、どれほど不安なことか。落ち込むユカコさんに、夫はこう声をかけた。

「産まなしゃーないやん、でもどんな事があっても俺は誰よりもユカコの味方だから」

生まれた子は難病「どうして私ばかり」

「夫は『産んで、障害があったらその時どう育てていくか考えよう』って、なんでもないように言ってくれて。夫はいつも冷静で論理的に考える人。そうだよな産むしかない、って気持ちが少し軽くなりました」

 やがて月が満ち、陣痛が起きた。出産は順調で、わずか2時間で赤ちゃんは生まれてきてくれた。だが、その瞬間、ユカコさんは我が子が重い障害を負っていることを悟った。

「見た目でもう、すぐにわかりました。あっという間にNICU(新生児集中治療室)に連れていかれましたしね」

 どんな病気なのか。手術で治せるものなのか。何もわからないまま、翌日医師から説明を受けた。

「とにかくいろいろな症状が出ている、と。魚鱗戦(ぎょりんせん)といって腕の皮膚が魚の鱗のようになっていたり、手足の長さに左右差があり、片方が短かったり。手脚や指に関節硬直があって、片腕が曲がっていることも聞きました。それでも、何の病気なのかはわからなくて、お医者さんも初めて見る症状だということでした」

 ショックのあまり、ユカコさんはただただ涙を流した。

「なんで私なんだろう、って。自分も耳が聞こえなくて苦労して、でも頑張って生きてきた私のところに、どうしてまた障害を抱えた子が生まれてくるんだろうって思いました。普通に楽しく生きて、普通に子育てができる人はたくさんいるのに、どうして自分ばかりこんな苦労をしなくちゃいけないんだろうと思うと、涙が止まらなくて。どん底まで落ち込みましたね……」

 その後、さらに赤ちゃんは片耳が聞こえないこともわかる。出産の報告を家族以外は誰にもしないまま、退院までの1週間、ユカコさんがしたことは、授乳の合間に病室のベッドで病気について調べることだった。

「とにかく病名が知りたくて、娘の症状から似ていると思える病気や障害についてとことん調べました。夫にも共有して、『多分これかな?』というところまで絞り込んで。退院前に主治医からおそらくこの病気だろうと言われたものが、私たちが考えていた病名と同じだったんです」

 主治医の言葉が確かであれば、娘さんは50万人に1人がかかると言われる骨の難病だった。

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手術を終えた時、病院での一枚(写真:牧野さん提供)

「育てなくていいよ」

 娘をNICUに残し退院してからも、ユカコさんはインターネットで徹底的に病気を調べ続けた。日本語と英語で書かれた論文や文献をチェックし、複数の医師の友人に声をかけ、ドイツ語やフランス語など自分がわかる以外の言語で書かれた論文を調べて欲しいとお願いしたという。

「とにかく、病気の予後が知りたかったんです。今後どんな症状が出るのか、子育て中に気をつけなくてはならないことは何か、中学生や高校生になった時、身長は何センチくらいになるのか、外見はどうなっているのか……とにかく将来のイメージを持ちたかったんです」

 とはいえ、珍しい難病のため、1歳くらいまでの経過を追った文献はあっても、その後の成長を記したものは見つからなかった。医師には「歩けるかどうかもわからない」と言われた。

明るい気持ちにはとてもなれないまま、ユカコさんは毎日、バスや電車を乗り継いで病院にミルクを届けに行った。産後の疲れた体には負担が大きく、未来が見えない子育ての道のりを思うと、絶望的な気持ちになった。

「ある時、もうどうにも耐えきれなくなって……。『育てたくない!』って家族の前で吐き出したんです。育てる自信もないし、育てられないって」

 その言葉を聞き、夫と母は同じことを言った。

「育てなくていいよ」

 耳を疑う言葉に、母はさらにこう続けた。

「すぐに『私が育てる』って母が言ってくれたんです。母は『障害がある子を育てるのはあなたの時と、二人目なんだから、大丈夫。まだ元気だし』って」

 ずっと笑顔で自身の障害のことを話していたユカコさんが、出産当時のことを話したときだけ、目から大粒の涙をこぼした。

生後7カ月難病児を連れて海外旅行へ

 育てられないなら自分たちが育てる。周囲にそう言ってもらうことで、ユカコさんの心の負担は随分と軽くなった。

「逃げ道があると分かって、何かあっても一人じゃないんだと思えた。それで、なんとか頑張ろうと思えたんですね。最初の1カ月はくよくよしていましたが、2カ月目になると、『やらなしゃーない』と気持ちを切り替えて。大変すぎて凹む暇がなかったというのが正しいです(笑)」

 心配していた通り、赤ちゃんの泣き声は聞こえない。夜の授乳は夫に起こしてもらうか、夫がミルクを与えてやり過ごした。退院後も、週に2、3回は大学病院で様々な科の診察を受ける。待ち時間は長く、朝から夕方まで、病院で過ごすことがほとんどだった。

 さらに赤ちゃんは頚椎の神経が圧迫されていたため、下手をすると全身麻痺になる可能性もある。抱き上げたり寝かせたりする時には細心の注意が必要だった。生後3カ月目で手術、1カ月の入院生活を送った。

「手術を終えて、ようやく落ち着いてきたのが生後半年ほど。運動・発達は他の子よりはやはり遅れがありました。覚悟を決めたとはいえ、最初の1年は心配も多くてしんどいことばかり。育児を楽しめていたとはとても言えません。可愛いと感じることも難しいくらいでした」

 とはいえ、苦境に打ちひしがれず、明るい方を見るのはユカコさんがこれまでの人生で大切にしてきたことでもある。1歳になる前に娘を保育園に預けて仕事復帰することを決め、その前にはなんと1カ月のオーストラリア家族旅行に出かけたというから驚きだ。

「主治医にもとんでもない、と反対されました(笑)。でもちょうど年末年始で病院も休みだったし、娘の体調も落ち着いていた。特に急激に症状が悪化するような病気じゃないということは分かっていました。仕事復帰も決めていたので、行くなら今しかないって。キャンピングカーであちこち回って、娘はスヤスヤ寝てくれているので、夫と二人でリフレッシュしました(笑)」

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オーストラリアでスヤスヤ眠る。(写真:牧野さん提供)

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オーストラリア旅行の一幕。(写真:牧野さん提供)

 旅行中に、ユカコさんはある思いにとらわれたという。

「私は、障害があっても自分の好きなことをやるべきだと教えられて育ちました。勉強も仕事も結婚も出産も応援し続けてくれた両親がいて、重い病気を抱えた娘をそのまま受け入れて子育てを支えてくれる家族がいます。旅行に行きたいよね! って思えば、『無理だ』って言わずに、どうすれば行けるか考えて楽しんでくれる夫がいます。娘の病気のことを、親身になって調べ続けてくれた友達がいたおかげで情報は医師より多いくらいで、担当医とも対等な立場で話し合いや相談ができました。

 会社はもともと、聴覚障害がある私に、電話は使わなくていいからメールで仕事ができるように環境を整えてくれたし、娘の病気のことを打ち明けたら会社はテレワークも認められるといって復帰を受け入れてくれました。同僚仲間が色々アイディアを出してくれて、左右足の長さが異なる娘の義足を、成長を追うごとに3Dプリンターで作るプロジェクトを立ち上げてくれたりもしました。

 妹がたまたま医療職だったおかげで、良いリハビリの先生を紹介してくれて、娘はおかげさまで、自分の足で歩くことができています。本当に恵まれているなと思うんです。

 でも一方で、情報も助けもなくて、苦しんでいる親御さんはたくさんいるだろうなって。障害があることで選択肢が狭まってしまう子は多いんじゃないかなと思ったんです。障害があってもいろんな選択肢があることをまずは知ってほしい。そして孤独に悩む家族の状況をなんとか変えられないか。現在の『デフサポ』の元となる思いは、この旅行のときに芽生えたものでした」

障害や難病=苦しい人生、ではなかった

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補強靴を履き元気に外を歩く幼い日の娘さん。(写真:牧野さん提供)

 ほとんど耳が聞こえない自分と、片耳が難聴の娘。言葉を教えたり声かけをしたりすることも難しいように思うが、ユカコさんはこれまでの人生でそうしてきたように、赤ちゃんの口の動きを読み、目を見て、言葉で話しかけた。

「赤ちゃんの口の動きは大人とは異なりますが、でもそれも、毎日一緒に過ごしていると何が言いたいかはわかります。声が聞こえても同じですよね。2歳をすぎて、コミュニケーションが取れるようになってからは、本当にどんどん可愛くなってきて。育児がやっと楽しくなりました」

 一度は育てられないと思った我が子だった。それが次第に、この子にできるだけのことをしてあげたい、ずっと一緒にいたいという思いに変わった。そしてその頃、二人目の赤ちゃんを授かる。

「私にも妹がいて楽しかったし、きょうだいがいたらいいなとは思っていました。もちろん、障害があるきょうだいを持つ子には、当事者以上に親の十分な関心や心のケアが必要だということも理解した上で、2人目を望みました。

 上の娘の病気や私の難聴が、次に生まれてくる赤ちゃんや、その子の将来の子どもに遺伝しないということは遺伝子検査で明らかになっていましたが、でももちろんなんらかの障害や疾患を持つ可能性はゼロではない。でもそれも、覚悟して。今度こそなにがあっても受け入れようと思っていました」

 生まれてきた女の子は、健常児だった。この子を妊娠中から、ユカコさんは難聴児を育てる親に向けてのブログを書き始める。

「健聴な友人の一人が、難聴児を育てていて、言葉を教えるのに悩んでいたんです。私自身がどうやって言葉を学んだか、体験を書いて欲しいと言われて。

 細々と始めたブログに少しずつ読者が増えていって、2人目の育休中に、思い切って、東京と大阪で難聴児を持つ親御さん向けのカウンセリングを開催してみたんです。この時たくさんの方にお会いして、いつかの旅で感じた問題意識がより明確化しました」

 2人目の育休後も、一旦は会社員の仕事に復帰したが、一度相談にのった保護者へのサポートを中途半端にはできなかった。

 2年かけて構想を練り、2018年、ユカコさんは「デフサポ」を立ち上げる。難聴児への教育と、周囲へのサポートを二本柱にして、現在は自身の体験を含めた講演活動なども行なっている。

「今は、人工内耳や補聴器の開発で、全く聞こえない状態である子は少なくなりました。聾学校に通わない子も増えています。それでも言葉の習得度合いには差があります。インターネットが発達した今でもそういった情報はあまりオープンになっていないんです。家族の不安を取り除くことは、難聴児が過ごしやすい環境づくりの基礎だと私は思っていて。家族が安定して初めて、その子がどう豊かな人生を生きるか、家族がどう側で一緒に楽しんで支えていけるかを作っていけるんだと思うんです」

 今、長女は5歳、次女は3歳になった。

 育児と仕事でめまぐるしい毎日を送るユカコさん自身、一度は絶望したこの人生が、充実して幸せだという。

「バタバタしすぎて正直うまく回せているとは思えないですが(笑)。ただ、障害があることがイコール苦しい人生を歩むということではない、と思っていて。もちろん、大変なことや苦労は他の人よりあるけれど、その“弱み”が自分次第でいつかプラスアルファの強みになってくれると思うんです。

 私自身、耳が聞こえず、難病の子どもを産んだからこそ、デフサポを立ち上げることができ、今のお仕事や人との出会いにつながっています。自分が楽しい人生を送ることで、娘や、他の障害を持つお子さんやご家族にも、障害があっても、人生を諦めないでいいんだと伝えていけたらと思っています」

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長女は5歳、次女は3歳に。(写真:牧野さん提供)

 

▼デフサポ
「聴覚障害者の未来を華やかに」をキーワードに、当事者や専門家による聴覚障害に関する情報の提供、未就学児から学同時にかけてのことばの教材や考える力の指導、保護者へのカウンセリング、思春期の悩み相談から就職・就労継続支援まで、聴覚障害児へのトータルサポートを提供している。

 

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