
NurPhoto /「GettyImages」より
中国・武漢市からのチャーター便で帰国した日本人を受け入れた千葉県勝浦市の「勝浦ホテル三日月」に賞賛の声が寄せられている。従業員の感染リスクや風評被害の可能性もある中、政府からの依頼を受け入れた同ホテルに対しては本当に頭が下がる。
ただ、世の中では同ホテルの対応を賞賛するあまり、自己犠牲的な取り組みを神格化する兆候が見られることについては懸念を抱いている。本来であれば、こうした非常時対応というものは、事前にシステム化しておくべきものであり、「男気」や「自己犠牲」によって実現するものではない。今回の事態に対して、同ホテルの「神対応」に頼るしか対処方法がなかったという現実については、徹底的な検証が必要だろう。
隔離か自宅待機なのかについても明確な方針が決まっていなかった
今回、政府がチャーター便を出すことを決定した時点では、帰国後の検査で症状のない人は、帰宅させる方針だったといわれる。だが与党内から感染拡大防止に万全を期すため、症状のない人も当面は特定の場所で待機してもらうべきという声が高まり、急遽、滞在場所を確保する必要に迫られたという。
複数の施設に打診したものの、従業員への感染リスクから難色を示すところが多く、チャーター便の離陸予定時刻の数時間前になってもまだ施設は決まらなかった。
同ホテル社長の小高芳宗氏は、与党幹部の海外視察の際に経済界の一員として参加したことがあり、政府与党と接点があったことから、観光庁が藁にもすがる思いで依頼し、何とか実現にこぎつけたといわれる。
当初は自宅待機だったものを党内の声で隔離に変更したという経緯を考えると、海外で感染症が拡大し、邦人を帰国させた際、隔離するのか自宅待機にするのか明確な方針は存在していなかったと推定される。実は、帰国者を隔離した方がよいのか、自宅待機にした方がよいのかという判断は、状況によって変わってくる。
国内での感染が広がっていないと判断される場合には、一定期間隔離することに合理性が出てくるが、逆に国内で感染が拡大している可能性が高い場合には、特定の人だけを隔離することには疫学的な合理性がなくなる。
仮に一定期間の隔離に合理性があった場合でも、滞在施設をどうするのかという問題が必ず浮上してくる。
日本と同様、フランスも湖北省に住むフランス人を航空機で帰国させたが、帰国者は南仏の保養施設で快適に滞在していると報道されている。家族ごとに個室が用意されており、マスクを付けること以外は、リゾート施設の生活と同じだという。
事前にシステム化しておくべき話
日本では、毎年の台風被害の際、避難者が体育館で雑魚寝を強いられることから、健康状態の悪化を懸念する声が上がっている。欧州などでは、家族ごとに冷暖房やキッチンを完備した大型テントが配布されたり、近隣の宿泊施設が手配される仕組みになっており、避難者が体育館で寝起きする必要はない。
緊急事態が発生した際、宿泊施設をどう確保するのか、事前にシステム化されていれば、受け入れ先がないという事態は発生しにくい。日本ではこうした余裕がないので不可能だという声をよく聞くが、それも工夫次第だろう。
緊急事態に備えて部屋を空ける宿泊施設には財政的な支援を行うこともできる。宿泊施設が持ち回りで緊急事態に対応する期間を設定し、その期間に宿泊する一般顧客に対しては安い料金を提示する代わりに、政府からの指示があった場合には、部屋が強制的にキャンセルされる仕組みを導入することもできるはずだ。
日本には公的組織が運営する保養施設がたくさんあるので、こうした対策をシステム化できるかどうかは、政府の取り組み方次第である。
今回、隔離という手段が取られたことについては、疫学的にあまり意味がないとの指摘もある。隔離措置を実施して効果があるのは、国内にほとんど感染者がいない時に限られる。日本の場合、武漢からの帰国者が到着する前にすでに感染者が発見されているので、疫学的にはすでに日本国内にはかなりの潜在感染者が存在しているとの判断になる。
国内ですでに感染が拡大している可能性があると判断される場合には、特定のグループだけを隔離することに意味はなく、全国民を対象として、感染の可能性がある人を自宅待機させ、できるだけ他人との接触を避ける措置を取った方がよいと指摘する医療関係者は多い。この話は横浜で停泊しているクルーズ船にもあてはまる。
このような話をすると、「ウイルスをバラ撒く気か?」といった感情的な批判が出てくるのだが、激高しているだけではウイルスを防御することはできない。今回の対応が適切だったかどうか、疫学的な見地から徹底的に検証し、次の危機に備えるべきだろう。
感染拡大時にはSNSの活用が有効
中国では、大手SNSサービスのWeChatに当局がアカウントを設置し、発熱や咳など自覚症状のある人は、まずはチャットで医師と問診を行うシステムになっている。病院に行くことは原則として推奨されていないのだが、その理由は、病院の待合室などで感染が広がる可能性が高いからである。
チャットでの問診を通じて、新型肺炎の疑いがある場合には、自動車が手配され、患者はその車で病院に運ばれる。しかも運ばれる病院は、空きビルなどを急遽改装した専用病院となっており、一般患者とは接触しないような工夫がなされている。
日本では、自覚症状があり、病院を受診して感染が確認されるという経路でしか患者を発見できないので、実は、感染がどの程度、国内に広がっているのかは十分に把握できていない。つまり、状況がよく分からないまま、帰国者の受け入れを決断したということであり、党内の意見調整でも医学関係者の専門的な見地がどの程度、反映されたのかは疑問である。
この問題は結果論ということもあるので、どの決定が正しいのかは事後的にしか検証できない。だが重要なのは、それぞれのタイミングにおいて、疫学的な見地に基づいて合理的な判断を下すことであり、それができなければ、ただの行き当たりばったりの対応となってしまう。
今回の帰国者受け入れにおける問題点は、自宅待機にするのか、隔離するのか、疫学的な観点からの議論や事前のマニュアルというものが存在せず、すべて場当たり的にそして感情的に決定されたことである。加えて、隔離が決定された際にも、受け入れ先がないという初歩的な問題が発生しており、民間企業による自己犠牲的な対応に頼る結果となった。
感情論では問題は解決しない
日本という国では、合理的な議論や対策ができず、常に精神論が重視されるというのは、戦前から指摘されている問題である。実際、体力差が10倍もある米国と戦争を行い、国土のほとんどを焼失し、多くの国民の命を失うという大失態も経験している。
だが合理性よりも情緒や精神論が優先されるという状況は今になってもほとんど変わっていない。
2003年にSARSが流行した時には、日本の感染症対策について議論になったこともあるが、時間が経過すると皆、忘れ去ってしまい、本格的な対策立案には至っていない。欧米各国や中国は、前回のSARS流行で、感染症対策を本格化させており、多くの対策が講じられた。米国では、ワクチンの接種で施設に人が集まることを回避するため、クルマに乗ったままワクチンを接種できる体制を整えている自治体もある(多くの人が施設に集まるとそこが感染拡大の温床となる)。
今回、中国の対応についてWHO(世界保健機関)が手放しで賞賛していることについて、国内では疑念の声が上がっている。確かに国際機関は政治力学の場であり、さまざまな利害が関係しているのは間違いないが、中国が前代未聞の物量作戦や疫学的見地に基づいた対処を行っているのは事実である。体制が違うとはいえ、日本でも参考にできる部分は多いはずだ。