「男は仕事」「男のくせに女々しい」内面化した男らしさが自分自身を傷つける

文=原宿なつき
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「GettyImages」より

ジェンダー・ハラスメント、やめましょう。

 ジェンダー・ハラスメントとは、「性別役割に関する固定観念や差別意識に基くハラスメント」のことです。

 一例を挙げると、

・男のくせに30過ぎてアルバイト?
・女子力低いよね。化粧くらいすれば?
・男のくせに、〇〇(かわいいキャラクターなど)が好きなんてキモイ
・女の子なんだからそんな言葉遣いしたらダメ
・(専業主夫に対して)え、働いてないの? ヒモじゃん
・女の子は料理くらいできなくちゃ

 こういったことがジェンダー・ハラスメントに当たります。

 ジェンダー・ハラスメントは今のところ認知度が低い言葉だと思いますが、個人的には、セクシャル・ハラスメントと同じレベルで広まってほしい、と感じています。

 だって、ジェンダー・ハラスメントってかなり頻繁に行われていますよね。でも言われた方は、不快になったり、悲しくなったりしつつも、言い返せない雰囲気があると思います。ジェンダー・ハラスメントという言葉だけでも広まれば、少なくともこういった言葉を投げつけられたとき「ジェンダー・ハラスメントですよ。やめてください」と自分や周囲が指摘しやすくなりますよね。ハラスメント発言をしてきた相手にも「自分の発言は固定観念や差別意識に基くハラスメントだった」と認識させるためにも、ジェンダー・ハラスメントという言葉は有効だと思うのです。

 しかし。ジェンダー・ハラスメントの厄介なところは、「自分が自分に対して無意識のうちにハラスメントをしてしまっている」こともある、という点です。

内なるジェンダー・ハラッサーに苦しめられる男

 白岩玄さんの小説『たてがみを捨てたライオン』(集英社)は、「男らしく生きろ」という内なるジェンダー・ハラッサー(ジェンダー・ハラスメントをする人)に苦しめられている3人の男たちの物語です。直樹、慎一、孝太郎は性格も仕事も価値観もまったく異なりますが、ひとつだけ共通点があります。それは、「男としての生きづらさ」を抱えているという点です。

 直樹は出版社に勤務しながら献身的に身重の妻、加南子を気遣います。仕事に生きがいを感じているわけではありませんが、「家庭をほったらかしにして仕事に邁進するような生き方」がしてみたかったという憧れがあり、仕事でパッとしない自分に自信が持てません。あるとき、妻から「専業主夫」になってほしいと打診され、悩みます。

 慎一は広告代理店に勤務し、タワマンに住む働き盛りの男性です。女慣れしており、離婚を経験した後も「簡単に遊べる女性」を確保してはいるのですが、以前のように楽しめず、虚しさを感じています。家父長制の権化のような父、と父の横柄な態度に長年我慢してきた母の熟年離婚をきっかけに、自分が離婚することになった理由について初めて真剣に向き合うようになります。

 孝太郎は市役所で働く真面目な男性です。初めての恋人との関係が失望の内に終わったことから、アイドルグループ「ラグドール」にハマり、オタ活を始めます。平和にオタ活をしていた孝太郎でしたが、それを「逃げ」だと指摘され、元恋人に自分の理想を押し付けていたのではないか、と自身を振り返ることになります。

 彼らの悩みはそれぞれまったく異なります。直樹は「男なんだからバリバリ働いて稼いだ方が偉いはず」と考えているのでそういう生き方のできない自分に悩み、慎一は「男たるもの女遊びをした方がかっこいい」とそそのかされ楽しくもないデートやセックスをしては虚しさを感じ、孝太郎は「アイドル好きの男は引かれる」と思い込んで、アイドルオタクであることを必死に隠します。

 それぞれベクトルは違いますが、共通しているのは、「男は強くなければならない」「男たるものこうあるべき」という価値観を強く内面化している、という点です。三者三様に「あるべき男らしさに苦しめられている」わけですが、読者が一番共感しやすいのは、直樹の感じている「男は仕事ができてなんぼ」という重圧ではないかと思います。

 直樹は<僕は男性として生きていくことの気後れのようなものを感じることがあるんです。仕事をして、ある程度の給料をもらってないと存在価値がないっていうか、たとえば家事や育児が問題なくできたとしても、仕事が人並み以下だったら男として二流のような気がしちゃうんです>と「男性としての生きづらさ」を語ります。

 直樹は仕事関係で専業主夫と知り合いました。彼はあるきっかけで働けなくなったのですが、彼もまた<弱い男って需要がないし、自分も周りも嫌いだから、弱くても強がるしかないじゃないですか>と言うのです。

「男はプライドが高い」の本当の意味は?

 女性はしばしば「男を立てなさい」と言われます。「男はプライドが高い生き物である」という概念は一般的なものですよね。しかし私はこの言葉に対して違和感を抱いていました。

 「男はプライドが高い生き物なのだから、立ててあげて」という言説を聞くたびに、「男はみんな女より上の立場にいたいってこと? そうかなあ?」と疑問を感じていたものです。そもそも女性だってプライドがあります。他者の誇りを尊重するのは当然のことであり、性別に依拠しません。男のプライドを守るために女を蹂躙して良い、なんてことは決してありませんよね。

 「男のプライド」とはなんなのだろうか。『たてがみを捨てたライオン』を読みながら、社会通念としての「男のプライド」とは、「男性の中にいる、ジェンダー・ハラッサー」のことではないか、と思うに至りました。

 以前、私が男友達に自分の年収を言ったとき、「それ、彼氏より多いんじゃない? 彼氏には言わない方がいいよ。傷つくから」と言われました。私の彼氏はそのことで傷つかないと思うのですが、なぜ男友達は「男性が彼女より年収が低いと知ったら傷つく」と思ったのか。それは、彼の中に、「男は女より稼ぐべし! 男の価値は稼ぎとイコール!」というジェンダー・ハラッサーがいたからではないか、と思うのです。女よりも稼げない男はカッコ悪い、という抑圧でもありますね。

 そういったジェンダー・ハラッサーを心の中に飼っている男性は、自分が病気や事故で働けなくなったときや、リストラされたときなどに、自己肯定感が激しく低下するでしょう。仕事ができて稼げているうちは、男友達と「いくら稼いでいるか」でマウンティングしあうことも出来るでしょうが、もうその場に立つことは恐怖になります。相手が高収入だというだけで劣等感を感じるかもしれません。

 病気や突然の解雇、雇い止めなどは、誰にでも起こることです。そして「仕事ができて稼ぎの良い人」なんて、全体のごくごく一部に過ぎません。大企業の出世コースに乗るエリートはごくわずかですし、そのうえ必ずしも実力を評価されてのし上がっているわけでもないでしょう。ピラミッドの上部に立つ男性は確かに“強者”ですが、そうでない男性たちは決して強者と言える存在ではないと思います。

 「男たるもの稼ぐべし」というジェンダー・ハラスメントの蔓延は、時に強者ではない男性たちを鼓舞してきたかもしれませんが、結果的に大多数の普通の男性を苦しめるものでしょう。「男のプライド」を持ち続ける限り、他人から傷つけられなくとも、自分で自分を深く傷つけることになるのではないでしょうか。

みんな自分で自分を縛り付けて傷ついている

 自分の中にジェンダー・ハラッサーを飼ってしまうのは男性だけではありません。女性は違った形で自分自身にジェンダー・ハラスメントをしてしまいます。

 直樹の妻、加南子は仕事が好きで出産後もバリバリ働きたいと考えていますが、妊娠中に体調不良に陥ったことをきっかけに<働くことを優先するのは、やっぱり母親としてダメ>だと思うようになっています。そこにもまた、彼女自身の「母親は自分を犠牲にしても子供に尽くすべし」というジェンダー・ハラスメントがあるのかもしれません。「夫婦は平等だ」と思っていても、現実に「仕事or子供」のどちらかを優先させなければならない局面になり、同じような挫折感や罪悪感を味わう女性は少なくないでしょう。

 しかし直樹は、<仕事を頑張っている母親が子どもを愛していないというなら、世の働くお父さんたちは、みんな子供を愛していないことになってしまう><女の人だけ育児が必須になってるのは、おかしい>と、加奈子の発言の不公平性を指摘します。

 ジェンダーに起因する問題に直面したとき、このように意見をしてくれるパートナーはありがたいですよね。逆に、「男なんだからもっと稼いできてよね」と要求する妻、「母親なんだから家事育児を完璧にしろ」と責める夫のような、相手に性別役割を強く押し付けるパートナーも実際には大勢いると思います。こうした問題は、価値観の一致・不一致として離婚事由にもなります。

 『たてがみを捨てたライオン』で描かれた男性たちは、「男たるものこうあるべき」という規範に縛られ、自分自身にジェンダー・ハラスメントしてしまっていました。他人からハラスメントされた場合、「ジェンダー・ハラスメントやめろ」と言うことができますが、やはり自分自身に対するハラスメントは厄介です。「男なのだから〇〇しないといけない」と思い込むことほど、根深く、厄介で、自分を傷つけるものはありません。

 直樹たちはそれぞれの形で、「自分を縛っていたもの」に気がつき、もがき、自分を変えるための一歩を踏み出します。ジェンダーの抑圧は、目に見えない呪縛です。少なくとも今の日本社会では、生まれたそのときから、ごく普通の生活をしているだけでかかるものです。何十年もの呪縛から一瞬で自由になることはできないでしょう。ですが、「勇気を出して自分と向き合うことで、少しずつでも自分の意識は変えていける」、そういった前向きな希望を、『たてがみを捨てたライオン』から受け取りました。小説なので難しさはありませんし、「男性の生きづらさ」の正体を知りたい人、男だから・女だからという性別役割について考え直したい人に特におすすめできる一冊です。

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