東大にはセクハラ・性暴力の起こりやすい環境が温存されている/東京大学ミス&ミスターコンテストについて考える会に聞く

文=編集部
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 昨年11月、法政大学の学生らが非公認で「ミスター法政コンテスト」の開催を企画していたことに対して大学側が声明を出し、話題となった。

 法政大学側は自主法政祭実行委員会が掲げている<「ミスコン」とは人格を切り離したところで、都合よく規定された「女性像」に基づき、女性の評価を行うものである>との見解を引用しながら、<「ミス/ミスターコンテスト」のように主観に基づいて人を順位付けする行為は、「多様な人格への敬意」と相反するものであり、容認できるものではありません>と主張。法政大学内の施設を利用しての「ミスター法政コンテスト」を認めない方針を明確にした。

 国際基督教大学も2011年に学園祭でのミスコン企画がもち上がった際、<ミスコンがある種の外見/能力/振舞の人間像を規範とする抑圧構造に依拠するものであることには、過去20余年、多くの議論の蓄積があります。日々、見つめられ、判断される、個々人への視線の暴力を、ICU祭の場で、キャンパスで、再生産することに異議を唱えます>との声明を出し、学生に再考を求めたことがある(結果的に中止となった)。

 こういった動きが起きている大学が存在する一方、いまだにミスコンやミスターコンテストが行われ、学園祭のメインイベントとなっている大学は多い。

 東京大学もそのひとつだ。しかし現在、この状況を変えるべく声をあげている団体がある。東京大学のミス&ミスターコンテストについて考える会(現在の名称は「ミス&ミスターコンテストについて考える会」。ツイッターアカウント:@thinkaboutmiss1)のお二人に話を聞いた。

ミスコン・ミスターコンが開かれるべきでない理由

──ミスコンやミスターコンが大学で行われることのどこを問題だと考えていますか?

あきさん(仮名) 私は大きく分けて3つ問題があると思っています。

 1つ目は、「ミスコン」というかたちをとって、みんなの投票で学内1位の女性を決めるという行為は、「どういう女性が好まれるか」という規範をつくってしまうということです。

 ミスコンの開催により、特に「容姿」の面で優劣を決められる。そうやって「女性が目指すべき姿」の規範がつくられるということは、それに当てはまらない人に対して「努力して理想的な姿を目指せ」というメッセージを発信することになりますよね。

 その結果、規範に当てはまらない人は軽視されたり、もっと悪ければ笑い者にされたりという流れを生み出すことにもなります。

──ルッキズムの追認・再生産がミスコンによって行われていると。

あきさん 2つ目は、「ミスコン」「ミスターコン」の2つを行うことによって、異性愛主義の規範を強めるということです。

 ミス東大とミスター東大のファイナリストが決まったら、表彰式で女性がウエディングドレス、男性がスーツを着たうえ、まるで結婚式のように男性が女性をエスコートしてステージに上がるんです。

 これは「男性と未婚の女性をマッチングさせて結婚へ導く」という異性愛の規範を再生産する儀式そのもの。それを多くの人の目の前で行うことは、結果的に、異性愛の規範に当てはまらない人を「存在しない」ものにするということであると思います。

──それによって傷つく人も出てくるわけですよね。

あきさん 3つ目は、そういった規範の再生産が大学内で行われているということです。

 大学というのはそもそも社会の規範を学問によって問い直す場所であるはずなのに、それどころかルッキズムや女性差別や性的マイノリティへの差別を再生産するような催しが行われている。それは疑問視しないといけないことです。

 しかも、東大のミスコン&ミスターコンには、医療脱毛のリゼクリニック・メンズリゼが協賛で入っています。大学というものは、そういった商業主義からも自由であるべき場所なのではないでしょうか?

 駒場祭には「特定の営利団体・政治団体・宗教団体などの宣伝となる活動を行わない」という自主規律があるんですけど、この状況は明らかに自主規律に反しています。

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昨年11月に配布された、会の主張をまとめたビラ

2学年合同合宿のセクハラ・性暴力

──どうしてミス&ミスターコンテストに反対する運動を始めようと思ったのですか?

あきさん 私は高校まで海外の学校に通っていて、大学に入るのを機に日本に帰国しました。

 そこで、「海外に比べると」みたいな言い方はアレですけど、やっぱり、日本の学校では性差別的な風潮が強いなと感じて。「女の子はこうあるべき」とか「こういう女の子が望ましい」という規範を突きつけられる場面がたくさんありました。

 そういったことが続いていくうち、辛くなって大学にちゃんと行けなくなってしまって。

 でもフェミニズムの勉強をし始めたことで、自分が感じている苦しさの一因が、「女性らしさ」という規範の再生産にあるということが分かるようになったんです。

──先ほどご説明いただいた通り、ミスコンは「規範の再生産」に関わるイベントですよね。

あきさん 私はもともとミスコンに興味があったわけではないです。「なんか楽しそうにやってるな〜」くらいにしか感じていませんでした。

 でも、だんだんと自分の苦しさの原因が分かり始めていたタイミングで、他の大学では反対意見によってミスコンが開催されなくなっているという話を聞く機会があり、まずは「自分自身のまわりを住みやすい場所にする」という意味で、ミスコン反対の活動を始めました。

──大学生活を送るうえで、「生きづらい」と感じた具体的なエピソードがあったのですか。

あきさん たとえば、1年生の女子には特定の役割が強く求められていると感じていました。「いつも可愛らしくして振る舞って、先輩男子のことは立てる」とか。またその逆に、女の子っぽい役割ではない子はイジって笑い者にされるとか。

 そういったいくつかのロールがあって、それに適合することを要求される。もしも抗って「嫌だ」と抗議をすれば「メンヘラ」と呼ばれて厄介者の扱いを受けます。

 東大の男女比率は8:2で圧倒的に男子ばかりなので、そもそも女性蔑視的な空間が出来やすいんですけど、そのなかでセクハラ・性暴力といったものも頻繁に起きています。

 私自身も、周囲の友だちも、多くの人がそういった被害に遭っていますが、それはそもそも女性差別的なロールの中に当てはめようとする構造に問題があるのではないかと思いますね。

──サークル内ではそういったことが起きているわけですね。

あきさん 東大の場合はクラスでもセクハラ・性暴力の起こりやすい環境があります。

 東大の生徒は「上クラ」「下クラ」と呼んでいるんですけど、2年生の先輩(上クラ)が 1年生の後輩(下クラ)の面倒を見るという仕組みがあるのです。 「2年1組の生徒が1年1組のお世話をする」といった具合に交流していて、4月の頭には、2学年合同で一泊二日の合宿に行く慣例があるのですが、この合宿が非常に問題で。

 先輩後輩の力関係がある生徒たちが「合宿」というクローズドな空間の中に押し込められることで、セクハラ・性暴力が非常に起きやすい環境になっているんです。

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ミス&ミスターコンテストについて考える会メンバーのおふたり

 この「上クラ」「下クラ」が問題なのは、環境を変えづらいことです。サークルだったら最悪抜ければいいし、特に新歓の時期だったら変えやすいですけど、クラスだとそう簡単にはいかない。語学の授業で毎週顔を合わせるわけですから、「不協和音を起こしたくない」という思いから被害を泣き寝入りすることになりかねません。

東大女子お断りサークル問題には東大男子も声をあげてほしい

──先日、東大の新歓行事をまとめている学生自治団体が、他大学の女子学生の参加は認めるのに東大女子生徒の参加は認めない、いわゆる「東大女子お断りサークル」に対して、<正当な基準なく特定の大学を対象に性別のみに基づいて入会を規制することは、純然たる差別行為であり、新入生に不快な思いを与えます>との声明を出し、東大女子お断りサークルの新歓行事への参加が認められなくなったことがニュースになりました。

あきさん 東大女子お断りサークルは、女性差別の問題です。

 東大に入って感じたのは、東大男子は東大女子と他大女子をはっきりと区別しているということです。「東大女子は頭が良くて知的な会話も出来るから、自分たちと対等な立場だと認めてやらないこともないけど、ノリが悪いし媚びてくれないから一緒に遊びたくはない」、「他大女子に対しては可愛くてノリもいいし、遊ぶにはいいけど、頭が悪いから蔑んでもかまわない」みたいな感じで。

 女性を、自分たちの作った勝手な基準で評価している。

 お断りサークルの一部は、新歓の時期に、可愛い子と可愛くない子で連絡先を書くペンの色を変えておいて可愛い子にだけ連絡するとか、そういうことまでやっていると聞いたことがあります。

──それが彼らにとって普通のことだ、というわけですね。言葉を失います。

あきさん だから、ミスコンのように「女性を評価する」イベントも批判なく行われます。東大女子に対しても、他大女子に対しても、「自分たちの都合のいいように利用してもいい存在」という認識を改め、まず「ひとりの人間」として扱うところから始めないといけないと思います。

──他者に対する「自分たちの都合のいいように利用してもいい存在」という認識を改めることがスタート地点なわけですね。

あきさん あと、この件で気になったのは「東大女子お断りサークルなんてそもそも東大女子は入りたがらないし、学内の生徒には他にも入れるサークルがいっぱいあるから、東大女子も声をあげなかった。だからここまでその状況が続いていた」みたいな意見もあるんですけど、その意見は本当におかしいと思います。

 こういった意見は、性差別的なシステムとか振る舞いに対して批判する責任をすべて東大女子に押し付けているものです。

 現状を簡単に変えられる立場にあるのは、東大女子ではなく東大男子の方ですよね。男性が声をあげる難しさもあるとは思うんですけど、ある程度は介入というか、コミットする責任があるのではないかと思っています。

東大だけの問題ではない

──「上クラ」「下クラ」にように東大特有の問題もありますが、大学における性差別、その象徴としてのミスコンの問題は、どこの大学にも共通していることですよね。

ひみこさん(仮名) 実は私は東大生ではなく、北海道大学からこの会に参加しているんですけど、女性蔑視的な空間のなかでセクハラ・性暴力が起こるのは北大も一緒でした。

 私は運動系のサークルに所属していたのですが、新歓の時期などは男子部員が新入生の女子生徒にカップ数や経験人数を聞くといったことが普通に行われていました。

 あと、私の属するサークルは部室がなかったのでシェアハウスを借りて、そこを部室代わりにしていたのですが、そこでうとうと寝ていたら身体を触られたこともありました。

──どこの大学でも、似たようなひどいことが起きていると。

あきさん ここまで指摘してきたような問題が東大だけに限ったことではないのは事実です。ですから、先日、「東京大学のミス&ミスターコンテストについて考える会」という会の名称から「東京大学」という言葉を失くし「ミス&ミスターコンテストについて考える会」に名前を変えました。

 ミスコンのようなイベントにより、差別的な価値観から導き出された「女性があるべき姿」という規範の再生産が行われるような状況は他の大学でも、もっと言えば、いまの日本社会全体に共通して言えることです。

 「ミスコンは日常」という言葉がありますが、ミスコン参加者のみならず、私たち全員が生活のなかのあらゆる場面で「女性があるべき姿」の規範を押し付けられている。私たち全員が当事者なのです。

 とはいえ、東大のミスコンを問題にし続ける姿勢は変わりませんし、問題提起のとっかかりとして今後もミス&ミスターコンテストを主催する東京大学広告研究会へのアプローチは続けていくつもりではあります。

──期待しています。

あきさん ひみこさんがそうであるように学外から運動に加わってくれている方もいますし、ミス&ミスターコンテストについて考える会に所属まではしなくとも、様々なかたちでサポートをしてくれている方もいて、そのなかには男性もいます。

 学内、学外問わず、仲間を募集しているので、一緒に声をあげたいと思っている方がいたら、ツイッターやメールで連絡をしてほしいです。お待ちしています。

(取材、構成、写真:編集部)

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