新宿のバスターミナルで、私は今回の取材相手を待っていた。千葉県館山市から長距離バスで取材を受けにきてくれるというその人は、目がほとんど見えないという。ちゃんと待ち合わせできるか。カフェまでどうやって誘導すればいいんだろう? 視覚障害者と近く接したことがなかった私は少し緊張していた。スマホに電話がかかってきた。「あれ? どこにいます?」。
やばい、待ち合わせのターミナル出口を間違えた……。慌てて別の出口に向かうと、そこには、背筋を伸ばして白杖を持ち、ギンガムチェックのコートに身を包んだ石井健介さんが、すっきりとした存在感を放って立っていた。呼びかけると、「ああ、よかった!」と笑顔を向けてくれた。緊張は一気に解けた。
今、手にしているつもりでいる「健康」は幻みたいなものだ。
3年前のある日、いつものように目を覚ました石井健介さんは、目の前が重い霧に包まれたかのように、何も見えなくなっているのに気がついた。30代、健康で働き盛り、3歳の娘と生後3カ月の息子を持つ二児の父は、まったく突然に両目の視力を失った。
一夜にして世界が真っ黒に。原因不明の長期入院
アパレル業界や環境に配慮した企業の営業や広報などを務め、その明るさや発想力、人脈をつかっていくつものプロジェクト運営や広報活動をしていた石井健介さん。2013年に長女が生まれたのを機に、家族との時間を大切にしたいとフリーランスに転身、自分なりにベストなワークライフバランスを掴み始めていたところだった。
そして2016年の春。わずかな違和感があったとすれば、打ち合わせで入ったカフェのメニューを見たとき、視界に白い点が入り文字が見えにくかったことくらいだった。
「会社員時代と違ってストレスもほとんどなかったし、元々健康には気をつけていたから、まさか病気になるなんて思っていなかった。ちょっと字が見えにくくても、それほど深刻には考えませんでした。ただ帰宅して看護師である妻に話すと、『大丈夫だろうけど、一応眼科にいってみたら?』と言われて、それもそうかと翌日近所の眼科に行きました。でも水晶体や網膜などに傷はなく、疲れ目でしょうと目薬をもらって帰ったんです」
ところが、翌朝目を覚ますと、視界は極端に狭くなり、すぐ近くのものが動くのがかろうじてわかるかというくらいまで視力は低下していた。一人で立ち上がって歩くこともできず、石井さんはパニックに陥った。
「何も見えない恐ろしさに取り乱しました。妻が最初からすごく冷静に対応してくれたことに救われました。『わかったから、まず座って。落ち着こう』と言ってくれ、『日曜日だけど、昨日かかった眼科が空いているか確認するから待っていて』と。それで僕も、少し落ち着くことができて、ふと窓の外を見たんです。その時はまだ色彩が残っていから、光がぼんやりと反射して重なって幻想的だった。『これもこれできれいだな』なんて、呑気なことを思ったのを覚えています。その後一気に症状が悪化するんですけどね」
幼い子どもたちを近所に住む義母に預け、石井さんは妻とともに眼科を再受診した。だが眼科医師は「ここではもう診られない」と言う。目に異常がない以上、おそらく神経の問題だという医師の判断で、大学病院の神経内科に紹介状を書いてもらった。
「妻の運転で病院に着いたのは夕方で、診察は夜になってからでした。それまでの間に、朝にはわずかに残っていた光や色はみるみる失われて、真っ暗な世界になってしまっていたんです。脳のCTスキャンでも異常は見られず、初見は軽い脳梗塞ということでした。そのまま検査入院をすることになり、そこから2カ月近く、病院から出られなくなりました」
すぐに神経内科と眼科の両方で失明の原因を探す検査が行われたが、はっきりとした結果は出なかった。
「死にたい」としか思えなかった3日間
わけがわからないまま、突如として両目の視力を失った石井さん。自分の置かれた状況が信じられず、絶望の底に落とされた。
「これからどうなるんだという不安だけが募った。頭の中で悪い考えだけが膨らんでいくんです。大好きな娘や息子の顔をもう見ることができないと思うと泣けてしかたがなかった。もう遊んであげることもできない、絵本も読んであげられない、目の見えない父親が重荷になるだろう、幼い子を二人抱えて妻はどうするんだ、仕事もできない。そう思うと自分が生きている価値がわからなくなりました。いっそ自分が死んだ方が家族に負担がかからないし、妻は他の人と再婚してやり直せるんじゃないか……そんなふうに思って、最初の3日間は死ぬことしか考えられなかったです」
妻は毎日見舞いに来てくれたが、石井さんは個室でほとんど誰とも会話しないまま、暗闇の中に居続けた。夜がきて「電気を消しますね」と看護師が言うが、電気が消えたかどうかもわからない。やがて眠りにつくと、色とりどりの鮮明な夢を見た。だが、目が覚めれば再び暗闇に突き落とされた。
「だんだん、夢をみながら『これは夢だな』ってわかるようになって。覚めないで欲しいと思うんだけど、目が覚めてしまう。そして絶望するの繰り返し。泣いてばかりいました」
そんな石井さんのそばで妻は言葉少なに背中を撫ぜ、ときには静かに涙を流していた。「申し訳ない」と再び泣く石井さんに、妻は言った。
「お父さんがいない家庭もたくさんあるよね。パパがいてくれるだけで子どもたちはどんなに救われると思う? いてくれるだけでいいんだから」
毎日欠かさず夫を見舞い励ましながら、妻は自分なりに症状から病名に当たりをつけたり、高額医療費制度の手続きについて調べたりと、一家の人生をそのまま回し続けるためにできることを続けていた。家では赤ちゃんの面倒をみて、なぜパパが入院しているかを3歳の娘に伝えた。
「すごいと思いますよ。本当に。取り乱すことも全然なかった。ずっと後になって、どうしてあれほど冷静でいてくれたのかと聞いたら、『生活があって子どもたちがいたから。やることがたくさんあって落ち込む暇なんてなかった』と言ってくれたんです。妻には感謝しかないですね」
また多くの友人や知人からの励ましも、石井さんの気持ちを強くしてくれた。突然投げ出す形になってしまった緊急の仕事に断りをいれるため、数人にはiPhone のSiri機能をつかって直接電話をし、あとは妻に頼んで自分のfacebookアカウントから事情を説明する投稿をしてもらったのだ。
「とても一人一人に連絡ができる心境ではなく、ベッドにいる写真を撮ってもらって状況を書いて投稿してもらったんです。そうしたら、びっくりするくらいに反応があって。友人や仕事仲間など大勢の人が驚くほどたくさんのメッセージをくれたんです。みんな心から心配して応援してくれた。なんだかそのメッセージが、頭で理解するより前に胸にドーンと響いたんですよね。本当にありがたくて。死ぬことばっかり考えていたけど、これじゃダメだって、少しずつ思えるようになりました。ちゃんと治して元気にならないとって」
「見えないまま」手探りの中、退院
入院中はMRI検査などを続け、考えうる原因を解消するための治療が同時進行で行われた。
「脳梗塞の可能性は早い段階で否定されたものの、他にこれと確定できる病名が見当たらなかった。次に言われたのが、視神経脊髄炎という自己免疫疾患の難病でした。確定ではなかったものの、とりあえず視神経の炎症を抑えるため1000mlのステロイド剤を点滴するステロイドパルス療法が4日間受けました」
治療をしている間も検査は続き、結果を待つ間にさらなる治療を受けることになった。
血液中にできた抗体を取り除くため、成分献血によって集められた輸血からの血漿交換をするという治療法だった。1日置きに11回。この治療は1カ月近くかかった。
「もし視神経脊髄炎なら、ステロイド療法と血漿交換の治療でちゃんと見えるようになると眼科医に言われていたから、僕はすごく期待して、ワクワクもしていました。治るんだ、と思って。実際1カ月間の治療後に、全く見えていなかった光が少しだけ戻ってきて、物影が自分の目の前で動いているのは感じられるという程度にはなったんです。右目は「手動弁」と言って目の前で手が動いているのがわかるくらいにまで回復し、左目は目の前に出された指の数がわかる「指数弁」を超えて、0.02まで視力が戻りました」
だが、入院中の回復はそれまでだった。視神経脊髄炎でないのだとしたら……と“消去法”ででた病名は「多発性硬化症」。視神経脊髄炎とよく似た中枢神経障害だった。それでも、石井さんのように、急激に両目の視力が極端に衰えるという症例は、これまでにないものだ。
「退院するときにはきっと『見える』状態になってるものだと信じていたのに、こんなにも見えないままで家に戻るのか、とそこでまた落ち込んでしまいました」
不安な気持ちを引きずったまま、石井さんは妻と2人の幼子が待つ家に戻った。だが、家のなかを自由に歩くこともできず、途方にくれた。娘に遊ぼうと言われてもどう接して良いかわからなかった。絵本の読み聞かせも、人形遊びも、見えないと何一つできなかった。
「遊ぼう」と誘うたびに沈むパパを見て、娘は自分がいけないことを言ったのかもと戸惑い、悲しんだ。仲良しでいつも笑いが絶えなかった父娘の関係が、ギクシャクしてしまった。
そんな姿を見かねて、いつも味方でいてくれた妻が言い放った。
「『あなた、この子のこと好きでしょ。一緒に遊びたいんでしょ? だったらできないできないって言ってないで、できることを探したら良いじゃん』って言われたんです。『そういうの、あなたは得意でしょう?』って。娘にも『前みたいに笑ってるパパがいい』と言われて、ハッとして。ああ、僕は何やってるんだ、このままじゃダメだと思いました」
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