「男同士の絆」は一緒に風俗やキャバクラに行くと深まる?

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Getty Imagesより

 男性が恋人の実家に出向き、「娘さんを下さい」と父親に頭を下げる。ドラマなどのコンテンツで、そんなシーンを見たことがある方は多いでしょう。頑固な父親が「娘はやらん!」と怒る、とかね。

 こういった会話が交わされるとき、「女性が誰の【モノ】になるか」は、挨拶に来た男性と娘の父親の間で決定され、母親と娘には決定権はありません。女性をめぐる、女性不在の構図がそこにあるのだと思います。

女性の交換・モノ化による男同士の絆の強化

 なぜこういった構図になるかというと、背景に家父長制があります。家父長制とは、「男性が家長になり、絶対的な権力を持ち、ほかの家族の構成員を支配するという制度」のことです。

 「女性がモノや財産として男性の間で取引されること」は日本特有の事象ではありません。人類学者のレヴィ・ストロースによる、「婚姻は男性集団の間で成立し、女性は交換されるモノでしかない」という分析は有名です。

 アメリカの文学研究者であるイヴ・K・セジウィックは、そこからもう一歩踏み込み、「女性の交換こそ、家父長制を支える重要なシステムのひとつであり、男性は女性の交換を通じて男同士の絆を強める」ことを、著書『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望―』(名古屋大学出版界)のなかで明らかにしました。

 今回は本書を参考に、「女性の交換を通して、あるいはモノ化して、男同士の絆を深めようとする行動は現在も行われているか」について考えてみたいと思います。

ホモソーシャルに内在する女性蔑視による実害

 男同士の絆を意味する「ホモソーシャル(略してホモソ)」。最近、少しずつ認知度が高まっている言葉ではないでしょうか。

 私自身がいつこの言葉を知ったのかは覚えていないのですが、捉えどころのない現象に名前をつけることができ、とてもスッキリしたことは覚えています。

 男同士の間に絆があることは、それ自体はいいことのように思われますが、ホモソという言葉は大抵、否定的な意味合いで使用されます。なぜなら、ホモソーシャルは、女性蔑視と同性愛嫌悪(ホモフォビア)を強制する圧力を内包しているからです。

 男同士の絆を強めるために、周囲に女をはべらす、女をモノ化する、という方法を取る人は未だに存在しているようです。

 たとえば、友人A君は、取引先との接待でホモソ圧力を感じることが多いと言います。A君は取引相手にキャバクラへ連れて行かれることが多いそうで、「行きたくないけど、仕事だから仕方ない」と割り切っているものの、水着を着た女性が隣に座るお店だったときは、とてもストレスを感じたと言います。

 A君いわく「こういうの、男だったら嬉しいでしょ? と思われているのが嫌だった。仕事だからノリを合わせてはしゃいでいるふりをしなくちゃいけないのがキツかったし……」とのこと。

 一方で、別の友人B君はナンパが大好きで、友人C君とよく街にナンパに繰り出しています。B君は、「実際にナンパしているより、Cと成果について話している時の方が楽しい」と言うのですが、これも典型的なホモソーシャルです。

 B君にナンパ相手の女性を「モノ」として捉えている自覚はありませんが、「女性が、結果的に男性との絆を深めるためのアイテムになっていた」という構図は否定できません。

 「男同士の絆を深めるために、女性をアイテムとして使う」ことがいきすぎてしまうと、セクハラや性犯罪につながる恐れもあります。

 スーパーフリー事件を始めとする、集団強姦事件を耳にするたびに、「なんで知り合いの前でセックスする気になれたのだろう?」と思っていました。でも彼らは実は、「むしろそのグループに認められるために、自分の知っている人の前だからこそ、した」のではないでしょうか。

 ただ「セックスしたい」というわけではなく、女性を共有・交換することで得られる利益が彼らにはあったのだと思います。

男同士の絆を深めるために、女性を利用する必要ってある?

 セジウィックは、「家父長的な制度下においては、同性愛は必然的に嫌悪されること」、それゆえ、「同性愛嫌悪は女性の交換を推進する原動力にもなっていること」を指摘しています。

<ホモフォビア(引用者註:同性愛嫌悪のこと)と無縁の家父長制など想像できそうにない。たとえば、ゲイル・ルービンはこう記しているー「人間のセクシャリティを構成している要素のうち、同性愛的要素を抑圧すると、同性愛者を迫害することになる。それはまさしく……女性を支配する法と関係のシステムの産物なのである>(P.4)

<そもそもホモソーシャリティ(引用者註:ホモソーシャルと同義)とは、女性蔑視ないし女性嫌悪に基づくことから、潜在的に同性愛的なのであるが、セジウィックによると、男性はこの同性愛的なるものを隠蔽するために、女性を交換するという。つまり、女性の交換は、ホモフォビアに囚われた男性にとって、女性を周縁化するだけでなく、異性愛者としての主体を立ち上げつつ、ホモソーシャル体制に参入する、言うなれば通過儀礼なのである>(P.358)

 家父長制および家父長制を維持するために、ホモソーシャルは欠かせません。同性婚や、男性を家長とするイエ制度を脅かす可能性のある夫婦別姓を頑なに否定する人たちがホモソーシャルに自覚的かどうかはわかりませんが、内面化している可能性はあるのではないでしょうか。

 「娘さんを下さい」と女性をモノ扱いする場面が“定番”ではなくなっているとしても、今でも結婚式で娘は、父親から夫へと受け渡されます。花嫁はバージンロードを父と歩き、夫に引き渡されるのです。幸福な花嫁、頼もしい新郎、祝福の拍手。

 ホモソーシャルは特権的な立場にいる人びとに限定したものではありません。私たちの社会に文化として染み込んでいます。社会的に報われない弱い立場にいても、同性愛嫌悪・女性蔑視的な言動をします。強者の価値観に同化するのです。社会的弱者が社会の構造や政治を批判的に見るのではなく、弱者同士で憎み合ってくれれば、これほど体制にとってありがたいことはありませんね。

 本当は、男同士が仲良くなる方法なんて、女性を媒介にしなくたってたくさんあるはず。一番シンプルな方法は、自分の感情を打ち明けることです。でも、「男の子なんだから泣いちゃだめ」などと言われ、感情や弱さを見せることをよしとしない教育を受けている男性もいるでしょう。なんて根深い問題でしょうか。

 でも、一緒にキャバクラに行ったり、風俗に行ったりするよりも、感情を打ち明けあったほうが仲良くなれると思いませんか。男同士の絆のために、女性を利用しないでください。

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