裁判員は遺族と世間の代理人? 忘れられた「修復的司法」

文=みわよしこ
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 前回記事では、相模原障害者殺傷事件で死刑判決を受けたばかりの植松聖被告への手紙という形で、裁判から感じる違和感と問題点について述べた。

 死刑が確定したばかりの今回は、「裁判員裁判」というシステムそのものが含む問題点を整理してみよう。ことメンタルヘルスが関係している場合、裁判員裁判の問題点は、より明確になる傾向があるからだ。

「裁判員裁判」は何のために導入されたのか

 2020年3月16日、横浜地裁で続けられてきた裁判員裁判が終結し、植松被告に死刑判決が言い渡された。

 裁判員裁判は、2009年に開始された制度だ。対象となるのは、殺人を含む重大事件の第一審である。原則として、3人の裁判官と6人の裁判員が合議の上で裁判を進行させ、判決へ至る。

 相模原障害者殺傷事件の裁判は、公判前手続きを含めて2年以上の期間にわたり、途中で裁判員の交代もあった。判決時には、裁判員6人と補充裁判員2名の8名という構成だった。

 日弁連の裁判員制度解説には、趣旨が「私たち国民が裁判に参加する制度です」と述べられている。裁判員の役割は、まず、「刑事裁判の審理に出席して証拠を聞き出し、裁判官と対等に論議」することである。

 また、被告人が有罪か無罪かについて、「合理的な疑問を残さない程度の証明」、すなわち「みなさんの常識に基づく疑問」が解決されたかどうかを判断する。「常識」に照らし、「少しでも疑問が残るときは無罪、疑問の余地はないと確信したときは有罪と判断」する。さらに、有罪の場合は量刑について検討する。

 裁判員たちの「常識」に照らせば、植松被告を無罪とする可能性は全くなく、死刑が適切だったことになる。そして3月30日、控訴期限となり、死刑が確定した。

各国の裁判員制度は?

 日弁連の制度解説には、各国の裁判員制度もあり、米国・フランスを含む7カ国の制度を比較できる。裁判員制度と類似した制度は、イギリスで13世紀ごろ生まれており、米国の司法制度にも引き継がれている。フランスでは、1679年のフランス革命を契機として生まれ、ドイツの司法制度にも影響を与えている。

 多くの国で、裁判員の参加は第一審に限られているが、フランスのように上級審に参加できる国もある。また国によっては、裁判員裁判を重大事件に限定していない(ロシア・フランス・イタリア・ドイツ)。なお、日弁連の解説には掲載されていないが、裁判員裁判を比較的軽い事件に限定する国もある(デンマークなど)。

 日本の場合、裁判員裁判は重大事件に限られる。司法の当事者となったことのない一般市民が、ある日突然選任され、重大事件の裁判に参加する。広く報道された事件であれば、いわゆる「世間を騒がせた」内容が記憶に刻み込まれているであろう。

 相模原障害者殺傷事件では、事件発生直後から、ネット世論に「死刑しかない」「死刑でも足りない」「もっと残虐な刑を」といった文言があふれていた。そのような背景をもつ「常識」は、「できるだけ重い刑にしなくては」というプレッシャーに捻じ曲げられているはずだ。そのプレッシャーをいったん緩和する仕組みは、どこにも組み込まれていない。

「開チン」は、必ず「公然わいせつ罪」なのか?

 裁判員裁判の裁判員になる「一般市民」の「常識」は、その人がどこの誰なのかによって、大きく左右される可能性がある。それは、裁判の結果も大きく左右する。いかにもありそうな架空の事例で考えてみよう。

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 長く厳しい冬が去り、春が過ぎ、そろそろ初夏だ。今日は晴天。天気予報によれば、最高気温は29℃ということだ。美しい新緑に溢れた公園のベンチに腰掛けて、コンビニおにぎりと缶コーヒーで昼ごはんにしようかな……。

 そう考えたあなたは、公園の前のコンビニで、おにぎりとコーヒーを購入した。食べ終わり、うららかな陽気のもとで目を閉じてのんびりしていると、隣のベンチに若い青年が座った。リラックスしている様子である。しばらくして、布の擦れるような音が続き、そして止まった。ふと、その青年の方に目を向けたあなたが見たものは、全裸で大の字になってベンチでリラックスしている青年の姿だった!

 脚と脚の間で、イチモツも気持ちよさそうにリラックスしている。うわっ! そこに小学校がある。もうすぐ、低学年の下校時間だ。この露出狂のヘンタイの「見せ見せおじさん」から、かわいい小学生を守らなくては! 110番すると、すぐに警官がやってきて、全裸の青年をパトカーで連行した。めでたし、めでたし。

 青年を連行して取り調べを始めた警察官たちは、青年が問いかけに応答せず、ただ怯えている様子であることに気づいた。衣服に縫い付けてあったタグには、住所と氏名と電話番号があった。警官が電話してみると、青年の母親が応答した。青年は知的障害者で、ただ、あまりにも心地よかったからフラリと散歩に出て、生まれたままの姿で、初夏の風に吹かれて日光浴していただけだった。

 身柄を引き取りに来た青年の母親は、心から恐縮しつつ、「これで3回目」と溜息をついた。幸いにも、今回も逮捕を免れたけれども、いつ「わいせつ物陳列罪」で起訴されてもおかしくない。家族で面倒を見るのは、もう限界だ。津久井やまゆり園のような大規模施設に入所させるしかなさそうだ……。

 青年は、時に気持ちよく「開チン」してしまうけれども、暴力をふるったり、急に勢いよく走り出したりすることはない。青年が生まれた時から一家と付き合ってきた近所の人々は、そのことを知っている。しかし、次に似たようなことが起こったら、逮捕されてしまうかもしれない。「責任能力あり」と判断され、起訴されてしまうかもしれない。

 しかし青年の刑事裁判に、よく知っているご近所さんが裁判員として参加すると、「またやっちゃったの?」と呆れつつ、「悪質な連続露出狂」という論調に流れる裁判員たちに、「違うんです!」と釘をさすことが出来る。他の裁判官たちが青年を深く理解すれば、有罪判決にはなりにくそうだ。青年を知っている人々が近隣地域全体に増えれば、衣服を脱いで日光浴する際、「パンツまで脱ぐなよ」と注意してもらえる可能性が増える。結果として、多くの人のストレスが減り、青年の再犯も予防される。何も知らない女性が通りすがり、悲鳴をあげる可能性は減る。青年の「開チン」は、地域社会にほころびを作った。しかし裁判員裁判によって、ほころびが繕われ、さらに柔軟で生きやすい地域社会が出来た。めでたし、めでたし。

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 ……これは、ノルウェーの刑法学者であるニルス・クリスティの著書『人が人を裁くとき―裁判員のための修復的司法入門』(有信堂高文社)に紹介されているエピソードを、筆者が日本風にアレンジしたものである。もしも、本当に露出狂でヘンタイで「見せ見せおじさん」なのなら、まずは110番して連行してもらうのが正解なのかもしれない。しかし、現象が同じでも、背景が異なれば、異なる正解がありうる。本人と背景を総合的に理解し、社会にとってより良い「正解」を探すのが、修復的司法の営みである。

 残念ながら日本では、このような成り行きにはならない。重大犯罪以外の裁判に、裁判員が参加することはないからだ。そもそも、当事者を知っている人は裁判員にならない。

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