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夫婦別姓での結婚という選択、否定する前に知っておいてほしいこと

文=和久井香菜子
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「GettyImages」より

 選択的夫婦別姓への注目度が、これまでになく高まっている。

 筆者は2015年の大法廷判決を機に取材を始めた。2018年から始まった第二次訴訟の裁判にはできる限り足を運び、勉強会や集会に参加して、弁護団や当事者に話を聞いてきた。

 2019年秋に、一連の裁判で敗訴が続いてしまう。原告・弁護団ともに控訴へ向けて奮起していたところに起きたのが、自民党女性議員による「改姓が嫌なら結婚しなければいい」という野次だ。それを機にマスコミでもさらに注目されるようになり、法改正への機運が加速度的に進んでいると感じる。与党にも賛成は少なくない。

 取材を通じて感じたのは、賛成派の方たちの知識の深さだ。多くの方が、法律、別姓議論の歴史、文化などに詳しく、集会に行くと、話の内容についていくのがやっとのこともある。一方で残念ながら否定派の方たちの意見は、感情論に付け焼き刃の理論を着せているように見える。圧倒的に知識不足なのだ。まずは「知る」「理解を試みる」ことが大事ではないのか。その上で、議論になったらいいと思う。

結婚に必要なものは「覚悟」か?

 もうずいぶん前のことだけれど、結婚しようとしたとき、直前になって「姓を変えるのはイヤだ」と思った。

 結婚したら姓が変わるものと思っていたし、子供の頃は姓でからかわれたりもした。転職だらけで大した仕事していなかったし、実家のことも好きではなかった。でも友だちからは「和久井」と姓で呼ばれていたし、結婚相手の家族など赤の他人だ。改姓は、過去の自分がすべて奪い取られるような気になった。

 でも何より苦痛だったのは、結婚相手が「俺は【男だから】姓が変わるのはイヤだけど」と、性別を盾にとって私の気持ちを理解しなかったことだ。問題を性で区分けしたら、何の話し合いもできない。結局我慢して改姓したけれど、そのわだかまりは消えなかった。自分に話し合いをするスキルがなかったこともあり、1年も経たないうちに離婚した。

 離婚をしたことで今度は、こらえ性がない、お前が悪いと言われた。

 周囲から「理解されなかった」「許されなかった」という気持ちは凝り固まり、「自分の考えはそんなに悪いことなのか」と逆に頑固になった。自分と異なる考えの人たちを見下し、排他的になった。自分の価値基準で至らないと思う人には、平気で説教した。そんな人間と心地よく付き合える人は少数だ。友人関係も、仕事も冷え込んだ。

 夫婦別姓について考えるとき、問題なのは「別姓婚を望むこと」ではなく、「他人を尊重できないこと」だ。

 別姓を望む事実婚カップルから話を聞くと、制度的な問題ももちろん大きいが、周囲からの不理解にも苦しんでいることがわかる。

「妻の気持ちを汲み、自分が改姓しようとしたら親から猛反対を受け、妻と親との間で板挟みになって辛い」
「事実婚の夫婦は偽物だと見下される」
「改姓もさせられないなんて、女を従わせられないの?」

 改姓を望まない理由は千差万別で、その多様な理由は、決して「ワガママ」では済ませられない。

 実家に姉妹しかいないため、姓を残すために改姓したくない・できない——結婚相手の姓が別れた父親と同じ姓だった——改姓すると目の前のインターチェンジと同じ名前になってしまうなどというものもあった。

 自分も、もし結婚相手が「西野久和」だったらどうか。私が改姓したら「西野香菜子」になってしまい、会いたくて震え出しそうだからちょっとイヤかもしれない。相手が改姓すると「和久井久和」で上から読んでも下から読んでもだ。改姓させるのは忍びない。姓と名には相性があり、無条件に受け入れるのは難しい場合もある。

 我慢することは美徳ではない。我慢には見返りや報酬が必要だ。結婚や家族に対する期待を、パートナーやその家族、子どもが負うことになるかもしれない。そんなプレッシャーを与えられる子どもこそ不幸ではないか。

 私は、専業主婦の母が「結婚できない女や、仕事をしなきゃいけない女は可哀想だ」と私に押しつけてくる彼女の価値観が鬱陶しくてたまらなかった。自分が自分の価値基準で幸せなら、人と比較する必要はない。そうやって自分の環境を声高に肯定したくなるほど、不幸な生活を送っているのだろうかと思ってしまうのだ。

 結婚に「覚悟」も必要ない。必要なのは、相手ときちんと向き合い、話し合って物事を解決していく姿勢だろう。自分の弱さや至らなさをさらけ出して話をするのは勇気のいることだけれど、それを許し合うからこそ深い絆が生まれるはずだ。結果的にお互いがいたわり合い、幸せで長続きする家族を形成していける。私が最初の結婚に失敗したのは、姓を変える覚悟がなかったからではなくて、相手を尊重した話し合いができなかったからだ。

 これまで取材で知り合った事実婚夫婦は、お互いの気持ちを尊重し、なんでも話し合える温かなパートナーシップを結んでいる。姓で縛って離婚への敷居を上げるのではなく、不安定だからこそ、関係性を重視しているように見えるのだ。

「法律を守る」が絶対化している

 「結婚で同姓になるのは法律で決められたこと。それが嫌なら結婚しなければいい」という意見がある。玉木雄一郎議員が、別姓を望むカップルが結婚できずに困っているという事例を上げている最中に、野次を飛ばした議員がいるのだから驚きだ。

 法律などの決めごとは、決して「守るため」にあるのではない。法律を守ることは、集団を成り立たせるための手段にすぎないはずだ。人間や社会の営みなど試行錯誤の最中で、いろいろ試しては軌道修正する必要がある。技術や環境が進化すれば、常識も変わる。

 日本の憲法制定時は想像もしていなかった女性の社会進出や少子化、グローバル化による国際結婚など「想定外」は山ほどある。少子化のため一人っ子同士の結婚も少なくないはずだ。すると同姓婚をしただけで、確実にどちらかの姓が消えてしまう。

 選択的夫婦別姓を望む人たちは「同姓婚したい人の気持ちを尊重します。だから別姓婚を望む人の気持ちも尊重して選択肢をください」と訴える。「結婚したら誰もが同姓になるべき」と強制的な同姓婚を望むことは、個人が別姓婚を望むことと同列に並べられる「権利」ではない。「自分が婚姻時にどうしたいか」で比較するべきであって「他人が別姓婚をするのが嫌だ」と選択すらも許さないのは、単に他人を尊重していないということだ。

 「女は皆そうしてきた」「私たちは我慢してきたのに」という意見を聞くたびに、中学生の時の部活を思い出す。

 私の所属していたテニス部は非常に弱小だった。1年生は球拾いと筋トレで、ラケットを握ることはほとんどなかった。それでは強くなれないと、顧問が「1年から打たせる」と言ったら、先輩たちが「私たちは打たせてもらえなかったのに」と大反対したのだ。

 変化は、どこかのタイミングで必要だ。選択的夫婦別姓を望む方たちは「同じ苦しみを次世代に味合わせたくない」という強い思いがある。

 もし周囲が別姓婚やその他の判断に対して「そうなの? いいんじゃない?」と言ったらどうなるだろう。誰も不幸にならないはずだ。当事者は親族とパートナーとの間で板挟みになることもなく、許し許され、誰もが幸せだ。

 人間には承認欲求がある。誰もが認められたい。他人の意思を尊重することは、円満な社会生活を送るに当たって必須の姿勢なのだ。

「なんでこんな考え方をするのだろう」
「どうしてあんなことを言うのだろう」
頭が悪い、許せない、腹が立つ。

 自分自身、以前は好きな人よりも嫌いな人の方が多かった。当然だ。自分とまるまる同じ考えの人間なんか、そうそういないだろう。

 他人が自分の思い通りにならないと腹を立てていたころ、私は生きるのが辛かった。当時は自分で自分を不幸にしていることに、気がつかなかったのだ。

 相手を受け入れるほうが、精神的にずっと楽だ。相手を尊重すると腹も立ちにくいし、なにより人とぶつかることがない。もちろん、自分に害がある場合は主張をするが、害がない場合−―人がどんな格好をしようが、どんな話し方をしようが、何を好きだろうが、誰を好きだろうが、自分にはとやかく言う資格はない。親しくするかは別として「そうなんだ、ステキだね」でいい。

 そう考え方をシフトしてから嫌いな人がグッと減った。自分から拒絶をしないのでチャンスが多く舞い込むようになり、収入も増えた。周囲には寛容な人ばかりが集うようになり、とても平穏だ。他人を幸せにすることは、自分を幸せにすることに繋がる。それは、自分を哀れんだり、他人を自分の価値観に従わせようと強要することでは決して得られない。

 Twitterでは、別姓を望む女性が婚約者に思いを説明しているやりとりが話題となった。言葉を尽くして理解を求める姿勢は、多くの人の共感を呼んだ。

 国会での野次で誰か別姓賛成派が反対派に転向しただろうか。必要なのは、耳を傾け、理解しようとする姿勢だったはずだ。

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