新興大国の中産階級人口の激増や、外国旅行のハードルを下げる格安航空券や民泊の普及、ネットプラットフォームやSNSの進化という追い風を受けて、近年著しく成長する観光産業。その規模は今や、石油産業や自動車産業とも肩を並べるほどになった。
国連世界観光機関UNWTOによれば、世界の10人に一人が直接、間接的に観光に関連する仕事に従事し、GDPも世界全体の10%(2017年)を占めている。
環境フットプリントも大きく、地球温暖化の8%は同産業が原因と言われる。世界の外国旅行者数は14億人に達し、オーバーツーリズム問題も深刻化する今、このまま観光産業が暴走すれば、観光地だけではなく地球環境ももたないと懸念するのは、観光産業の専門家ステファン・ホデス氏だ。
「観光が抱える問題は待ったなしの状態。もっと抜本的な対策が必要」と警鐘を鳴らし続けるホデス氏は、現行の対策に厳しい批判の目を向けている。
旅を愛する人も、オーバーツーリズムに悩まされる住民も、「知らなかった」では済まされない観光問題の背景について、ホデス氏の本音を聞いた。
Stephen Hodes (ステファン・ホデス)
観光専門家、コンサルタント。1948年ケープタウン生まれ。デルフト工科大学建築学部卒業。オランダ政府観光局北アメリカ局長を務めた後オランダに戻りKPMGに勤務。1997年にレジャー産業コンサルティング会社「LAグループ」を、2016年に独立系シンクタンク「アムステルダム・イン・プログレス」を設立。国内外の行政機関や公共機関をクライアントに持つ。ほぼ毎年のように数カ月間日本に滞在しているという大の日本びいき。
経済成長に固執する政治と、「飛び恥」をめぐる論争
――オーバーツーリズムや環境問題など、観光は解決の目処がつかない問題を多く抱えています。今一番の問題点は何だと考えていますか?
観光とは、旅行会社、航空や鉄道、アミューズメント、美術館、飲食、ホテルや民泊などなど、多様な業界が集まった産業です。そして、どこか一点に中枢があるわけでもない。その特殊性がこの産業を複雑なものにしています。地方や中央の行政には、そんな観光に関する専門知識が欠如しています。だからオーバーツーリズム対策にしても付け焼き刃で、効果がないどころか逆効果だったりもしています。
大きな利権が渦巻く観光関連業界にもの申す勇気や、身を切ってでも問題の根治を目指そうという意気込みが政治にないことも問題です。ネオリベラルな今の政治は「経済成長」に固執していて、人々の生活や環境とのバランスを見失っています。
2015年のパリ協定を受けて各産業に厳しい条件が課されましたが、航空業界やクルーズ業界といった巨大な汚染源は規制の例外にしました。おかしな話ですよね。
――最近ではCO2排出量が多い飛行機移動を「飛び恥」と言って批判する風潮もあります。人々の意識は変わってきているし、環境問題に対する政治の矛盾にも敏感になってきましたよね。
一昔前までは、旅行は贅沢なものでした。航空券は高かったので、数年間貯金をして飛行機で外国へ行くというのが普通でした。でも今は、格安航空券や安価な民泊のおかげで、年に数回も当たり前。そして多くの人が、観光旅行を「権利」として主張します。
でも、考えてみてください。旅行をする新興大国の中産階級人口は激増していて、今では世界の外国旅行者数は14億人です。10年後には18億人になるんです。その全員が旅行欲を満たすためにCO2をまき散らしながら飛行機に乗り続けることが、現実的に可能だと思いますか? 「飛び恥」は、非常に全うな論議だと思います。
行政も市民の意識変革に寄りかかっていないで、すぐにでも欧州レベルで行動を起こすべきです。飛行税を設け、飛行機の燃料にも付加価値税を課す。エコな飛行機やクルーズ船の開発を急ぐ。そしてLCCや、石油を燃料にする便の寄港を拒否するなど、強固なシフトも考えなければならない。これはもはや選択ではない、義務です。
とはいえ、こんなシフトは今の政治には望めない。みんな私のことを「巨大なペシミストだ」と笑います(笑)。
抜本的なオーバーツーリズム対策は、身を切る覚悟も必要
――外国旅行者数の増加は、アムステルダムのオーバーツーリズムも深刻化させていて、今後もさらに悪化すると予測されていますよね。あなたの目から見て、この街が本当に必要としている観光規制は何ですか?
「観光客の数を抑える」という点に、正確に照準を合わせた攻めの対策です。市単独でなく、州や国と共同でね。
今はアムステルダム市が単独でホテルの新規建設を禁止していますが、これでは意味がない。近郊の市町村にも適応するべきです。大きなコストはかかりますが、条例を出す前に発行していた建設許可を撤回してでもホテル数は抑えるべきです。
LCCの乗り入れを制限することは、オーバーツーリズム対策としても有効だと思います。ヨーロッパレベルで行えれば、ですが。
ここまでやっても十分とは言えないのに、行政は今、観光客を地方へ誘導するという「拡散政策」で乗り切ろうとしている。これは観光客の心理を理解していないだけではなく、観光産業の大成長や世界の外国旅行者の激増を勘定に入れていない単なる対処療法です。対策を講じているように見せかけて、違う形の誘致につなげるからくりを作っているにすぎません。根治のためにメスを入れれば業界からは叩かれますが、政治家にはそれくらいの勇気は持ってほしいです。
――オランダ北部の小さな観光地ヒートホールンは、ひとりの実業家が中国市場を誘致したことで一気に活性化し、その結果、深刻なオーバーツーリズムに直面しています。この実業家を「惨事を招いた張本人」と非難する声もあると聞きましたが、この村の展開をどうご覧になりますか?
まず、オーバーツーリズム対策は行政の仕事です。なぜなら、これを確実に実行していくためには法的拘束力が必要で、それを施行できるのは行政だけだからです。
本来なら、観光地としてプロモートし始める時点で、オーバーツーリズム対策の用意ができていなければならない。
・土地の魅力は何か。
・デスティネーションとしてのウリは何か。
・どんなグループをターゲットにするのか。
・許容量はどのくらいか。
・どのようにモニターするか。
・許容量を超える場合、どのような対策を打つのか。
・法的にはどんな対処をするのか。
これらのことを事前にしっかりと熟考して書面に残し、ステークホルダー(利害関係者)全員で共有する必要があります。そして観光客数や住民が感じる迷惑度を常にモニターし、早い段階で対処しなければなりません。
ヒートホールンでは、これをせずに見切り発車してしまったんでしょう。
私は日本が大好きで、毎年のように数カ月滞在しています。いつも感じているのは、日本は非常に直近の収益にフォーカスしていて、土地本来の魅力や、すでに失いかけている魅力に気づかないことが多いということです。ヒートホールンの例は、日本の小さな市町村の観光誘致策でも参考になることが多いと思います。あるポイントに達してしまったら後戻りはできない。だからこそ、誘致というアクセルを踏む前に、計器やブレーキ機能もしっかりと整えておくことが大切だと思います。
オーバーツーリズムと地域社会のエコシステム
――オーバーツーリズムが社会や都市に与える影響について教えてください。
1960年代、ニューヨークの無謀な都市開発に対して抗議活動を行ったジャーナリスト・都市思想家のジェイン・ジェイコブズは、生き生きとした都市の条件のひとつに、都市が複数の目的を持つことをあげました。
オーバーツーリズムの影響で街が観光一色になれば、街の目的は観光に集中して「単一文化」化します。それはテーマパーク化と同じです。ディズニーランドの主役がミッキーマウスに会いに来る来園者であるように、テーマパーク化した街の主役も、住民ではなく観光客が取って代わります。そして住民は、観光地の雰囲気をもり立てる“エキストラ”のような目で見られるのです。あなたなら、そんな環境で暮らせますか? あるいは観光客の立場になった時、住民に対して「その場所に住むことを選んだのだから我慢しろ!」と言えますか? どの立場から見ても、これはとても不健全な状態です。
イタリアのベニスは、テーマパーク化が著しく進んだ街です。街の経済の40%が観光産業に依存していて、混雑ぶりも尋常ではありません。中心部は混雑緩和のためにゲートを作って入場制限までしています。とても安心して暮らせる健全な場所とは言えないし、実際住民は次々と街を離れていきます。この街を以前の姿に戻すことはもうかなわないでしょう。
一方、街が健全さを保つためには、住民が地域に対して「オーナーシップ」を感じていることも重要です。例えば、家の前の道は自分の生活域の一部として掃除をし、目の前で誰かがポイ捨てをすれば声をかける。そんな風に、住民が地域のオーナーとして場所をケアするためにアクションを起こすことを指しています。しかし、オーバーツーリズムの街では観光客が圧倒的な存在感を持ちますから、住民たちは自分の生活領域にいながら「よそもの」になったような感覚を持つでしょう。今までの「オーナーシップ」感も薄れていくでしょう。その結果地域は、これまで責任をもってケアしてくれていた存在を失うのです。
こんな風に地域社会が保っていたエコシステムが崩壊すると、社会性や公共性は軽視されて経済性だけが異常なほどに重視されるようになります。街が生活の場から、稼ぐだけの場になるということです。家はもはや住むためではなく、投資の対象として売買され、その結果価格が高騰する。街中に住めるのは金持ちだけで、教師や老人介護に携わる人、保母さんや警官といった、社会が本当に必要とする人々の場所はなくなります。
アムステルダムのエコシステムは、もう壊れ始めています。一昔前までのこの街には、金持ちでもそうでなくても、多くの国籍の人々が住み、働き、くつろぐ場所というビビッドな多彩さがありました。でも今は、街中は観光客と投資家、そして金持ちのヤッピーに占領されてしまいました。
今日の住民は、明日の旅行者。観光論争にエシカルな視点を!
――オーバーツーリズムの問題は、非常に深刻で重大なものなのに、それほど高い関心を集めていない気がするのですが?
そうですね。その理由は、あなたが住民としてオーバーツーリズムなどの観光問題を糾弾する時、その矢が旅行をしている時のあなたの背中に刺さるからだと思います。「飛び恥」も、真剣に議論するなら、あなた自身も年に何回も飛行機を使うのをやめるべきだし、「観光客、迷惑!」と言うなら格安チケットでパリやバルセロナに行く自分を反省するべきです。人々が批判の目を向ける「観光客」は、あなた自身も含む。まさか「自分はいいけれど、新興大国の中産階級はだめ」なんてナンセンスなことを考える人はいないでしょうが、観光問題の論議の中では人々はなんとなく自分を例外として考えようとします。
なぜでしょうか?
それは、旅行というものがあまりにも素晴らしいアクティビティで、誰もそれを諦めたくはないからです。旅行は見聞を広げ、国際交流も生む。人生を豊かにもしてくれます。観光産業に携わる人には経済効果をもたらし、地域の活性化を切望する自治体にとっては希望であるかもしれません。だからみんな観光問題にはダブルバインドな考えを持っています。それが、この論議を真に活発にすることにブレーキをかけるのだと思います。もちろん産業の圧力もありますけどね。でも今こそタブーを排除して、幅広いレンジの論議をするべきです。そして環境問題に真摯であるかとか、オーバーツーリズムが人々の生活や都市文化を破壊していないかというエシカルな論点からも目をそらしてはいけません。
ところで、さっきベニスは観光への経済依存度が40%と言いましたが、アムステルダムは7〜8%なんです。オーバーツーリズムに悩む他の都市に比べてかなり低く、経済全体が多彩で健全です。これはベルリンも同じです。
だから、もし行政がうまく対処できれば、経済打撃を致命傷にすることなくオーバーツーリズムから脱出できる可能性がまだ残されています。そんなレアでユニークな実例として、アムステルダムが名を残せることを私は祈っています。