2018年から始まった第二次選択的夫婦別姓訴訟が、2019年秋に次々と敗訴した。その後国会で自民党女性議員が「(別姓にしたいなら)結婚しなければいい」という心ない野次を飛ばす。夫婦別姓推進派は一見逆境にあるように見えたが、皮肉にもこの野次をきっかけとして世間の注目を集め、法改正の気運が高まっている。
2006年から2014年まで滋賀県知事を務め、昨年参議院議員に初当選した嘉田由紀子さんは、知事時代から今の時代にあわせた家族のあり方について改革を進めてきた。大学院時代には世界各地の家族形態の違いを調査するなど文化人類学の研究もされてきた嘉田さんの、選択的夫婦別姓についての考えを伺った。
夫婦別姓での結婚という選択、否定する前に知っておいてほしいこと
選択的夫婦別姓への注目度が、これまでになく高まっている。 筆者は2015年の大法廷判決を機に取材を始めた。2018年から始まった第二次訴訟の裁判に…
一夫多妻社会の「子どもの苗字」は?
嘉田由紀子さんは、「家族のための施策に多く取り組んできたが、民法だけは知事としていじれなかった。だから国政に来た」という強い意志のある人だ。京都大学在学中から文化人類学の研究をしていたといい、世界の家族の在り方に詳しい。
選択的夫婦別姓を否定する声の中に「同姓婚は日本の文化だ」という意見があるが、果たしてそうなのか。結婚にはどんな意味があるのか、文化人類学の視点から話を聞いた。
嘉田由紀子
京都大学大学院、ウィスコンシン大学大学院修了、京都大学農学博士、平成初期から琵琶湖博物館の企画・建設・運営に力を注ぐ。京都精華大学教授を経て、2006年「三つのもったいない」で滋賀県の政治改革をめざし知事に当選。2010年には過去最大の得票で二期目に当選。公共事業の見直しによる財政再建をはかり同時に教育・子育て・地域振興に力をつくし2014年に勇退し、びわこ成蹊スポーツ大学学長に就任。
ーー嘉田さん、まず「家族」とはなんなのでしょうか。
嘉田 世界中にはいろんな家族のタイプがありますが、そもそも家族は産まれた子どものためにあります。人間を含む類人猿は「ネオテニー」といって、早く産まれすぎているんです。例えば魚なら、産み落とされた稚魚は世話をされずともそのまま生きていけますよね。だけど人間の子どもは産まれてからある程度成長して、独立するまで時間がかかるんです。猿やチンパンジーも親が子どもを育てますが、子どもを育てるのにはなんらかの組織と秩序が必要です。それが家族の起源です。世界にはあらゆる形態の家族があります。
インドの北のほうには、1人の妻と複数の夫という、一妻多夫の家族社会がありますが、そういう社会は父親が誰か、子どもの帰属がわからなくなるので、数は少ないです。一夫多妻のほうが多い。私が1971年に半年暮らしたアフリカの村は、牧畜民や農耕民社会でしたが、一夫多妻の家族も多かったです。妻たちは自分の家を持っていて、お父さんはそこを1日ずつ泊まり歩く。おもしろいのは母親同士が争わないで協力し合うこと。第1夫人の子供、第2夫人の子供、第3夫人の子供、みんな一緒に遊んでいて、仕事も一緒にして仲が良いの。みんなを仲良くさせるような夫じゃないと、多妻家族は管理できない。
ーーそうなると子どもの名前はどうなるんですか?
嘉田 父系社会では、父親の名前を自分の名前の後ろにつけます。例えば、マリアという女性で、サラーマ(父親の名)の娘さんなら、マリア・ビンテ・サラーマ。「サラーマの娘のマリア」という意味。第1夫人も第2夫人も関係なく「お父さんの娘」っていう名前で、お父さんの名前が姓みたいになっていく。でも姓名ではない。日本でいう「家」という感覚ではないんです。逆に同じアフリカのマラウィでは、1990年代から私自身調査に入りましたが、母系社会。子どもは母方の系列の名前を継ぐ。母親の系列で財産も移っていくんですよ。
ーー結婚した夫婦の姓はどうなるんですか?
嘉田 結婚しても名前は変わらないです。だから自分の名前は「夫婦の姓」というよりは、親と子をたどる意味があるんですね。
ーーヨーロッパはどうなんでしょうか。
嘉田 ドイツはもともと日本の家制度に近いんです。父系で父親に権威をもたせる。でも結婚時の姓は選択できます。フランスは北部と南部で異なりますが、どちらかというと夫と妻と対等に近い。同姓にする場合の姓は夫方が多いが、選択が許されるので、妻の姓を選ぶことができます。
アメリカは移民社会ですから、市民がそれぞれ自国の伝統を担っていて、もともと家族制度が多様なんです。夫婦同姓も別姓も、ミドルネームをどうするかもいろいろ選択肢があります。ドイツ系の家族はどちらかというと、父方を大事にする。フランス系は両方、アフリカ系は逆に女性が強いとか、おおまかな傾向はありますね。
ーー中国は別姓婚と聞きます。
嘉田 中国は金(キム)なら金という男の系列で、金家の1代目2代目3代目といったように姓が同族の中で受け継がれる。中国が日本と違うのは、結婚をしてもお母さんはずっと名前を変えないんです。金さんと朱(シュ)さんが結婚しても、朱さんが金さんになるわけじゃありません。血族主義が徹底しています。そういう意味では、中国もアフリカの「サラーマの父」や「マリアの息子」と同じように血を繋ぐシステムです。だからもともと別姓婚なんですね。
北条政子は「源政子」にならない
ーー日本も昔は別姓婚でしたね。
嘉田 日本の武士は平安から鎌倉のときに中国の伝統を取り入れていたので姓を大事にします。だから女性は男性の姓に変えない。鎌倉時代、源頼朝と結婚しても北条政子は源政子にはならなかったですね。北条政子をはじめ、女性も財産を持っていました。しかし、だんだん男尊女卑的な武士社会が発展していき、日本は「家」「男性」を中心に据えるようになっていきます。天皇も男性ばかりになりますね。
ーーそういえば女性天皇は平安以前までというイメージですし、実際、6世紀末〜8世紀後半に集中して誕生して以降はほとんどいません。
嘉田 武士は今でいえばサラリーマンです。明智光秀だったら、明智家が親方から土地をもらって、そしてその土地を代々繋いでいかなきゃいけない。明智の家といういわば家族社会集団を作らなければいけなかったんです。
だから「家名」が大事なんです。そこに財産……土地や俸禄がつく。つまり武士の家は米をサラリーをとしていただく経営体なんです。その経営体にのって子どもが生まれ、高齢者を見送ります。産まれてから高齢者を送るまで、家族機能を家が果たすんです。
その家を維持するには、男の系列が大事とされています。明治時代に国家が国民を管理するために、戸籍制度ができ、庶民にも姓がつけられるようになりました。明治国家は、鎌倉以降、室町・江戸時代に確立した「家名を大事にするサラリーマン武士社会」を国家全体に広め、そして天皇を頂点にする権威主義的なピラミッド社会を作りたかったんです。
ーー明治以前は平民には姓がなかったのですよね?
嘉田 庶民家族はもっと多様だったんです。例えば長男子一括相続ではない地域もあった。日本の西のほうでは、漁師の村は成長した子どもからどんどん独立させていき、末子と親が一緒に暮らす、「末子相続」なんていうのがあります。内藤莞爾さんという方が末子相続の研究をしています。
それから、福島県あたりには「姉家督」といって、最初に生まれた子が男でも女でも家の跡を継ぐという風習もあります。庶民の家族は生業中心ですから、上司から「はい、土地をあげます」なんて言われることはないし、自分たちで稼いでご飯を食べなきゃいけない。女も働き手だったから、夫婦協力し合って働いて、むつまじく子育ても協力をする。男性も子育てが大好き、そして女もそれなりに敬意をもたれていたんです。
嘉田 ところが明治20年代、「民法出でて忠孝亡ぶ」なんて言われた民法論争が起こりました。夫と妻がより平等的なフランス型の民法か、直系男子を重視するドイツ型かで争い、結果、ドイツ型のほうが日本の天皇制度には合っていたわけですね。そうして明治29年に家父長家制度的明治民法が制定されます。明治民法は出生者を管理する「戸籍制度」とセットで、家の成員管理をします。日本のような戸籍制度は、フランスや北ヨーロッパ、アメリカにはありません。ここでは家の名誉である家名、系譜である家系、先祖司祭の墓守、経営である家業が組み合わさって、先祖から子孫までを縛る家族制度になりました。
この制度のもと、男が家長として命令して、筋道を作る。女は「子どもを産む道具・手段」にして、子どもが産まれないと追い出される。とにかく家を繋ぐために必死になります。
男を大事にし、その男が生まれなかったり死んでしまったら娘に婿を取らせて跡継ぎを確保する。娘もいなければ夫婦養子で、家系を繋ぐというのが明治以降の日本人の至上命題になりました。それは天皇制で天皇を繋ぐこととセットになって、明治民法の中に組み込まれたんです。天皇家がまさに家制度の原点であり、天皇制度と明治の家制度は権威主義的に深く関わってきました。
ーーその意識が現在にも残っているのを感じますね。「女性活用」と言いながら、働いてもろくな手当てもなく、家事も仕事も介護も全部女任せにしようという日本社会のあり方が問われています。
嘉田 働けなくなった女は追い出されるんです、埼玉県の私の産まれた家がそうでした。生家は10町歩程の地主で、小作人から搾取して財産を築いていたんですね。そんな地主制度が壊れるのが、戦後の「農地改革」です。寄生地主制度の解体をして、働かない地主の土地は国家が買い上げて小作人に与える。これは戦後の民主化の原点だったと思います。
でもそのせいで私が産まれた実家は、10町歩のうち8町歩を失いました。8町歩から入る米がなくなった。残り2町歩の土地を母がほぼ1人で耕していました。祖父は偉ぶっているだけです。父は甘やかされた長男だから農業は嫌い。うちの母だけが朝4時に起きて、お蚕さんに桑くれて、そして夜12時まで働きづめ。働いているのは母だけなのに、母は小遣いももらえないんです。本当に苦労して私が2歳半のときに結核になってしまった。そうしたら、もう働き手として価値がなくなったといって、医療費もなしで実家に帰されました。「肺病病みはいらない」と。
ーーこれが「家制度」なんですね。お母さまは離婚はしなかったんですか?
嘉田 母は子どもたちのために離婚を我慢したんです。結核を患いながら一人で働いて子ども3人を養うことは難しい。離婚をしても実家には弟妹が10人もいたので、迷惑はかけられません。
だから実家に追い返された後も母はときどき婚家に帰しました。でも、母が寝ていると祖父が包丁をもって来て「畑に出ろ!」「草取りに出ろ!」って凄かったんですよ。その場面は今も私の脳裏に残っています。恐ろしかった。
祖父は「マッカーサーが渡辺の家をつぶした!」とも言っていました。その祖父が「女に教育はいらない」って言うから、私は祖父から隠れて勉強をしていました。母は渡辺家で我慢をして我慢をして、涙の暮らしでした。それが、私が家族制度を学ぼうとした原点です。
今の日本で「家族」は「子育てと介護」だけじゃなくなっている
ーー今現在の日本において「家族の意味」はどういうものになっているんでしょうか?
嘉田 まず私たちは「家族が子どもを育て、高齢者の面倒をみなければいけない」とされてきました。高齢者の面倒は、介護保険ができたとはいえ、やっぱり「娘や息子が親の面倒を見る」という感覚は残っていますよね。だから日本において家族というのは、子どもを産み育て高齢者の世話をする、第1次的な社会集団です。
それから、これはLGBTqの課題もあるけれども、同性であっても異性であっても睦み合い、愛着を持ち精神的な安寧の場をもつことが家族の原点だろうと思います。愛着を育てる慈しみの場ですね。
ーー私の姉夫婦は子どもを得ない選択をしました。私がこの先再婚しても、子どもを作らない可能性が高いです。子どもを育てるだけが結婚の意義ではないのは明らかですね。人それぞれ、求めるものは異なるのだと思います。
嘉田 そう、ですから姓を統一にすることで「家族の一体感が大事」と思う人はこれまで通り夫婦同姓を選んだらいいんです。一方で、夫や妻の姓に変更すると困る人もいます。
例えば「姓を変えると自分の過去の業績が失われる研究者・芸術家・政治家といった人たち」、サイボウズ社長の青野さんのように「経営的に不都合がある」、「自分の精神的アイデンティティが失われる」という人たちは、姓を選べる余地を法的に与えてくれと訴えています。「選ばせて」という話なんです。
姓が異なるだけで家族が壊れると思い込んでいる人には「じゃあヨーロッパや中国や韓国は夫婦別姓で家族が壊れているの?」って聞きたいですね。
ーー「同姓婚にするべきだ」と思う人の権利と、「自分の名字を変えたくない」という人の権利は同等ではないと思うんです。他人がどういう気持ちを抱こうが、どういう考え方だろうが、指図する権利はありません。それなのに否定派が「私も同姓婚したんだからお前もそうしろ」「決まり事だから従え」と思うのはなぜなのでしょうか。
嘉田 同調思考で「寄らば大樹の陰」です。「みんな同じ」がいいのでしょうね。でもね、2019年10月4日の200回国会の施政方針演説で、夫婦別姓を否定する安倍晋三首相は「みんな違ってみんないい」って金子みすゞさんの言葉を引用したんですよ。参議院の女性議員たちから「だったら夫婦別姓許せよ!」って猛烈な野次が飛びました。
ーーそれはそう突っ込まれても仕方ないですよね。結局、こういう矛盾があることからも、選択的夫婦別姓の必要性や意義を理解していないことが伺えます。もっと対話をしていく必要があると感じますね。本日はありがとうございました。