性差別表現の炎上の背景にある、ネオリベ化する公共広報 堀あきこさんインタビュー

文=住本麻子、カネコアキラ
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堀あきこさん

――性表現を考えるとき、性的なメディアと広告では気を付けないといけないことがじゃっかん変わると思います。

 変わりますね。成年コミックがエロいのはダメじゃないけど、一般的な広告で同じ表現は使えないでしょう。でも、ここ数年で頻繁に問題になっているのは広告ではなく、広報ですよね。私企業でも広報という言い方をしますが、公共広報の場合、いろいろな人が見てわかるようなものが望ましく、とがった表現である必要はないわけです。

だから碧志摩メグ(注:三重県志摩市のPRとして制作された海女をモチーフにした萌えキャラ)や、自衛隊が「ストライクウィッチーズ」とコラボしたポスター、宮城のPR動画、日本赤十字社の宇崎ちゃんポスターは、女性表象の性差別問題であると同時に、公共機関や公的に近い機関の広報であることの問題がとても大きいと思っています。

――公共ポスターが私企業の広告に寄っているようにも感じられます。

 ネオリベラリズムの影響だと考えています。公務員削減など、小さな政府を目指す動きの中で、公務員や自治体でなくてもできることは私企業に流しましょうってやってきました。競争原理が公的なところに入り込んでいるわけです。でも、自治体がやってることって儲けにつながりにくい福祉や公共事業です。なのに今は成果が求められる。どれだけのコストがかかって、どれだけの結果が出たか、数字で示せと現場は言われている。

PR動画が批判されたとき、村井嘉浩宮城県知事は、再生回数がとても多いので成功だったという意味のことを言っていました。観光促進の動画なので再生回数が多いことはポイントになるでしょう。でも、その数のために女性の性的なイメージを使っても構わないというのはおかしいし、誰がこのPRを喜んで見るのかということを考えるとターゲットが限定的だったと思います。

――むしろ大企業の広告のほうが、ジェンダーなどについて、コンプライアンスを意識してうまくやっていますよね。

 やらざるを得ないんでしょうね。今はSNSがあって、炎上のスピードも拡がりも早い。ネットの怖さですよね。お金をかけて広告制作したのに、企業のイメージダウンになってしまう。炎上はマイナスだと思います。

でも公共広報は事情が違って、コラボの広報って、作品をタダで宣伝しているという見方もできますよね。公共側は素材を提供してもらうことで制作費をかけずにすむ、企業側はありものの素材で作品を宣伝してもらえる、双方にとってマイナスのない関係に見えます。だけど、その表現や内容が公共広報の目的と内容にあっているかどうかが問題だと思います。

社会とともに広告も変わるべき

――私企業の広告についてはどうでしょう。すっかり見かけなくなりましたが、昔はグラビアアイドルを起用したビールのポスターが居酒屋に貼ってあったりしましたよね。

 いまは女性も居酒屋に行きますが、昔は男性のための場所でした。そこにアイドルが水着になったポスターが貼られていることに意味はあったかもしれない。80年代には、銀行が一斉にボーナス預金の勧誘ポスターに水着の女性を採用して批判をうけたり、年末の挨拶として取引先が会社にヌードカレンダーを配りに来ていたんです。それは挨拶の品としてヌードカレンダーを受け取るのが女性だと想定されてなかったからでしょう。でも社会は変わっています。女性も居酒屋で飲むし、会社で働き続け、自分のボーナスを預ける先を選ぶ女性もいる。ジェンダーやセクシュアリティの多様性や、社会にはさまざまな人がいることに目を向けなければならない時代になっています。広告を作る側はそれにあわせて変わらざるをえないでしょう。

――反論としてよくあるのが、グラビアアイドルの仕事を奪うな、といったものですよね。人気TikTokerとして注目され、様々な雑誌で水着のグラビアが掲載された、エリカ・マリナ姉妹の姉・エリカさんが「グラビアをやったことを後悔している」という趣旨のツイートをしたことが話題にもなりました。

 私はグラビアアイドルのお仕事は否定しませんが……うーん、むずかしいですね。水着でのグラビアの仕事が、アイドルとして越えなければいけない壁として組み込まれていて、断りにくい構造になっている、主体的にやったと言わざるをえないようになっているなら、それはおかしいですよね。でも石川優実さんのように、自分で選択してグラビアをやっているという人もおられる。

グラビアの仕事を女性が主体的に選んでいるかどうかは、そんなにかんたんに言える話じゃないと思います。フェミニズムのスローガンでmy body my choiceというのがあるんですが、その実現は本当にむずかしいと思っています。

以前、SEALDsの女性たちの服装に対してバッシングがありましたよね。自分で主体的に選んだことを、今の日本社会はそのまま認めてくれない。その息苦しさの中に、女性の身体や身体表象をめぐる性差別の問題があるのに、議論の前提が、すでに男女が平等でフラットな社会が形成されているかのようになっているのはおかしいと思います。

自由に自分で自分のやりたいことを選択できることが大切。だけど、実際にはまだまだ選択は困難で、医大の受験のように女性というだけで差別を受けることがたくさんある。性差別表現に対する批判は、マンガだから、アニメだから批判されているのではなく、こうした性差別社会に対する批判の一部です。

ポスターやイラストの女性表象への批判に対し、「絵と現実は別物」「オタク男性の視線は三次元女性に向いていない」という反論がされます。たしかに、ファンタジーとリアルは同じではないけれど、まったく無関係ではないです。そして、ジェンダー不平等な社会で生きる女性にとって、実写もイラストも性差別であるという点は同じなんです。

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(企画/住本麻子・カネコアキラ)

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