「長期休校」に僕はきっと耐えられなかった。精神疾患の親をもつ子どもの家庭の事情

文=玉居子泰子
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普段はソーシャルワーカーとして、休日は「こどもぴあ」代表として多忙な日々を送る坂本さん

 新型コロナウィルスの流行拡大を防ぐべく、全国の多くの小中高校は一斉休校となり、そのまま春休みに突入した。就学しているはずの子どもたちが一カ月以上も家庭で過ごさなければならない。

 このご時世だからある程度の不便は仕方がないが、2人の小学生を持つ筆者も、居場所がなく鬱憤をためて過ごす子どもたちを見ているのはつらい。家ではなるべく快適に安心に過ごさせてあげたいと思いながらも、親子ともにストレスがたまる。

 誰もが大変な状況には違いないが、「非常事態」をなんとかやり過ごすことが、人よりももっと難しかったり、非日常の状況に心身の調子を崩してしまったりする人もいる。

 2020年3月5日、あるメッセージがインターネット上にあげられた。「精神疾患をもちながら子育てをしている当事者、ご家族、支援者のみなさまへ 」と題されたそれは、長期休校を受け疲弊している可能性のある人々へのメッセージだった。

 「当事者は頑張りすぎず、息切れをする前に協力や応援を求めて」、「配偶者はパートナーや子どもたちとできるだけ話しをして」と、そして周囲の大人や支援者には「子どもたちに何気なく声をかけてあげてください」とそれぞれへのお願いが書かれている。どの立場の人の事情も汲みながら、この事態でひそかに苦しんでいる家庭に優しい眼差しを送るような丁寧なメッセージだ。

 これを書いたメンバーのひとりであり、「精神疾患の親をもつ子どもの会 こどもぴあ」代表の坂本拓さんにお話を聞いた。坂本さん自身が、かつて精神障害がある親を抱えていた、いわゆるヤングケアラーだった。

臨時メッセージに込めた思いとは

 坂本拓さん(29歳)は、現在、社会福祉施設にソーシャルワーカーとして勤務し、精神障害者のための地域相談事業に携わっている。同時に、ボランティアで「こどもぴあ」の代表を務め、精神疾患がある親を持つ“子どもの立場”の人たちが体験を語ったり、情報交換をしたりする場を定期的に設けている。今回の臨時メッセージは、「精神に障害がある人の配偶者・パートナーの支援を考える会」代表の前田直さんからの声かけで発表した、という。

「今、毎日流れてくるコロナ関連のニュースを見ていると、僕たち普通の大人も不安だし怖くなりますよね。でも精神疾患を抱えている方は、よりいっそう大変です。自分の病気のことで精いっぱいなのに、子どもたちの面倒も長時間みなくちゃいけない。逆に頑張りすぎて、バランスを崩してしまうこともあるのではないか、と。狭い密室にずっと一緒にいることで家庭内がぎくしゃくすることもあるかもしれません。

 でも悪いのは病気や障害がある親でもなくて、この状況が大変なだけで。だから親を責めるのではなく、ただ子どもが気を使って生活して困っているかもしれないから、周りがなんとかそうした家庭へ目を向けて支えていきましょうという思いを込めました」

 精神疾患といっても様々だ。たとえばうつ病などの症状があると、日常的に気持ちの浮き沈みがあり、周囲への対応にも波が出てきてしまう。親の状態が安定していなければ、当然、子どもにとっては不安なことだろう。

 それに加えて普段は「安全地帯」になっていた学校が急に休校に入った場合、どこにも頼れず、親がストレスを高めている状態に気を使いながら過ごす子どももきっといるはずだ。坂本さんはそう言うと、こうもつけたした。

「もし僕が今子どもだったら、今回の休校は全然嬉しくなかったと思うんですよね。家で親とずっといるのかぁと思うと、僕の気持ちがもう保たなかったはずだから」

リストカットした母を支えて

 坂本さんにとっての“事件”は、中学2年生の時に起きた。以前から母は当時一緒に暮らしていた義理の父と、夫婦喧嘩をして感情的になる母を見たことは何度もあった。だが、まさかそれが母のリストカットに結びつくほどとは想像もしていなかった。

 ある日、大声を聞いてかけつけると、母が腕から血を流していて、横には血のついた包丁が置いてあった。

「それまでは、また喧嘩してるなって感じだったんです。でも『え、こここまでいくんだ?』ってショックで。リストカットまでするとは思ってもいなかったから。その日から母は、今までとは明らかに様子が違って、急に元気がなくなっていきました。寝ている日が増えたり、仕事にも行けなくなったりして、僕も、何かがおかしいって思うようになりました」

 坂本さんは実の父の存在を知らない。幼い頃から、母は何度も再婚を繰り返していた。

「もう何度も名字が変わって、それはものすごく嫌でしたね。新学期になるたびに友だちに説明しなきゃいけない。他人である新しい父親が家に入ってくることも嫌でした。だけど、母のことは好きだったんです。いつも明るくて元気で、僕と姉がいれば幸せっていつも言ってくれるような人だった。だからなんとか大丈夫だったんです。

 あのとき、なぜ親が喧嘩をしていたかはわからない。当時はただ義父がいけないんだと、彼を悪者にして憎むことでやりすごしていました。でも大人になってみれば、母にもいけないところがあったんだろうなとか、何度も再婚して『父親』になってくれる人が必要だったのは、母の弱いところだったんだろうとか、わかるんですけどね」

 母はいつしか仕事も辞め、ますます家に閉じこもるようになった。姉は、母の具合が悪くなると部屋に逃げ込んだ。離婚こそしなかったものの、義父も別の家に暮らすようになり、家でふさぎこむ母を支えられるのは、中学生の坂本さんしかいなかった。

「母は、家事はなんとかやってくれていたんですが、それ以外はほとんど寝ていて。何でこんなに元気がないんだって、中学生の僕には謎でしかない。うつだとか心の病気とかそういうこともよく知らなかったから、死にたいとか、つらいとかいって泣く母のそばにいて、僕や姉がいるのになんで……って思いながらも、ずっと話しを聞いていました。聞くことしかできなかった」

 母が心療内科にかかって「うつ病」と「パニック障害」だと診断されたと打ち明けられたのは、坂本さんが高校2年になってからだった。それまで、坂本さんは誰にも相談することなく、何が起きているかもよくわからないままに、母に寄り添い続けた。

誰かに助けて欲しいなんて思いもしなかった

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母親と花火をする5歳ごろの坂本さん。中央にいた義父は切り取られていた。

 さめざめと泣きながら、将来への絶望、金銭的な不安、今、直面しているつらさ……そういったものを中学生の息子に吐き出す母のそばを、坂本さんは離れなかった。

「お金のことを言われると無力感しかなかった。義父が生活費を仕送りしてくれてはいたんですが、僕は一銭も稼げないし、これから高校進学を控えてまた負担をかけるんですから。母の話を聞いているのはつらかったです。でも、泣いている母を振りきって、自分の部屋に閉じこもることもできなかったんです。泣かれる方が怖くてつらかった。だからせめて泣きやむまではと、そばにいました。そうしてあげられるのは自分しかいない、とも思っていましたね」

 母は、泣きながら感情を爆発させ、パニック発作を起こすこともあった。過呼吸になると、テレビで見たように紙袋をあてて呼吸をするよう促したが、まったく効果はなかった。「お母さんが倒れたらどうしよう」そう思って坂本さんは、必死で母の手を握った。

「手を握って、目を見て、それから『ほら、一緒に深呼吸しよう』って言うんです。『すー、はーっ』って。そうやっていると、落ち着いてくれた。あれが一番効果がありましたね。中学・高校ってずっとそれをやってました」

 お母さんの過呼吸症状への“特効薬”を見つけたことを、世紀の大発見のように坂本さんは話してくれた。

 子育てをしている人なら、パニックになって泣く人の手を取り、目をみつめてなだめた体験が一度はあるだろう。幼い子が感情をコントロールできずに、どうにかなるかと思うくらい真っ赤になって泣いているとき、とっさにそんなふうに小さな体を抱きしめた経験が、私にもある。

 しかし坂本さんは母にそうしてあげていたのだ。今ほどは大きくなかっただろう手を、母の手に重ねて、一緒にふぅ、ふぅと息を吐く。あぁ、おさまってくれたとほっとする中学生の坂本さんの姿が、目の前に見える気がして、一瞬、言葉に詰まった。

 「誰かに助けて欲しいって思わなかったんですか?」

 そう聞くと、彼は首を傾げた。 

「思わなかったですね。誰かに助けて欲しいなんて一ミリも。むしろ家のことは誰にも知られたくなかったし『誰も何も聞かないでくれ』という気持ちでした。『こどもぴあ』に来てくれる人も、そうだったという人が多いですよ。きっと助けを求める余裕がないんでしょうね。それに誰かに何かをしてもらった経験が少ないから、具体的にどこに助けを求めたらどう楽になるのか、イメージがつかめないんです。学校の先生はもちろん、友だちにも、誰にも母のことは言わなかったです」

 “問題のある家”だと思われるのが嫌だった、と坂本さんは言う。“お母さんのメンツ”をつぶすのも嫌だった。だって、大好きな母なのだから。そうやって子どもたちは秘密を抱える。

 周囲に、異変に気づく知人や友人、学校の先生はいるかもしれない。でも、どこまで家の事情に介入していいか、二の足を踏む。 

「でも、同時にこう思うんです。もしどこかでいつも見てるよって気にかけてくれている人がいたら、それが一番ありがたかっただろうって。もし何か言いたくなったとき、SOSを出したくなった時に構えてくれている人がいるってわかっていたら、やっぱり違うと思う。だから、もし何か気づいたことがあったら、保健室の先生でも、近所のコンビニの店員さんでも、友達のお母さんでも誰でもいい、『元気にしてる?』って、いつでも話を聞くよって姿勢でいてもらえたら、って思うんですよね」

▼後編:病気の親を支える子ども「ヤングケアラー」の自立とそれから

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