病気の親を支える子ども「ヤングケアラー」の自立とそれから

文=玉居子泰子
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「結婚について、最近よくいろんな人にインタビューしているんです」と笑う坂本さん。

 新型コロナウィルスの流行拡大を防ぐための休校措置が、全国の小中高校で取られている。この「非常事態」は一般家庭にとっても負担だが、精神疾患を抱えた保護者とその子どもたちにとっては、さらに過酷だ。

  3 月 5上旬、「精神疾患の親をもつ子どもの会 こどもぴあ」は、HPに「精神疾患をもちながら子育てをしている当事者、ご家族、支援者のみなさまへ 」と題したメッセージを公開した。

 「こどもぴあ」は、ソーシャルワーカーとして働きながら、精神障害がある親に育てられた子どもの立場の人たちの語り場をボランティアでつくっている。代表の坂本拓さん(29歳)は、彼自身もまた鬱病とパニック障害を抱えた母親に育てられ、中学・高校・専門学校時代を通して「ヤングケアラー」として、母の精神的なサポートを一手に担ってきた(▼前編)。

 中学の時から「母を抜きにして人生選択をしたことがなかった」という坂本さん。現在の職業に就いたのも、やはり母の存在が大きかったという。

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病気の親を支える子ども「ヤングケアラー」の自立とそれからの画像3 ウェジー 2020.03.29

社会人になり、初めて母の存在を重荷に感じた

 高校に進学してからも、坂本さんの生活の中心は母親だった。本来なら思春期や反抗期を迎える年ごろだが、反抗なんてする余裕もなかった。ときどき、むっとして不機嫌になったり、「いってきます」を言わずに家をでることが精一杯の〝反抗”。それだけで、帰宅時はまた母が自責の念から調子を崩していないか、心配でたまらなかった。

「怒りの感情が今でもうまく出せなくて。周囲の人や恋人とかにも怒ったりできないんですよね。ストレスがある生活が普通になってしまって感覚が麻痺しているって、大人になって人から言われたこともあります。自分でもそうだと思いますよ」

 高校を卒業したら、家計を支えるために働くつもりだった。車が好きで技師になりたかった。だが、卒業後は結局、精神保健福祉士と社会福祉士の資格が取れる福祉専門学校に通うことにした。母の病気をもっとよく理解し、もっと助けになりたかったからだ。

「当時は”母のために”って思っていましたが、結局それは言い訳で、単純に就職から逃げたのかもしれません。工業高校だったので友人の多くは就職したんですけど、母を支えつつ仕事をする自信がなかった。それで祖母に頼んで学費を貸してもらい進学したんです。それまでずっと親のことを考えて選択をしてきたから、自分の意志で就職して、自分で人生を選択するイメージがわかなかった。だからまた母を救う気になって、逃げたんだなって今では思います」

 そう自己分析する坂本さんだが、優しく人の心に寄り添える彼にソーシャルワーカーの仕事は合っていた。一方で家に帰ると、これまでにはないくらい、母に対し、いらだちを抱く自分がいることに気づいたという。

「仕事だと利用者さんに感情的になることなんてないのに、母には『なにまたわがまま言ってんだ』とか『こんなこともやらないの?』とかイライラしてしまう。稼ぐようになって生活を支えられるようになったものの、自分が倒れたら共倒れだと思うと、ストレスがものすごくて……、なんのために自分は働いてるのかわからなくなった。就職した1年目は、本当に苦しかったですね」

悩んだ末、母との別居を決意した

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まだあどけなく幼いころの坂本さん。中学になるまでに名字が5回変わったという。

 行き詰まった日々を変えたのは、ある出来事がきっかけだった。別居していた義理の父と母が正式に離婚をすることになり、義父からの資金援助が途絶えたのだ。月々約10万円のローンを、坂本さんが払いつづけるか、それとも安いアパートに引っ越すかを決めて欲しい、と母は坂本さんに頼んだ。

「え……、それ、俺が選択するの? って思いましたね。母のためには環境を変えず今の家に住みつづけるほうがいいに決まってる。でも、就職一年目でこの先ずっと10万円のローンを払いつづけていけるのか……あのときは、自分が壊れて何か病気を発症するんじゃないかと思うくらい悩みました。でも母を見捨てられなくて一度は『今のまま一緒にくらそう』って言ったんです」

 20歳で、就職したばかりの若者。その肩に親のためのローンと生活費を担う覚悟なんてできるのだろうか。実際、坂本さんの不安は消えず、さらに悩みつづけた末、ようやく、自分の本心を口にすることができた。

「ごめん、やっぱり一人暮らしをしたいって言いました。怖かったです。しがみつかれるだろうと思ったから」

 母の生活費は行政の支援制度を使い、なんとかして一人暮らしをしてもらって、自分は自分の人生を歩みたい。坂本さんはようやく、そう思えたのだ。母は、こう答えた。

「『うん、あなたはあなたの人生を歩んでね。応援する』って言ってくれたんです。びっくりしました。そのときはじめて、気づいたんです。母はこれまでもずっと昔のままの、本来の母でいてくれていたんだって。もうあの強くて優しい母はいないと思っていたのに、すべてをくつがえすような言葉でした。

 僕はずっと母を言い訳に被害者面していたけれど、母は僕をちゃんと息子として見てくれていた。つらいとか苦しいとか、言ってもよかったのかもしれない。もっと甘えて、逃げたければ逃げればよかったのかもしれない、と思ったんです」

10年かけて築いた家族との距離

 一人暮らしを始め、母と物理的な距離をとることで、坂本さんはこれまでにない解放感を得ることができた。思いきって休暇中に、海外旅行に出てみると驚くほど母のことを忘れられたと言う。

「一人になるってこんなに楽なんだ、と。以来、一年に3回くらいは休みをとって海外に出るようになりました(笑)」

 とはいえ最初はやはり母が気掛かりで、なんども家に寄る生活だったという。

「しょっちゅう母のアパートに寄ったり、メールをしたりして様子を見ていました。母のためというより自分が安心したかったんでしょうね。でも、少しずつ、波はあれども、母も落ち着いて生活できているんだとわかってきて。一昨年、生まれて初めて半年間会わなくても平気だったんです。去年は仕事やこどもぴあの活動が忙しくて気がついたら10カ月会っていなかった。なんだ大丈夫なんだ、とようやく思えるようになりました」

 また、この頃から、これまで母のことには無頓着で無関心だと思っていた姉が、母のところにしょっちゅう遊びに行き、調子がよければ買い物など遊びに連れ出してくれるようにもなった。そんな姉の存在も、今では坂本さんにとって安心材料になっている。

「母が元気なときは姉が会って様子を知らせてくれる。困ったことがあれば僕に相談が来るから、そのときは僕が行けばいい。役割分担ができてきたんです。母は今も医療機関に繋がっているし。誰も見ていないことがないから、そこも安心です。

 いざとなればもちろん行きますが、小さな心配をし続けなくてよくなったのは本当に大きい。姉は何もしてくれない、何も感じない人だってずっと思っていたけれど、そうじゃなくて、姉は姉なりのやりかたで母を気にして、悩んで、母と接したかったんだってことにも気づきました。10年かけてようやく家族との距離が掴めてきたかなと思うんです」

「子どもの立場」にいた人たちが初めて解く呪縛

 2018年に「こどもぴあ」が発足して3年目。現在メンバーは30人ほどいて、代表の坂本さんを始め4,5人が中心になって運営している。なかなか表に出てくる機会がない「子どもの立場」の人たちを全国に呼びかけ、これまでのべ300人以上の人たちが、こどもぴあの語りの会にやってきた。参加者は、リピーターと新規参加で半々だ。最近は、「配偶者の会」に親につれられてやってくる子どもたちを誘ってみることもある。

 統合失調症、うつ病、依存症など、親の症状にあわせたグループができ、そこに集まった人たちが5〜6人でそれぞれに自己紹介をしながら自分の体験や思いを語る。会が行われる3時間はあっという間に過ぎるという。

「何も話したくなければ、話さなくてもいいんです。でも、同じような経験をした人たちの話を聞いているうちに、『自分だけじゃなかった』と思えるし、自分の話もしたくなってくる人は多いです。これまで誰にも話してなかった親のうつ病の話しをしてくれた50代の男性もいました。親の病気を隠したまま結婚して子どもを産んだという人もいます。

 これまでまるで呪縛のように『話してはいけないこと』を抱えていた人たちが、『こどもぴあ』に来て体験をシェアしてくれて、『やっと自分の人生を生きられそうだ』って少しずつ力強くなってくれる。語るって大切なことなんだって、僕自身が『こどもぴあ』にかかわるようになって気づかされました」

 自分のつらさを語ることができなかった坂本さんも、会を通して、かつての苦しさや思いをずいぶん言葉にできるようになってきたという。

「もっと母にこうしてあげられたんじゃないかとか後悔はたくさんあります。自分が今後結婚して家庭を持つことも今はまだ想像できない。一人が今は気楽だなって思うんです。

 でも、少しずつ、人と話すことが幸せだなとも思えるようになってきたところもある。死にたいとか消えたいとか思ったこともあったけど、ここまで生きていて良かったなって思えるようになった。大変ななか育ててくれた母にも感謝しています。おかげでいろんな人に会うこともできた。もっともっと、あの経験があるからこそ自分にできることはしていきたいですね」

 坂本さんは今、親に病名がついていないが、生きづらさを抱えている子どもたちの声をもっとすくい上げられたらと思っている。そしてそれは、坂本さんのようなソーシャルワーカーや医療福祉の専門職でなくてもできることだろう。

 そうした思いを込めて、坂本さんは前編の冒頭に書いたような、長期休校に伴う臨時メッセージを書いたのだ。誰もが不安をかかえて気持ちが弱くなっている、こんな時期だからこそ、少し周りを見回して、いつもの「あの子」の元気があるかどうか、ひとりひとりの大人が気を配ることができたら。坂本さんが「生きていてよかった」と笑って言ったように、今、苦しいところにいるかもしれない子どもたちに、少しでも安心できる場所を作っておくのは、大人の責任なのではないだろうか。

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