新型コロナ騒動で私たちが受ける「情報過多ストレス」という被害

文=安藤俊介
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「Getty Images」より

 終わりの見えない新型コロナウイルス問題に、日本だけでなく世界中が不安を感じ、イライラを募らせている。

 

 ある人は感染するかもしれないと心配し、経営者はこのままでは経営が成り立たなくなるのではないかと資金繰りに不安を感じる。ある人は日用品が買えなくなることに恐怖を感じ、フリーランスは日々の生活の見通しが立たないことに焦りを募らせる。

 不安や怒りを感じている時、人が冷静になるのがいかに難しいか、ということを感じている人も多いと思う。

 電車の中では、咳をしたとかしないとかで殴り合いの喧嘩が起きたという。トイレットペーパーが全国の店頭から消え、購入をめぐりこちらも喧嘩になった地域がある。

 愛知県では、コロナウイルスに感染し自宅待機を命じられていた50代の男性が「コロナばらまいてやる」と飲食店に行き、そこにいた女性が感染した。その後、その男性は死亡した。

 これらのことを見ていて思うのは、間違いなく私たちは今、非日常の中にいるということだ。そして、非日常の中にいると、その人の隠しきれない本性が見えてくる。

 先に挙げたような行為に及ぶ人たちも、平時は普通の人たちだったであろう。しかし、非日常がその普通を普通ではなくすスイッチを押した。だから、普段では考えられないようなことが起こる。

怒りを小さくしたかったら、まずは不安に目を向けることだ

 私たちはなぜ、ここまで不安に駆られるのだろうか。それは、処理しきれないほどの情報を得てしまうからだ。なんでも現代人は、江戸時代の人の1年分の情報を1日に受け取っているらしい。江戸時代も今も人の情報処理能力に大差はないだろう。となれば、受け取った情報をどうして良いのかわからず、持て余してしまう。

 情報を持て余しているところに、さらに情報の波が幾度も繰り返しやってくるのである。それだけの情報を受けたら、誰だってストレスに感じる。情報を受け取ったら、何も考えずに流すということができず、つい無意識のうちに何かを考えてしまったり、それについて何らかの判断をする。

 人にとって物事を決めるというのは、エネルギーのかかることだ。有名な話だが、スティーブ・ジョブズもマーク・ザッカーバーグも同じ服を着ているのは、服を選ぶ、決めるということにいちいちエネルギーを使いたくないという理由だ。服を選ぶくらいのことでも、人は力を使う。

 怒りは第二次感情とも呼ばれている。怒りの感情は単体で存在しているわけではなく、その前に何らかの感情があると考えられている。それが第一次感情だ。

 第一次感情は不安、辛い、苦しい、寂しい、悲しい、打ちひしがれたなどの一般的に言うところのマイナス感情のことである。なかでも不安は、第一次感情の中ではかなり大きなものとして考えられている。不安は怒りの前提条件のようなものだ。同じ出来事に遭遇したとしても、とても気分が良い時はたいして頭に来ないが、不安をいっぱい抱えている時は、強く怒りを感じてしまう。

 例えば、朝から機嫌が良い日に部下がミスの報告をしてきたら、まあそれくらいのミスは誰にでもあるから次から気をつけるようにと軽く流すことができる。ところが、今のように行き先が見えない状況で不安を抱えていれば冷静さを欠き、同じ報告を受けても「こんな大変な時に一体何をやってるんだ!」と怒鳴ってしまったりするのである。

 怒りを小さくしたかったら、まずは不安に目を向けることだ。不安を小さくすることができれば、同じ出来事にあったとしても、同じシチュエーションにいたとしても、怒りに振り回されることなく、平常運転することができる。

もはや1億総コロナウイルス評論家だ

 では、どうすれば今の状況で不安を小さくすることができるのだろうか。人は不安になると、不安を消したいがために、そのことについて情報を得て不安を小さくしようとする。ところが、その努力は報われない。それどころか逆効果になり、余計に不安を大きくしてしまうのである。なぜならば、不安は物事を理解すれば理解するほど、より大きくなるものだからである。

 新型コロナウイルスの件で、嫌というほどそのことを味わっているのではないだろうか。テレビ、ラジオ、新聞、インターネットと、あらゆるメディアが連日、新型コロナウイルスについて報じている。

 感染者、重症者がどのくらい増えた、どの国ではどうしているといったニュースを報じるものから、政府の対応は後手に回っている、JOCはこの期に及んでまだオリンピックをするのかといった批判、さらには各種専門家による解説まで、ニュースの内容の種類は数え切れない。

 同じ専門家でもここまで意見が違ってくるものかと、当たり前のことながら、改めて驚いたりしている。SNSを見れば、知り合いたちが素人なりに調べた独自の意見や考察を、さもそれが事実のように論じている。もはや1億総コロナウイルス評論家だ。誰が正解で誰が間違っているのかなど、正直何とも判断がつかない。今はすべてが仮説でしかなく、何カ月か1年先なのかわからないが、収束する時に何が本当だったのかがわかるだろう。

 新型コロナウイルスは、知らない人にとっては何ら恐怖を感じるものではない。なぜなら、それが一体どういうものなのかまったく知らないからだ。

 今の時代にまったくニュースを見ていない人は先進国ではなかなかいないと思うが、新型コロナウイルスのことをまったく知らない人はいるだろう。また、情報統制されていたり、そもそもインターネットが普及していない国では、ニュースそのものをあまり見ていないかもしれない。そういう人たちにとっては、新型コロナウイルスの問題が取り沙汰され始めた昨年の12月から今にいたるまで、何ら変わらない毎日を過ごしていることだろう。

 では、情報を一切見ないことが正しいかといえば、ウイルスが拡大している地域で情報を得ていないと自己防衛もできなくなってしまうので、それは危険だ。ただ、情報を見ることで、不安になりすぎて平常運転ができないようなことになるのであれば、受け取る情報は絞った方がいい。

 筆者も新型コロナウイルスについては、あまりにも情報が多すぎて、何をどう判断して良いのか全然わからないので、SNSでこの件については信頼できると思う人からの情報だけを見るようにしている。もちろん、その人たちの情報が正解であるという保証はどこにもない。ただ、いたずらに情報量を増やして不安になるくらいだったら、自分から入手する情報は絞りたいということだ。

常に3つくらいの段階に情報源を分けておく

 あなたは新型コロナウイルスについて、どんな情報を、いつ、誰から、どこで、どうやって見ているのだろうか。毎日見ている情報源は変わるのだろうか。それとも同じところだけから仕入れているのだろうか。この1カ月くらいの間に、コロナウイルスについてすごく豊富な知識を持つようになったのではないだろうか。でも、知ることで、どれくらい不安を取り除くことができただろうか。おそらく、知識は増えても不安の総量は大して変わっていないのではないかと思う。

 情報源を絞ることで、偏った情報だけ手に入れるリスクはある。そのためにも、セカンドオピニオンではないが、常に3つくらいの段階に情報源を分けておくことをお勧めする。

 例えば、1.一番信頼する情報、2.一応確かめる情報、3.一番信頼する情報源に反対的な情報、といった具合だ。

 一番信頼する情報からの情報を基本的には一番信じる。一応確かめる情報はセカンドオピニオンとして考える。

 そして、実はここが重要なのだが、3番目の「一番信頼する情報源に反対的な情報」からは、情報そのものを得るのではなく、「反対する人たちがいるか」を確認するのである。なぜなら、反対意見が出ないものは、基本的に世の中に知られていない情報であり、今の時代、誰にも届かないような情報は信憑性は低いと考えられるからだ。もし自分が一番信頼する情報について反対する情報が見つからないとなると、かなり独善的に情報を選んでしまっている可能性があり、それは信じるに値する情報ではない可能性が高いと考えられる。

 情報は毎日洪水のように押し寄せてくる。それはもう、どうやっても止まらない。でも、どの情報を選ぶかは自分次第だ。誰がどう言っているかではなく、自分がどう選ぶかという基準を持つことができれば、いたずらに不安に振り回されたり、イライラすることもなくなる。

 前回の連載でも書いたが、人が見る情報はそれに価値があると判断され、似たような情報をより多く発信しようとするのがメディアである。それはメディアが悪いということではなく、多くの人が見るものを提供することで、広告収入が得られるというビジネスモデルのためである。

 私たちが新型コロナウイルスに関して、ショッキングな、先鋭的な情報ばかりに目を奪われるようになると、メディアはよりショッキングな、先鋭的な情報をこぞって出すようになる。それが真実を報じるよりもずっと視聴率が取れるとメディア側が思えば、どんどん真実よりも刺激の強い情報ばかりを見せるようになるだろう。そうなれば、私たちは真実を知る機会をどんどん減らしてしまうのである。

 今、私たちには、刺激の強いものではなく、より分別があり、より自制的で、地味だが良く考察されているものを選ぶチャンスがあり、そのチャンスを生かせれば、より真実を知りやすい環境を作ることができるようになると考えられる。

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