新型コロナPCR検査をめぐる激論に一般的な日本人が感じる強烈な違和感

文=加谷珪一
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「Getty Images」より

 新型コロナウイルスの感染の有無を調べるPCR検査の是非をめぐって、ネットを中心に大激論が続いている。だが、肝心の政府は検査の方針についていまだに明確な方針を打ち出しておらず、論客たちは政府の方針を忖度しながら相手をバッシングするという異様な状況となっている。正直なところ、多くの一般人が、こうした光景に対して違和感を覚えているのではないか。

PCR検査のメリットとデメリット

 新型コロナウイルスによる感染が拡大して以降、PCR検査をどのように進めるのかについて、様々な意見が出た。

 教科書的に言うならば、検査をしなければ感染者がどのくらい存在するのか分からないので、対策の打ちようがない。何はともあれ対象を観察することはサイエンスの原理原則であり(特に自然科学の基礎教育を受けた人であれば、この話は耳にタコができるくらい聞かされているはずだ)、検査を広範囲に実施すべきというのは、まさに「正論」ということになるだろう。

 この原稿を書いている3月31日現在、東京都では感染爆発の可能性が取り沙汰されているが、日本では広範囲な検査が行われていないため、どのくらいの感染者がいるのか誰にも分からない。

 だが現実問題として、検査対象を無制限に拡大すればよいのかというと、そうはいかない。検査には一部、誤判定が含まれるので、感染していないのに感染していると思い込む人や、逆に感染しているのに自分は大丈夫だと誤解する人も出てくる。多くの人が不安視して病院に殺到する可能性もあり、症状がない人や軽い症状の人が病床を埋め尽くせば、当然、重症者の対応ができないという事態も考えられる。

 仮に検査対象を拡大する場合でも、基本的に症状が重い人以外は病院には行けないということをあらかじめ明言しておかなければ医療崩壊を招く危険性がある。イタリアはこうした措置が不十分だったことから医療崩壊を起こしており、一方、韓国は病院の受診を厳しく制限したので、広範囲に検査を行ったが医療崩壊は起こしていない。

 整理するとこの問題は、PCR検査そのものを抑制するか、病院の受診制限をしっかりした上で広範囲に検査を実施するのかの二択と考えてよいだろう。どちらにもメリット、デメリットがあるので、こうした問題は、それを列挙した上で最終的にリーダーが決断するしかない。

 だが日本では、こうした合理的な議論というものが行われず、声の大きい一部の人が感情的になって反対意見の人をバッシングするという事態になっている。検査拡大を主張している一部の専門家に対しては、卑劣な嫌がらせも行われているようだ。

 いつものことではあるが、ごく普通の社会生活を送っている多くの日本人にとって、こうした集団バッシングというのは異様な光景にしか映らない。過度に相手を攻撃している人には、正直、関わり合いになりたくないと感じるはずであり、これが常識人の政治参加を阻害する結果をもたらしている。

政府のやり方を忖度するのが当たり前?

 しかも、不思議なことに、本来、専門家の意見を聞いた上で最終決断するべきリーダーが、いまだに検査方針について明確な方針を示していない。

 専門家会議のメンバーの一部は、医療崩壊を防ぐため、検査はむやみに拡大しない方がよいというニュアンスの発言は行っているが、首相や大臣など、国民に対して説明責任のある人物からは「基本的に検査を拡大する」という説明がなされている。

 だが現実にはPCR検査は抑制されており、状況を外部から観察すれば、日本政府は検査を抑制する方針であると判断せざるを得ないのだが、正式にそうした表明はない。

 検査を抑制すべきだと主張している人は、(検査を抑制している)政府のやり方は正しいと主張したいようだが、それは政府のやり方を忖度しているに過ぎず、本当のところ政府がどのような方針なのかは誰にも分からない。リーダーが何を考えているのか分からない状態で、そのリーダーの心を忖度しながら、「賛成」「反対」と口角泡を飛ばして議論している状態だ。

 これも一般的な日本人からすると到底理解できないことだろう。

 政府が明確な方針を示さず、国民がごくわずかな手がかりから政府の隠れたメッセージを探り出して、自身の行動を決める。これは、中国や北朝鮮など独裁国家の国民が自分の身を守るために行うやり方である。

 日本はこうした隣国とは異なり民主主義の国家である。民主国家であるならば、非常時にどのような対応を実施するのか、政府は国民に対して明確な方針を示す義務がある。一方、国民は自由に意見を言う権利を有する一方で、政府が決めた方策には従うことが求められる。こうした非常事態において政府が方針を示さないことに疑問を感じないというのは、まったくもって理解不能である。

日本人はそれほどバカではない

 どのような立場の意見であれ、まず批判すべきなのは政府がはっきりとした方針を示していないことであり、ここが改善されない限り、そもそも議論する意味がない。

 筆者が非常に危惧しているのは、一部のメディアや論者が「(検査を抑制している)日本政府のやり方はうまくいっている」と主張するなど、政府が方針を示さず、国民がそれを忖度することについて当然視する風潮が拡大していることである。

 仮に、検査を抑制するという方針を政府が立案して、それを明確に打ち出し、結果として感染拡大が抑制されたのであれば、素直に評価してよいだろう。だが繰り返し説明しているように、政府は検査方針について、明確な説明を行っていない。

 政府が明確に説明していないことを、忖度によって政府の方針であると解釈し、それを前提に報道を行うというのは、非常に危険な兆候である。

 もし、本当のことを国民に説明すれば、国民はパニックを起こすので、こうしたやり方も当然であるとの意識が心の中にあるのだとすると、日本人の民度をあまりにも低く見過ぎている。

 日本人は、本当ことを知ると見境のない行動を取るほどバカな国民なのだろうか。筆者はそうは思わないし、多くの日本人は冷静に行動できるはずだ。もしそうならば、明確な方針を示さないというのはリーダーの責任回避でしかなく、それを当然視することは、とりもなおさず民主主義の崩壊につながりかねない。

 相手を罵るよりも、まずは明確な方針を示さない政府に対して疑問を投げかけるのが正論であり、政府が示した方針については、それぞれの立場で意見表明をすればよい。そして最終的な決断に対しては、自身の主張がどうあれ、それを尊重するのが民主国家における国民のあり方というものだろう。

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