新型コロナで減収する人は「自分には関係ない」? 今は「当事者」でなくても、想像すれば見えることがある

文=原宿なつき
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GettyImagesより

 最近、友人との間で必ず出る話題のひとつに、「コロナによる仕事への影響」があります。

 飲食店勤務の友人は、「売り上げが毎週減っている。先週は過去最低だった」といい、イベント関連の会社を経営している友人は、「うちの会社潰れそう」、ロシア語の通訳をしている友人は「仕事減りすぎ」。影響を受けている業界は多いようです。

 大手商社で事務(正社員)をしている友人A子は、「中国の工場が止まったから暇すぎる」そうです。また、A子の会社では「契約社員はこれまで2カ月ごとの契約更新だったけど、今度からは1カ月の契約になったらしい」というのです。2カ月ごとでも短いと思いましたが「1カ月先の生活もどうなるか分からないとなると、これまで以上に不安だろうね」と私が言うと、A子は「でもそのための契約社員だからね」と、さっぱりしたものです。

 「そのための」とは、「雇用の調整弁としての非正規社員」ということです。企業はこういった不測の事態や経営状態に合わせて、簡単に契約解除できる労働力として非正規雇用を活用しています。雇う方も雇われる方も、「真っ先に首を切る・切られる可能性がある」ことは、織り込み済みなのです。

 しかし私は、「じゃあ仕方ないよね」とは簡単に言えません。なぜなら、以前も書きましたが、私自身が非正規雇用で働いた経験があるからです。

 初日の歓迎会で、男性社員に「この子(私のこと)、部長が面接したん? 部長のタイプですもんね。ははは!」と笑われ(何がおもろいねん!)ましたし、ほかにも“非正規の女”としてクソほどなめられる経験をしたことがあるため(タイムスリップして、どつきまわしたい)、雇用の不安定性も含めた「非正規としての弱い立場」が、まったく他人事とは思えないのです。

 A子は私とは違います。大学卒業後、大手企業で正社員として勤務した経験しかないため、非正規雇用の問題を自分と関係のある問題だとはまったく思っていないようなのです。

 A子は来月、遠方に転勤する夫について行くため、長年務めた会社を退職することになっています。引越し後はアルバイトをするつもりだそうなので、非正規雇用になるわけですが、「自分が労働にまつわる問題の当事者になる」というリアリティは感じないようでした。

 でも私も、A子のことは言えません。フリーライターの青山ゆみこさんが書いた『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)を読んだとき、私自身もまた、「あらゆる問題の当事者になる可能性に無頓着だった」ことを気付かされました。

「当事者として考える」ことで、世界の見え方が変わる

 『ほんのちょっと当事者』は、青山さんが経験した、ローン地獄、障害者差別、性暴力、看取り、親との葛藤などを通して、「大文字の困りごと」を当事者として考え、向き合った記録が綴られたエッセイ集です。

 社会問題に興味がなくても単純にエッセイとしてめちゃめちゃ面白いですし、テーマは重いのに明るく軽く読めるように書かれているので、「面白いエッセイが読みたい」という気分の時にもおすすめできます。

 私がとくに心に残ったエピソードは、「親との葛藤」について書かれたものでした。

 青山さんは、家父長制の権化のような父と、一歩下がって黙って従うことを美徳とした母の間に生まれ、ひとつ年上の兄と、ふたつ年下の弟と共に育てられました。幼いころは兄弟と平等に育てられたのですが、小学校中高学年になると、女である青山さんだけが、「家事の戦力」として期待されるようになったといいます。

 青山さんは「女の子だから」弟の部屋の掃除をやれと言われ、拒否すると、「女の子なのに」なぜ優しい気持ちをもてないのか、と責められたそうです。

<お兄ちゃんたちも手伝ってよ。そのわたしの言葉を耳にした母が、キレた。女の子なんだから黙ってあなたがやればいいでしょ。思わずまた、「なんで私だけが」と口答えをすると、母はいきなり手にもっていたものを床に叩きつけ、わーっと泣きながら寝室に閉じこもり、もう嫌だ嫌だと大声で泣き続けた。わたしはただ「ごめんなさい」と繰り返すしかなかった。>(P.149-150)

 「なんで私だけが」。それは、母親自身が感じ、しかし蓋をしてきた感情だったのかもしれません。長年、「女が男の世話をすべき」とう規範に沿って生きてきた以上、「なぜそうするべきなのか」を考えたら最後、これまで美德だと考えてきたものが、明確な差別や搾取であったことに気がついてしまう可能性もあります。

 幼いころの青山さんは、母親の態度を理不尽でひどいと思っていました。女の子だから、男の子だからという理由でかわいがるのではなく、ただの子供として愛してほしかった。夫に威圧的な態度をとられても、娘は同じ目にあわせたくないと思ってほしかった、と。

<わたしはどこかで、父に従属的に生きる母を同性の立場から責めていたのだ。なぜ母がそう生きざるを得なかったかも考えずに>(P,146)

 しかし、母がなぜそういった行動をとってしまったのかに思いを馳せることで、違った見方もできるようになったのです。

 威圧的な夫と幼い子供3人の世話をひとりで行った母の状況を想像した青山さんは、「自分には、女の子としての優しさではなく、人としての優しさが足りなかったのではないか」と思い至り、<なぜわたしだけでも母の味方でいてあげられなかったのだろう>(P.153)と後悔の念も感じていると言います。

 このように母親に対して優しい気持ちを持つことができたのは、自分自身が大人になり、「子供を育てる大変さ」「夫に従って生きるしかなかった世代の問題があったこと」を自分事として考えることができたからでしょう。

「他人事」から「自分事」へ

 他人と自分は全く違う生き物ですが、しかし同時に、相手の立場を想像し、尊重することも大切です。青山さんは、母親と自分との間に「あの人と自分は全く違う」という線引きをして、相手を全否定するようなことはありませんでした。だから母親に対する見方を変えることができたのだと思います。

 自分とは違う問題を抱えている人に対して「他人事」だと感じてしまうのは、ある意味、当たり前のことかもしれません。ですが、ちょっと想像力を働かせると、「あの人と自分は違う」から「あの人の問題は自分の問題かもしれない」と思えるようになるのだと思います。

 また、「あの人の問題は自分の問題かもしれない」と考えることは、その問題を個人的な問題に過ぎないと矮小化することなく、「社会の問題として顕在化させる」可能性も秘めています。

 他人事を自分事に引き寄せ、「当事者として考えること」また「自分が当事者になる可能性を考えること」は、「自分と社会とのつながりを感じること」や「狭い世界に生きていると思っていた自分の世界が広がって行くこと」にも通じるのかもしれません。

 「私の問題だ」と悩んでいる事柄を、どこかの誰かが、「これは私の問題でもある」と一緒に考えてくれていると思えたら、とても心強いですよね。『ほんのちょっとの当事者』は、それぞれが当事者として考えることを通して、より優しい社会に変えていける可能性を示唆してくれます。

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新型コロナで減収する人は「自分には関係ない」? 今は「当事者」でなくても、想像すれば見えることがあるの画像4 ウェジー 2020.03.08
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