同書の発行は1984年。助産師雑誌によると、山内医師が定年退官されたのが1989年だというので、新生児医療とともに歩んできた半生を振り返り、次世代へ残したい最後のメッセージ! とばかりに情熱が注ぎ込まれたのでしょうか。もしくは当時のオピニオンリーダーというものは、こんな論調で「持論を強くぶれなく打ち出し、こぼれた人は拾わない」のが主流だったのか? とにかく熱くて熱くて、うわっちゃちゃちゃ!と、本を放り出しそうでした。
ついでに「お母さんの顔を見ながら母乳を飲む原体験が、子どもの発育に影響する」という主張は、「スマホ育児」をディスる源流でもありそうです(ちなみにわが子は乳首をくわえると即座に目をつぶる赤子でしたので、私の顔なんざまったく見ていませんでしたねえ)。
スマホ育児ダメ説の源流、『テレビに子守をさせないで』が残した呪い
子どもの不調は何でもかんでも母親のせい! だから母親「だけ」が滅私奉公の精神をもって、育児に臨むべし。そんな思想が色濃く表れている昭和の珍説「母源病」…
さて、大人げない素人意見を述べさせていただけますと、粉ミルクが誕生する以前の時代(=母乳育ちが圧倒的多数の時代)でも凶悪事件は山ほどありますし、それこそ「子捨て」も日常茶飯事なので、「人の心」とやらはドコー? 出て当たり前という点も首をかしげたくなります。母乳が出るというご利益を謳う寺社が巷にたくさんあるのは、古い時代も母乳が出なくて困っていた人がたくさんいた現れでしょう(このあたりは、江戸時代あたりは「胎毒」という思想から初乳をあげない習慣があったり、栄養状態が悪いことなども関係してそうです)。
変遷する家族のあり方
特に私が「鬼畜の所業」だと思っている新宿の寿産院事件を見ても、乳児100人以上をも死なせた助産師(当時は産婆)は1897年生まれ。つまり、高確率で母乳育ちです(獣乳かもしれないけど。ちなみに粉ミルクが初めて作られたのは1917年)。そんな母乳育ちで「人の心」を注入されているはずの夫婦が、配給品や謝礼、養子斡旋料を目当てに乳児を預かり、餓死するまで放置することができたとは、どういうことでしょう(どうもこうも、戦後の混乱期に発生した貧困ビジネスなんですがね)。仮に母乳で「人の心」が注入されたとしても、状況次第でどうとでも人は鬼になれるってことです。
また、「モラル」や「情け」は時代で価値観が変わるので、一心に母乳保育する母親像が、近代家族モデルがよしとする価値観にジャストフィットしたことも関係しているでしょうか。女が家を守り、子は実の母が心血注ぎ込んで責任を一手に引き受け立派に育てるべしという、「ザ・昭和」のお話ですね。
「絆」や「心」については、ぶっちゃけ山内医師も「心理的な影響を調べる方法はない」とは語っています。それでも母乳で育ったという原体験が重要だと信じている! 人工ミルクダメ絶対! とゆずりません。
「簡単にミルクを飲んで育った母子のきずな、母子のすりこみと、母子で苦労に苦労を重ね、やっと母乳保育を自分のものにした母子のきずな、すりこみを比べた場合、両者の間になんらかの差があるのは当然だと私は信じているのです」