なぜ結婚式で花嫁は黙って笑顔なのか。「女の話は聞かない」の根深さ

文=原宿なつき
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「GettyImages」より

 友達の結婚式に出るのって、同窓会気分で楽しいですよね。でも、結婚式の内容については、いろいろ辛いしキツイと感じています。一例を挙げると、

・招待状はいつも男性の名前が先に書かれている

・バージンロードでは、花嫁の父から息子に花嫁が手渡される。男同士の間で交換されるモノとして女性が表現されている。

・そもそもバージンロードっていう言葉がキモい。童貞ロードは要求されず、処女ロードが未だに名前だけとはいえ残っているところに、「性に対するダブルスタンダード」を感じる。

・ブーケトスの儀式が女性にだけある。「女性はみんな結婚したがっている」という演出。男性だけがブーケトスの儀式をさせられる姿を想像できますか? ここでも、「女なら喜べよ!」という圧力を感じて辛い。

・ケーキバイト(ファーストバイト)。「男は稼ぎ、女は作って食べさせろ」。

・挨拶をするのは花婿。花嫁は結婚式の間、公には一言も話さないことが多い。

 つまり、結婚式には、ナチュラルに家父長制および男女の役割を強化する働きがある、と思うのです。

 もちろん全ては「イベント」。共働きの夫婦もケーキバイトをしているわけで、実際に男性にだけ稼げ、と言っているわけではないと思うのですが、それでもあの習慣に参加することは、「男は大黒柱になれ」「女は料理くらい作れ」という圧を強化する力があると思うんですよね。

 私は、どちらの圧も受けたくないし、かけたくありません。そういった「性別役割を強化する」ことには加担したくないと思いつつ、結婚式に水を差すことはできないので、モヤモヤしながら見守るばかりでした。

 中でも特にモヤモヤするのは、「花婿は最後に挨拶をするけれど、花嫁は一言も発さず隣で微笑むのみ」という点でした。

黙れ、女は人前で発言してはならぬ

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メアリー・ビアード著『舌を抜かれる女たち』(晶文社)

 このように「人前で話すのは男の仕事」とされてきたのは、日本だけではありません。

 ケンブリッジ大学古典学教授メアリー・ビアード著『舌を抜かれる女たち』(晶文社)は、古代ギリシア・ローマの世界を分析することで、女性を黙らせ、言葉を軽んじ、権力の中枢から切り放そうとするメカニズムが西欧社会に深く存在していたことを明らかにしています。

 「女は人前で話すな」の歴史は、約三千年前に遡ります。ホメロスが書いた「オデュッセイア」では、息子が母親に向かって、<「母上、今は部屋に戻って、糸巻きと機織りというご自身の仕事をなさってください…人前で話をするのは男たちみなの仕事、とりわけ私の仕事です」>(P.11)と発言します。

 この時代、「女に公の場面で話をさせないこと」が、大人の男になるうえで欠かせない要素だとみなされていました。また、公に発言をした女性には汚名を着せることで、発言を封じてきました。自分で法廷に訴えた女は、「厚かましい」「キャンキャンうるさい」「本来おとなしくしているべきなのに、公の場所で口をつぐんでいられなかった女」と思われたのです。

軽視され、遮られる女性の発言。「女だから、俺よりは知らないはず」

 現代社会では、「女は公に話すなよ」とあからさまに言う人はほぼいません。ですが、結婚式もそうですが、「公に話をするのは男性の役目」と型が決まっているケースも多いですし、女性が公に話をしたとしても、その発言は頻繁に軽視され、遮られます。

 有名なのは、2009年にMTVアワードを受賞したテイラー・スウィフトのマイクをカニエ・ウエストが奪った事件でしょう。カニエは受賞スピーチをしていたテイラーのマイクを奪い、「ビヨンセがとるべきだった」と発言し、物議を醸しました。受賞していたのが男性ミュージシャンだったら、カニエが同じことをしていたとは思えません(この事件がテイラーにどういった影響を与えたのかは、Netflixのドキュメンタリー『ミス・アメリカーナ』をご覧ください)。

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なぜ結婚式で花嫁は黙って笑顔なのか。「女の話は聞かない」の根深さの画像4 ウェジー 2020.03.22

 また、女性の場合、専門家であっても発言を軽視されることが多いのです。レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(左右社)は、マン・スプレイニング(manとexplainをかけあわせた造語・男性が女性に偉そうに上から説教や解説をすること)という言葉を広めた本として有名ですよね。

 レベッカは自分の研究分野について、素人の男性から上から目線で発言されることが多かった、と述べています。メアリー・ビアードもまた、ツイッターで自身の専門分野である古代ローマ史について、男性からレクチャーされることがよくあるそうです。

(余談ですが、マン・スプレイニングという言葉の意味を話したときの男女の反応は異なります。女性の場合、自身のマン・スプレイニング被害経験を語ってくれることが多いですが、男性の場合は、二種類に分かれます。ひとつは、「俺、マン・スプレイニングしてない? 大丈夫? しちゃってそう」と我が身を振り返るタイプ。もうひとつは「マン・スプレイニングという言葉自体がおかしい」と怒ったり、不機嫌になったりするタイプです。どちらがマン・スプレイニングするタイプかは、おわかりいただけるかと思います。)

舌を抜かれないために何ができる?

 2010年、「マン・スプレイニング」は、ニューヨークタイムズによってその年の流行語に選ばれました。この言葉が流行したのは、女性たちの「自分たちの言葉は遮られ、軽視されてきた」というモヤモヤをズバリ言い表してくれたからでしょう。

 残念ながら、女性だというだけで、発言権を奪われたり、発言を軽視されたり、発言内容の是非よりも「声を挙げた」というだけで叩かれたりすることは以前としてあります。こういった現状を変えていくためには、何ができるでしょうか?

 メアリー・ビアードが序文で<女性の声と、公的な場で演説したり議論したり発言したりすることのあいだには、文化的な不和がある>(P.15)と指摘するように、どういった言葉・話法に説得力があるのか、そのテンプレにおいて、ジェンダーは重要な基準になっています。

 実際、なぜだかわからないけれど、「高い声」よりも「低い声」の方が、説得力・威厳があるように感じる人は多いと思います。元イギリス首相マーガレット・サッチャーが声を低くするボイトレを受け、威厳を出そうと工夫していたことはよく知られていますが、自身の声を変えようとする以前に、なぜ「高い声」よりも「低い声」の方がいいと思ってしまっているのか、まず考える必要があるでしょう。そこを考えずに、男性に似せることで説得力を持たせようとしたところで、「女性が二流の話者である」という前提を崩すことはできません。

<公的発言の話法、誰の声がふさわしく、それはなぜなのかといった問題を表面化させる努力をするべきでしょう。必要なのは、威厳のある声とはどういう意味なのか、私たちはどういう過程を経てそう考えるようになったのか、古臭い言い方ではあるけれど、問題意識を高めることです>(P.52)

 低い声は威厳があり、高い声はキーキーうるさいとか聞き取りにくいとかいうことになっている。そこを当たり前だと思わず、「なぜそうなっているのか」を考える必要があるのです。

 先日、お笑いコンビAマッソの加納愛子が、「声が高くて聞き取りにくい」と言われることをネタにしている動画を見ました。なぜ「声が高い=聞き取りにくい」と言われるのでしょうか。「声が高くて聞き取りにくい」と批判している人は、男性芸人がデフォで女性芸人を例外的存在だとみなし、「お笑いは男性が低い声でするのがよい」と思い込んでいるのでしょう。そういった思い込みを当然のものとみなす限り、三千年前の「黙れ、女は人前で発言してはならぬ」といわれた時代に逆戻りしてしまいます。

 個人の声はもとより、女性全体の声を軽視させないためには、「女性の発言権を奪う文化的テンプレート」に対し、いちいちツッコミを入れていく必要があるのだと思います。

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