「性別」は何を分けている? 性別が禁止された世界で見える「その人だから好き」

文=原宿なつき
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GettyImagesより

 女か男かわからない人を見たとき、「どっちなのだろう」とはっきりさせたい気持ちになりますか? 私はそうでした。

 大人になってから、トランスジェンダーという言葉や、性自認に迷っている人、どちらの性にも分類されたくない人など様々な人がいることを知り、「相手の性別をはっきりさせようとすることは暴力になり得る」と気がつきましたが、随分長い間、「性別はふたつにわけられるものだし、性別を問うことに問題はない」と思い込んでいたように思います。

 なぜそんな思い込みをしていたのかというと、この社会では常に「女か男か」を明らかにするように求められることが小さい頃から当たり前だったからです。

 子ども時代、通っていた学校が「男女別名簿」だったという大人はとても多いと思います。全国の小中高では今、男女混合名簿の採用が進んでいますが、まだ男女別の名簿を使用している学校もあります。

 男女別名簿では、自分や他の生徒が男女どちらの性別かを、無意識に、しかし強く意識することになります。それに、廃止の動きも進んではいますが、高校や大学などの入学願書には性別を記入させる欄があります。定期券やパスポートを作成する時にも、「男女どちらなのか」を問われます。本人証明に「性別」は必要なのでしょうか。

 こういった日常を生きていて、「性別は男女どちらかに決められるもので、それをはっきりさせることは自然なことだ」と考えるのもまた、自然なことなのかもしれません。

 しかし、冷静に考えたら不思議です。なんで事あるごとに性別を問われるんだろう?

 現状、男女で政治家や管理職比率、賃金差などがあり、そういった問題を顕在化させ是正させるうえでは性別ごとの統計をとることにも意味はあると思います。でも、必要性が不明確な状況で「性別を明記させる・性別をふたつに分けられる」場面は多いですよね。

 たとえば受験のとき。性別欄いらないですよね。あ、そうでもないか。聖マリアンナ医科大学は必要ですね。女性の場合は180点中80点マイナスしておかないといけないんですから。それはさておき、性別をはっきりさせるように求めてくるのは、こういった明らかな差別主義者だけではありません。差別の意図はなく、「今までそうしてきていたから」というだけの理由で、性別を記載させるシーンは少なくないように思います。

 性別を明らかにすることで生まれる「社会的な優劣」や「差別」があることは自明です。でも、「じゃあ性別が一切ない世界」では、人間同士の関係はどうなるのか?

 小説家の村田沙耶香さんが今年2月に上梓した短編集『丸の内魔法少女ミラクリーナ』(KADOKAWA)に収録されている短編『無性教室』では、「性別を明らかにする・問うことを禁止されたら、どうなるか」という思考実験が行われています。

性別が禁止された世界と恋愛

 主人公ユートが通う中学校では、「性別」が禁止されています。学校にいない間は性別を明らかにしてもよいけれど、学校にいる間は、「どちらでもない性」として生活することが義務付けられているのです。

 この学校には、「一人称は僕」「髪型はショートカット」「制服は全員同じでボトムスはスラックス」「胸を潰すためのトランスシャツを下着として制服の下に着用する」「性別がわかりやすい名前はもじって別の名前を名乗る」「体育の授業は男女別ではなく体力別に行う」など、様々な規則があります。

 こうして生徒たちの性別を消す工夫をしているのですが、二次性徴期を迎えれば声変わりや明らかな体格差が出てくるため、「この人は男だろうな」「女かもしれないな」と、薄らわかってしまいます。薄らわかるけれど、明かしてはいけない。そしてどちらの性別かさっぱりわからない中性的な生徒もいる。ユートは次第に、混乱の渦に飲まれていきます。

 この物語では、10代の瑞々しい恋愛が鮮やかに描かれています。ユート自身は「体は女性」で「男性が好きなヘテロセクシャル」と自覚しているのですが、ユートが好きになった相手セナは、外見からは男女どちらかがわかりません。けれどユートはどちらの性別かわからないセナに発情しています。そんなとき、美少女(だとユートが思い込んでいた)ユキから「好きだ」と打ち明けられ、関係を迫られます。さらに「この学校だけでなく、社会はすでに全国民の無性化に向けて水面下で舵を切っているのだ」と吹き込まれ、ユートは混乱していくのです。

 性別もセクシャリティもわからない友人たちと主人公との交流から、私は「自分が普段いかに性別に囚われているか」を突きつけられました。性別が禁じられた世界では、恋愛も性別を前提としないのです。性別を前提としないことで、その人自身をちゃんと見ることができる、という側面は確かにあるのだと思います。女だから、男だから、異性だから、同性だから、という前提を持たない状態で相手と接することができたら、その人を好きになったら、それは「その人だから好き」だということです。

 また、自身を異性愛者だと思い込むユートが、性別のわからない中性的な容貌のセナに惹かれていく姿を描くことで、「恋愛対象を性別で選別することは人間の本能ではなく、文化的な刷り込みや思い込みにすぎない」という可能性も示唆されています。

 性別が禁じられる社会では、異性愛・同性愛という概念もなくなり、異性愛がマジョリティで、同性愛がマイノリティだとされることもなくなるのです。『無性教室』を読み進めていくと、最初はとっぴな発想に思えた「性別を禁止する」という設定も、「ある意味ありかも」「っていうか、性別を当たり前に問われる社会ってやっぱ変じゃない?」と思えてきます。村田作品の醍醐味である自分の中の「普通」が揺らぐ感覚が味わえる、エキサイティングな一作です。

性別を「問われなくなる」日は来る?

 今、大抵の人間は筋肉や骨格、声、ファッションや髪型などの見た目から「男か女か」が判別できるようになっていますし、裸になって性器を確かめることでどちらの性別かに区別されます。「無性でなければならない」と禁じられ、行動を制限されればそれはやはりディストピアでしょう。しかし一方で、「男か女か、はっきりさせなければならない」状態はおかしくないのでしょうか。行動を制限されていることにはならないでしょうか。

 北欧では、ジェンダーフリートイレ・オールジェンダートイレと言われる、性別を限定しないトイレが増えてきているそうです。空港などでも、よくある「男女のトイレマーク」を廃止した、オールジェンダートイレを見たことがあるという方もいらっしゃるでしょう。カナダやオーストラリアのパスポートは、男女を明らかにしたくない人のためにX(unspecified 不特定の意)を選べます。

 日本では、2020年3月には日用品大手のユニリーバ・ジャパンが「履歴書における性別・名前の記載・写真の添付を廃止する」と公表し、大きな話題となりました。前述した受験時の性別記入も、廃止の動きがあります。

 私たちは「性別」で何を区別したいのか。男と女は体の構造が違いますが、でも男Aと男Bも「同じ存在」ではありませんよね。女Cと女Dも、体格も声も顔も好きな服の趣味も違うのではないでしょうか。男女を区別する性器だって、構造や機能は同じだとしても、人によって形状も反応も違います。「みんな」を「ふたつ」にわけ、その「ふたつ」を区別するより、「一人ずつ」が個別であるということを意識できたら。性別を前提としない「その人だから」を重視する社会にしていきたいものです。

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『コンビニ人間』(文藝春秋)で芥川賞を受賞し一気にブレイクした村田沙耶香さんの初の短編集『生命式』(河出書房新社)。表題作は、亡くなった人の肉をみんなで…

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