
雁須磨子『あした死ぬには、』(太田出版)2巻
雁須磨子氏の最新作『あした死ぬには、』(太田出版)が面白い。
「このマンガがすごい!2020 オンナ編」で第3位にランクインした『あした死ぬには、』は、映画宣伝会社でハードワークをこなしてきた42歳の本奈多子が、体調や精神の変化をきっかけに人生や働き方を見直していく物語。
この作品が生まれた背景には、作者自身が経験した体調の変化と、「働き方」の見直しがあったという。雁須磨子氏に話を聞いた。

雁須磨子
福岡県出身。1994年に『SWAYIN’ IN THE AIR』(幻冬舎)でデビュー。少女漫画誌、青年漫画誌から、BL誌まで幅広く活躍。『ファミリーレストラン』(太田出版)は2006年に映画化された。最新作『あした死ぬには、』は第2巻まで発売中。
──『あした死ぬには、』の多子さんが抱える心身の不調や悩みには共感する人も多いと思います。それは彼女の姿がリアルだからだと思うのですが、雁さんも同じような体験をしたことがあるのですか?
雁須磨子(以下、雁) そうですね。実体験がこの作品を描くベースになっています。私も40代になって不整脈と四十肩が一気に来たとき、色々と感じたことがあって。
それまで「人はいつか死ぬ」みたいなことは漠然としか考えたことがなかったんですけど、そのときに初めて「あぁ、人っていつ死んでもおかしくないんだ」みたいなことを強く思ったんです。
若いときは遠い未来の出来事でしかなく現実味のなかった「死」を、初めて現実味のあるものとして感じたんですね。
──身体の急激な変化に、これまで浮かんだことのないような考えが心に浮かんだと。
雁 その時期は、夜にベッドで寝転がりながら、「このまま眠ったら、もう二度と起きることはないんじゃないか」なんて思ったこともあったんですけど、そんなことを考えたことに自分自身ビックリして。
そうした変化が起きた時期には、更年期のせいもあるのか妙に気分が落ち込むことも増えましたし、身体も太りやすくなりました。
そういう自分自身の変化の経験を頭の中に溜めていったことが『あした死ぬには、』の元になっています。
──多子さんはそうした体調の変化によって仕事に支障が出てしまい、これまで20年以上続けてきたガムシャラな働き方を見直さざるを得なくなってしまいます。
雁 私も多子さんと同じくワーカホリックなタイプでした。普通、身体の調子が変わってきたのなら体調に合わせて適度に休めばいいじゃないかとも思うけれど、そもそも「休み方」というのがよく分かっていなくて。
──「休み方」ですか?
雁 同い年ぐらいの漫画家さんを見ていると、一回休んだらそれっきり描けなくなって休み続けることになるんじゃないかと恐れる人がけっこういます。
私もそうで、走り続けるのを止めたら、もう動くことができなくなるんじゃないかと思ってしまって怖かったんです。
漫画家のような職業の人はうまく休むことが難しいんですよね。会社勤めみたいに「土日休み」とか、そういうルーティンで休む習慣がないから。
だから、「寝てない自慢」とかそういうことではなく、本当に寝るタイミングが分からない。もちろん上手にコントロールできる方もいらっしゃいます。
──休み方が分からないというのは、そういうことなんですね。
雁 「病気になったら休めるかな」と心の中でちょっと思っていたところがあって。ひどいときは、「重いケガをしない程度の交通事故に遭わないかな」なんて考えていたこともありました。
──えっ!?
雁 右手に後遺症が残ったら漫画を描けなくなっちゃうから嫌だけど、そうならない程度のケガをして病院に行きたいな、と。そうすれば休めるかなと思っていたんです。
病院の診断書みたいなものがないと、編集者は休むことを許してくれないと思い込んでいたから(笑)。もちろん、いまはそんなことないって分かってますよ。
──それはそうですよ。
雁 年齢を重ねるにつれ身体は確実に変化しているけれど、そういった精神構造からなかなか抜け出すことができず、前よりはだいぶマシになったけれど、いまでも休み方は模索している最中です。
結婚や出産といった人生の転機によって30代の時点で働き方が変わる人もいますが、そういうストップがなかった人たちは、40代に入ってからの自分自身の身体の変化によってしか変わることができないというのは、あると思いますね。病気になるとか、そういうきっかけがないと止まれない。
──そうなのですね。
雁 そんなこともあって「休み方」をテーマのひとつにした漫画を描くことにしました。漫画にすると読んでくれた人が意見をくれますからね。そうしていろんな人の考えを知ることで、自分も「休み方」を見つけることができたらいいなって。
年を重ねたら精神的には自由になる
──精神的には、年をとることで逆に自由になる側面もありますよね。多子の会社の元先輩・小森美保がまさにそういうキャラクターです。彼女は40代に突入して気持ちが自由になってファッションも派手になり、最終的には会社からも飛び出します。
雁 彼女のキャラクターは実在する人の話を膨らませて描いたものですけど、そういう人はけっこういるでしょうね。これまでは「似合わない」とか「自分はそういうタイプじゃない」と自分に言い聞かせてきたことを、40代に入るぐらいのタイミングで「もう我慢しなくていい」と思い、実行に移すことができるようになる。
──なんとなく分かります。
雁 たとえばファッションのことで言うと、20代の頃は、ギャル路線とか、コンサバな可愛い女の子路線とかの道があって、自分の選んだ道以外にも未練を残しつつ生きていくわけじゃないですか。30代になると「私はこの道で行こう。他の道は別にいいや」と、諦めもついていく。
それが40代になると、「自分には無理だ」と思って諦めた道に対して「人生一度きりだし、やっぱり、やってみてもいいんじゃないか」という気持ちが芽生えてくるんです。
30代は自分の道を決めてしまって視野を狭くするから楽になるわけですけど、40代ではもう一度その視野を広くしてもいいんじゃないかという考えになる。
そういう気持ちになって、もう一度人生の選択肢を広げることができる人は、きっと生きていて楽しいだろうなと思いますね。
──雁さんも40代になって精神的に良い変化はあったのですか?
雁 一番は図々しくなったことですかね(笑)。
──図々しくなった。
雁 年齢を重ねると、体力だけでなく、気力も減るんです。若いときは気力の容量が2リットルペットボトルぐらいのサイズがあったのに、いまは500ミリリットルぐらい(笑)。だから、もうあまり頑張ろうという気が起きない。
でも、そういうふうに、気力の容量が減ったことと、自分の気力のキャパシティが分かるようになったことは悪いことではないと思うんです。
──実生活ではどんなふうに変わりました?
雁 たとえば、「これ以上、この人とこの話をしても意味ないな」と思うときに、サッと自分から降りられる「引き際」が見極められるようになりました。
あと、しんどいときには、きちんとそのことをまわりに言えるようになった。これは大きいですね。周囲に自分の抱えている苦しみを伝えると、意外とまわりは気遣ってくれることが分かってきた。
そういう成功体験を重ねることで、自分自身の不調を、より言いやすくなったように思います。
日本は「休み方」を学ぶ一歩目を踏み出したところ
──『あした死ぬには、』は、周囲に「つらさ」を伝えるにはどうすればいいかを考える物語でもあると読みました。
雁 「休む」というのにも学習がいるんですよね。私の場合は経験を積むことで昔に比べたら休み方を習得できています。多子さんはその学習の最初の一歩目という感じですよね。
ちょっと大きい話になりますが、それは、日本社会自体もそうかもしれない。
ここ最近になってようやく「コンビニの24時間営業を見直す」といった話が出るようになりましたけど、「働き方」を見直そうと意識的になる人が増え、日本社会もいまようやく一歩目を踏み出しつつあるように思います。
──多子さんは自身の体調をきっかけに働き方を見直しましたけど、世の中には他の理由でそうなる人もいるわけですもんね。
雁 育児とか介護とかで働き方を見直す人もいますよね。中には、働くこと自体を諦めてしまう人もいる。
けれど、「いったん仕事を離れてしまったら、もう一度社会に戻るのは大変」なのは、個人の問題ではなくて社会側に問題がある。そういった問題点を変えていくところはまだまだこれからですよね。
働き方にはもっといろんなかたちがあっていい。『あした死ぬには、』を通して、そういう選択肢の幅みたいなものを提示していけたらいいなと思っています。
(取材、構成:編集部)