「殺される。助けて」言い残し女性失踪…うやむやのまま終えた忘れられない事件

文=高橋ユキ
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「GettyImages」より

 2005年(平成17年)から主に刑事裁判を見つめ続けてきた傍聴ライター高橋ユキが振り返る「忘れられない事件」。恋愛や夫婦関係の悪化による惨殺、金目当ての凶行など、さまざまな凶悪事件の公判を多く取材してきたが、中には何年経っても記憶から消えない事件がある。今回は【あれって何だったの……の話】。

【出会い系で知り合った女性と覚せい剤使用、その後……事件】2008年傍聴

 東京都江戸川区に住む石田佳奈子さん(当時19)が行方不明になったのは2008年4月のこと。6日、家族らに「助けて」と電話があったきり、音信が途絶えた。警視庁は石田さんが事件に巻き込まれたとみて捜査。5日後、石田さんを車中に監禁したとして青梅市の無職男性、Aを監禁容疑で逮捕した。

 Aは下着の中に覚せい剤を隠し持っており、翌日には覚せい剤取締法違反でも現行犯逮捕。調べに対し、石田さんが「山梨県内の峠道で逃げ出した」と供述したため、13日に警視庁は公開捜査に踏み切り、行方を捜すことになった。

 同庁がAのワンボックスカーを調べたところ、車内にあったタオルからは血液反応があり、この血液は石田さんのものと確認された。また石田さんはAに会う前日夜、友人に「亀戸駅で男の人に会う。会うのは初めて」など告げていた。6日昼ごろ、石田さんから母親や友人に「知らない男に連れ回されている。覚せい剤を打たれた。殺される。助けて」など複数回電話があり、同日午後から携帯電話が繋がらなくなった。石田さんからと見られる同様の内容の110番通報が山梨県警に二回あったことも判明した。

 石田さんの失踪に深く関わっているとみられていたAだったが、その後監禁容疑は処分保留となり、のちに覚せい剤取締法違反など違法薬物の使用や所持で起訴されるのみとなった。

 2008年7月7日に東京地裁で開かれた初公判で、同年4月12日の覚せい剤1.359gとMDMA1.239gの所持、同月10日に埼玉県内において車内で覚せい剤を注射したという起訴状が読み上げられ、Aは「間違いありません」と起訴事実を認めた。

 中学卒業後、16歳まで会社員として稼働していたAは1991年から定職につかず事件当時は無職だった。公判ではAの調書が読み上げられた。

「罪になる事は分かっていた、使うために持っていました。21歳のころから始めて、1カ月に一度使う程度でしたが、どんどんクスリがほしくなり、一時は毎日のように使っていたときもありました。ロニーという売人から買っていて、電話してまとめ買いしていました。サービスでMDMAや大麻をもらうことがありました。覚せい剤は女の子とやるときもあったり、仲間に売った事もありました。トランクスの内側にポケットをつくり、そこに小さなアルミケースを入れ、その中にクスリを入れていました」

「友達を呼び出し、遊んでいて、覚せい剤をやるとき、友達に車の外に出てもらい注射していました。その後、友達を送って帰ったりしていました。事件の日は埼玉の車内で使い、11日の夜から次の日の5時まで効果がありました。10日の23時頃、友人がトイレに行くと言い、外に出た時、覚せい剤を使おうと思って使いました」

 石田さんが失踪したのは4月6日。その後の覚せい剤使用が罪に問われている。彼女の失踪に関しては全く関係なく審理は進んでいたが、被告人質問ではこのように語った。

「こう言っちゃアレですけど、あの事件がきっかけで捕まった……こういう事件起こんなかったら、覚せい剤の本当に怖さも分かんなかったと思います。本当の自分、初めて見つめさせたというか、昔の自分に戻れたというか……」

「特殊な形で捕まった……言い方悪いけど、コレが自分のきっかけと思うんすよ。やめるためのきっかけ、薬物の怖さ……クスリをやってない今の方がラクだし、今の自分のほうが好きなんです。前みたいな自分に戻りたくないです」

 自分が変われるきっかけをくれたのが石田さんだと語ったAには、懲役2年が求刑され、懲役2年執行猶予4年の判決が言い渡されている。

「知らない男に連れ回されている。覚せい剤を打たれた。殺される。助けて」など110番通報していた石田さんだったが、

「山梨県の峠で車から飛び出しどこかに行った」

 その行方に関して、一貫してこう供述していたというAは、無関係とされた。警視庁は翌2009年にも石田さんのバッグなどが見つかった場所に近い甲州市塩山上萩原の峠近くの山林内などを捜索したが、発見できなかった。

 そして、現在も彼女は見つかっていない。

【東京・新宿四人強殺事件】2007〜2008年傍聴

 1999年8月と2001年6月に東京・新宿区内のたばこ店で、経営者の女性店主が殺害され売上金が奪われる強盗殺人事件が2件発生した。被害金額は20万円あまり。2001年6月末には、同区内の不動産会社社長宅で社長夫婦がナイフで刺殺され現金10万円などが奪われる事件が発生。この連続強盗殺人事件で逮捕されたのは、不動産会社社長の送迎運転手だった池内楯雄(逮捕当時57)だった。

 強盗殺人罪で起訴された池内の公判は、同年から東京地裁で行われていた。筆者が傍聴を始めた2005年にも彼の公判は続いており「長く続いている裁判」として傍聴人の間で認識されていた。

 3件の強盗殺人での起訴であれば死刑判決が下される可能性が極めて高いため、弁護士は“引き延ばし作戦”を図っていたのだろうと思われる。実際、傍聴してみようと法廷に入れば、検察側の証拠に対して弁護人が「反証の準備のために時間をいただきたい」と、次回期日を2カ月先にしてほしいと求めていたり、または検察側の請求証拠に「違法収集証拠である」として異議を唱えるなど、なかなか本筋に入らないやりとりが繰り返されていたからだ。

 さらには2007年7月、池内は突然、4人の弁護人を全員解任するという驚きの作戦に出た。担当弁護人がいなければ刑事裁判手続きが進められないため、公判はしばらくストップ。翌08年5月、ようやく再開された審理では、なんとまた同じ弁護人が池内の後ろに座っていた。さらにはこれから改めて「無罪の立証を行っていく」と訴える始末、おまけに「被告人は耳が悪いという特性があるので審理は短時間でお願いしたい」とも注文をつけた。

 あからさまに“引き延ばし作戦”だと分かる展開に、裁判長も業を煮やしたのか大声で問いただす有様だった。

「この事件、平成13年に起訴されてるんですよ? 去年の6月までに開かれた公判は108回! かなり長い間活動されてたじゃないですか。それで1年間、公判が止まっておったわけですよ。それで? 1日の時間、そんなに長くできないというんですか?」

 緊迫したやりとりが面前で繰り広げられるなか、池内はきょろきょろしたり、時折眠ったり、緊張感なくのびのびした様子だった。次回以降行われた被告人質問でも同様だ。夏でも、猛々しい虎が背面いっぱいに編み込まれた勇ましいセーターに補聴器をつけ、池内は「生い立ち」から語っていく。公判が始まって7年にもなると思えない進行具合である。事件の話が始まるまで何年かかるのだろうという思いが頭をよぎる中、こんなやりとりが続く。

弁護人「小中学校のときは東京にいたんですか?」
池内「そうだね、杉並区! 駅前にね、高円寺、駅前にボロ屋借りて住んでた! 車通る、カド、カドだから、木の扉、開け閉め……車通る、角だから!」
弁護人「じゃあ兄弟は?」
池内「おじさんと、お袋と……」
弁護人「いやあの、兄弟は……?」
池内「あ〜! 弟がいたね!」
弁護人「3人きょうだいの真ん中?」
池内「違う!!……え〜っと、そうそう! 長男!」

 1時間半ほどで「じゃ、キリがいいのでこの辺で……」と唐突に被告人質問は“次回へ続く”状態に持ち込まれる。これが2008年7月から続いた。

 そして9月1日の公判、ようやく逮捕当時のホームレス生活の話に突入した段階で、池内が頭に手を当てながら、突然こんなことを言い出したのだ。

「ちょっと、調子悪い!」
「え〜、悪くて、しょうがない!」

 さらにこう続ける。

「え〜と、アタマ痛いんだけど、医者、申し出たかったんだけど、東京拘置所でさ、しょうがないんだけど、アタマ痛くなって、別に、アタマぶつけたわけじゃないんだよね。診察申し込みしなさいって言われたんだよ。で金曜、申し込みしたのね。それから、まだ、医者、診察申し込みしますって言ったけど、まだ、診察来ない。アタマ痛くなって、おかしい! アタマぶつけた、痛くてしょうがない!」

 弁護人が「今も痛いの?」と尋ねると「そう! 調子悪くてね〜。今日はやめてもらいたいね〜!」と求め、一旦休廷したのち、閉廷となった。

 同年12月4日。池内は拘置先の東京拘置所で死亡したと報じられた。64歳、咽頭がんだったという。東京地裁は公訴を棄却。最後に出廷したのは11月。これまでの公判は計119回に及んだ。全ての罪を否認したまま被告人が死亡し、うやむやになったまま、事件は終わった。

(高橋ユキ)

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