朝ドラ『エール』古関裕而の暗い過去から学べること/辻田真佐憲さんインタビュー

文=wezzy編集部
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辻田真佐憲氏

 現在放送中のNHK連続テレビ小説『エール』。この作品で主人公のモデルとなっているのが、作曲家の古関裕而だ。

 古関裕而は1909年に福島県で生まれた作曲家で、『栄光は君に輝く』、『スポーツショー行進曲』、『オリンピック・マーチ』、『大阪(阪神)タイガースの歌(六甲おろし)』、『巨人軍の歌(闘魂こめて)』、『モスラの歌』など、現在も多くの人に親しまれる名曲を数多く残している。

 しかしその一方で、古関裕而には戦争中たくさんの軍歌をつくり、そのうちのいくつかは大ヒットを記録、「軍歌の覇王」とまで呼ばれた暗い過去がある。

 彼はなぜ軍歌をつくったのか。そして、その事実から私たちが学ぶべきことはなにか。『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』(文藝春秋)を出版した、近現代史研究者の辻田真佐憲氏に話を聞いた。

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辻田真佐憲
1984年、大阪府生まれ。政治と文化芸術の関係を主なテーマに執筆。著書に『たのしいプロパガンダ』(イースト・プレス)、『日本の軍歌 国民的音楽の歴史』『ふしぎな君が代』『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(すべて幻冬舎)、『文部省の研究「理想の日本人像」を求めた百五十年』(文藝春秋)、『空気の検閲 大日本帝国の表現規制』(光文社)などがある。

──まず、どういったきっかけで古関裕而という作曲家に興味をもたれたのですか?

辻田真佐憲(以下、辻田) やはり、軍歌のつくり手だったという部分が大きいですね。彼は戦前そこまで売れていたわけではないんですけど、軍歌に適正があったのか、日中戦争後には「露営の歌」「暁に祈る」「若鷲の歌」といったヒット曲を連発して一時「軍歌の覇王」とまで呼ばれるようになりました。
 戦後は現在まで残るたくさんの名曲を作った一方、戦時中はそういった作曲活動をしていた。そんな経歴から古関裕而の人生や人物像に興味をもっていきました。

──そんな古関が朝ドラのモデルに選ばれてどのように思われましたか?

辻田 意外でしたけどね。古関自体は非常に落ち着いた人で、人生も、(奥さんとの出会いを除けば)物凄くドラマチックというわけではないですから。つくっている曲はある意味ドラマチックですけど。
 古関は福島出身の作曲家ですし、「オリンピック・マーチ」の作者ですから、東京オリンピックに合わせてきたのかなと。結局、2020年はオリンピックイヤーではなくなりましたが……。

──『エール』では「軍歌の覇王」としてのエピソードをどのように描くと思われますか?

辻田 そこがすごい疑問で。もちろん、触れないわけにはいかないと思います。古関にとって軍歌は出世のきっかけでもありますし、重要な作品ですから。
 先に挙げたような軍歌だけでなく、彼はアジア太平洋戦争下には、その日の戦果をすぐ歌にして放送する「ニュース歌謡」というジャンルの作曲も手がけています。そういった歌はNHKラジオで放送されていました。つまり、古関の軍歌にはNHKも深く関わっているわけですよね。ドラマで戦争とNHKの関係を全スルーというのは、やはり難しいと思います。

──古関が軍歌をつくっていたことについて、辻田さんはどう捉えていますか?

辻田 彼が軍歌をつくっていたということは、単なる善し悪しの二元論で語ることのできる問題ではないと思うんです。
 彼はヒット曲をものにすることができない時期が長く続いていて、コロムビアから専属作曲家の契約を切られそうにもなっている。家族を養っていかなくてはならないなかで、作曲家としてのキャリアを断たれるかもしれないという恐怖は、察するに余りあります。
 そういった経緯から、古関には「ヒット曲をつくらなければならない」というある種の強迫観念が感じられます。戦時下で軍歌を作らねばならず、「自分にはその適正がある」とわかった以上、戦争に対していろいろな思いがあったとしても、そう簡単にはやめられなかったのではないでしょうか。

──そういった意味で戦中の古関の人生は、いま現在の日本人とも通じるのではないかと思います。

辻田 まさに、古関の人生はいま振り返ると学ぶべきところが多いと思いますね。今後、経済状況がどうなるか分からず、各々が「国策に協力しなければ、仕事がなくなり生活が不安定になる」といった立場に立たされるかもしれない。その時、抗うことができるかという問題ですよね。
 もしこの本を10年前に書いたとしたら、単なる歴史の1ページの話で「戦争に協力して軍歌なんかつくってはいけない」といった単純なオチになっていたかもしれません。
 でも、政治と文化の関係がたびたび取り沙汰される今は、戦中に古関が対峙した問題がとても現実的なものに感じられる時代になってしまっているのではないでしょうか。「戦争責任!」と叫んで終わりではなく、わがこととして捉えなければいけません。

──また、そういった戦争協力は国が強制的にやらせただけではなく、作家や企業側が自発的に行った側面もあったわけですよね。

辻田 そうですね。会社はどんな時代であってもヒット曲を出し続けなくてはならない。盆踊りが流行れば盆踊りの歌をつくるわけですし、軍歌が売れるとなった軍歌をつくるといった感じです。

──昨年は「徴用工」問題や韓国海軍レーザー照射問題をきっかけにメディアが「韓国バッシング」だらけになりましたが、これなども「売れる」という理由だけでマスコミが国民の憎悪を煽ったものだと思います。

辻田 実際その前から嫌韓本の流行は続いていて、その結果として去年のようなことが起こったわけでしょう。メディアはお金を稼がなければならないので、「数字が取れる」ものにどうしても飛びついてしまう。不況であればあるほど、背に腹は変えられない。戦争に協力しなければ営業が難しくなった当時と今とでは、似ている部分もあると思います。

──メディアが国策に加担するといえば、東京オリンピックがまさしくそうですよね。結局、2020年の開催は延期され、2021年の開催もかなり微妙な状況ではありますが、これまで多くの芸能人が東京オリンピック関連の宣伝活動に丸乗りし、批判的な発言はほぼ皆無という状況が続きました。

辻田 便乗すること自体はいいと思うんです。私だってこうして朝ドラに「便乗」して本を出版しているわけですから(笑)。
 でも、国策に対して批判的な姿勢をもたないまま便乗し続けることのリスクは心のどこかにとどめておくべきでしょう。
 だから、同じオリンピック便乗本を出すにしても、「オリンピック万歳」という内容ばかりではなく、「オリンピックにはこういった負の側面がある」と釘を差すかたちの便乗もなければ、ただの翼賛になってしまうし、暴走も止められないと思うんです。

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辻田真佐憲『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』(文藝春秋)

古関裕而は「勇ましいけれど、どこか悲しい」

──古関裕而のどういったところが軍歌とフィットしたのでしょうか?

辻田 軍歌というと勇ましい行進曲のようなもののイメージが強いかもしれませんが、実はただ強さを押し出しただけの曲というのはあまり売れませんでした。
 当時の大衆が求めたのは、それよりも、どこか物悲しくて、聴く人を感傷的な気分にさせる曲。でも、単純に悲しい曲だと検閲に引っかかってしまう。
 そんななか、古関は「勇ましいけれど、どこか悲しい」という矛盾する情感の中間を見事に表現することができた。そこが、当時の大衆と軍部の両方に古関メロディーが歓迎された理由だったと思います。

──どういうバックグラウンドでそういった感性が培われたのでしょうか。

辻田 古関が古賀政男や服部良一のような同時代の大衆音楽家と大きく違う点は、クラシックに対する愛着が非常に強いというところです。
 古関は、大衆音楽家よりもむしろ山田耕筰のようなクラシックにも精通した音楽家に憧れていた人で、芸術への思い入れを強く持っています。大衆音楽家としてのキャリアを踏み出した後も、しばらくクラシックの勉強はやっていたくらいです。
 だから、音楽的な引き出しが広く、それ故に、大衆にも体制にも媚びすぎない、絶妙な旋律をつくりだすことができたのかもしれません。

──戦後の古関は戦中に自身が書いた曲についてどう思っていたのでしょうか?

辻田 反省というか忸怩たる思いはあったみたいですね。
 あとそもそも、前に申し上げたようにクラシック音楽への思いがある人ですから、あまりに俗っぽい音楽には抵抗があったように思います。
 とはいえ、古関は特段思想があるわけではなく、基本的にはオファーされた仕事をきちんとこなすひとでした。ですので、戦後は自衛隊の隊歌もつくれば、鎮魂の歌として知られる「長崎の鐘」(作詞:サトウハチロー、歌:藤山一郎)もつくりました。

──古関裕而の人生から私たちが学ぶべきことはなんでしょうか?

辻田 やっぱり、商業主義と距離感をとることの難しさだと思うんです。
 表現活動をするうえで、ビジネス的要素を否定することはできません。そのある種のデタラメぶりが、猥雑な文化を守り、表現の多様性を担保しているのですから。とはいえ、あまりに無軌道に時局便乗してしまうと、時に変なところに連れて行かれてしまう。
 メディアや芸術家が国策に丸乗りした結果、社会になにがもたらされるかということについて歴史には学ぶべき例がたくさんあるわけですが、古関の過去もそのひとつだと思います。
 生活のために日々のお金は稼がなくてはならないわけですけど、そのなかで政治とどう距離を保っていくか。そのバランス感覚の問題ですよね。身につまされる話です。

──だからこそ2020年のいま、彼の人生を振り返ることには大きな意義があると思います。

辻田 後世から見ると「この段階ならまだ抵抗できた」というのと「ここまで来たらもう逃れられない」というのを分ける線が明確にあるわけですよね。
 では、翻って2020年のいまはどうなのか。古関の人生を見ると、どうしてもそのことを考えずにはいられません。

(取材、構成、撮影:wezzy編集部)

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