彼氏に嫌がられても私がポリアモリー(複数恋愛)の集まりに参加した理由

文=原宿なつき
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 3年ほど前、ポリアモリーという言葉を知りました。ポリアモリーとは、複数恋愛を意味します。ポリアモリーの実践者は、恋人が何人かいたり、結婚後も恋人を新たに作ったりします。

 浮気との違いは、「関係者全員が、恋人が複数いるということを認識している」という点です。浮気の場合、パートナーに嘘をつき、隠して付き合うことになりますが、ポリアモリーの場合は、すべてオープンです。そのため、ポリアモリーは浮気や不倫よりも誠実な関係のあり方だ、と言う人もいます。

 ポリアモリーという言葉を知ったとき、すごく惹かれるものがありました。私自身は、ふたり以上と同時に恋愛した経験はないのですが、「一対一で付き合うのが当たり前。それ以外は絶対悪!」という風潮はなんだか窮屈だな、と思っていたからです。浮気や不倫をする人は腐るほどいるのに、それを無いことにして「一対一の関係を永遠に変わらずに続けることが理想」とされている様にもモヤモヤしていました。そのため、「一対一で付き合う。ほかに好きな人ができることは想定されない」という関係以外の形を実践している人の存在を、とても興味深く感じたのです。

 当時付き合っていた彼氏にポリアモリーの話をすると、「気持ち悪い」と一言で片付けられてしまい、寂しさを感じました。「ポリアモリーをしてみたい」と言ったわけではありません。「こういう人がいるって知ってた?」と話しただけなのです。彼は強固に「一対一の恋愛神話」を信じ込んでいたのでしょう。その、「既存の恋愛関係についての盲信っぷり」が、あまりに私の感覚と違ったため、彼と距離を感じて寂しかったのです。

 彼に否定されても「もっとポリアモリーについて知りたい」「ポリアモリーを実践している人に会ってみたい」という気持ちは変わらず、私は「ポリアモリーを実践しているorポリアモリーに関心がある人の集まり」に参加することを決めました。

 会場は都内某所。参加者は男女半々で20人程度でした。年齢層は20代〜40代くらいで、半分がポリアモリーをすでに実践している人、もう半分がポリアモリーに関心がある人でした。会の内容は、お菓子などを食べながら、3時間ほど自身の恋愛の状況やポリアモリー実践の難しさについて語り合う、というものです。

 参加して思ったのは、「みんな普通の人たちだな」ということでした。当たり前なんですけどね。「こんなに普通の人たちが!」と思ったということは、私の中にもポリアモリーに対する偏見があったということでしょう。

 そこには、「同じ大学に2人の彼氏がいる女の子」「週末は妻と恋人と3人で料理をすることもあるというサラリーマン」「恋人ができた途端、夫との関係が良くなったという主婦」「ポリアモリーのことを家族に理解してもらえず悲しいと語る3人の彼氏と同居している女性」など、様々な立場の人が集まっていました。他県から3時間かけて参加した男性が、「安心してポリアモリーについて語り合える場所は貴重だ」と言っていたのも印象的でした。これまで何度も、「ありえない。気持ち悪い」と断罪されてきたのかもしれないな、と思いました。

 会合に参加したからといって、「よし、私もポリアモリーを実践しよう!」とは思いませんでしたが、参加してよかったと思いました。恋愛や結婚・家族のあり方に対して、「これが正しい」という押し付けとは真逆の、「こんな形もあるかも」「こういう形ってありかな?」と手探りしている空気感が、私には心地よく感じられたのです。

『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』

 花田菜々子さんの新刊『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』(河出書房新社)を読んだときも、同様の心地よさを感じました。

 本作は、書店員である花田さんが、2人の男の子を育てているシングルファーザーと付き合うことになり、子どもたちと関わりを通して、家族のあり方について考える、という私小説です。

 花田さん自身が、<シングルマザー、シングルファーザーはこの世にたくさんいるのに、そして再婚する家庭も多いはずなのに、子どもとどんなふうに接していくのがよいのかを書いた本があまりにも見つからないことも、この本を書こうと思ったきっかけのひとつ>(P.210)と述べているように、本書は、「ステップファミリーとの付き合い方に悩んでいる人」にとって、参考になる実用書でもあります。

 ステップファミリーとの付き合い方が本書のメインテーマであることは明らかですが、私自身は、ステップファミリーとの付き合い方の部分よりも、恋愛や結婚に関する価値観の部分を興味深く読みました。

 花田さんは、彼から「付き合ってください」と言われても「あの、付き合うってどういうことですか?」と聞いてしまうほどに、従来の一般的な“恋愛のやり方”に疑問を感じています。付き合うことになり、関係が深まった後も、一対一の契約が苦手だと感じている花田さんならではの、少し変わった提案をします。

<もしこれから、お互い、好きな人ができたらどうする、っていうのを決めておかない? もし私に他に好きな人ができたり、他の人とセックスすることがあったら言ってほしい? 言わないでほしい? それ、臓器提供みたいに、事前に意思表示しておくことにしない?>(P.173)

 この提案について、彼と本音で話し合うことができた花田さんは、これまで及び腰だった結婚に対して、「この条件だったら結婚してもいいのかもしれない」と思うまでになります。もちろん、「そんな条件じゃ、結婚する意味がない」と考える人がいるのは百も承知です。

<でも関係ない。知らないよ一般のルールは。もう時間ないし、自分の道を行かなきゃ>(P.176)

 ここでは、恋人や夫婦というラベルをつけて、そのラベルに沿うように自分たちの関係を変えていくのではなく、自分たち独自の形を探り、無意識にしばられている「こうでなければならない」の呪いから徐々に解放されていく様が、鮮やかに描かれています。

 花田さんの書かれている「既存の恋愛や結婚という形に対する懐疑」は、私も感じていました。自分だけが変なのかな、という気持ちを抱いたりもしていましたが、本書を読んで、自分と似た考えを持っている人を知り、勇気付けられました。

お守りのような存在

 「ポリアモリーにドン引きしていた彼氏」とは、その後しばらくして別れました。理由のひとつは、私たちが違いすぎたからです。

 自分の望む形を作っていきたい私と、既存の形を守りたい彼との間では、諍いが絶えませんでした。たとえば私が、「結婚式で新郎だけが挨拶するのはおかしい。新婦は一言も公に喋らない式も多い」と言ったのに対して、彼は「式ってそういうものだから、それでいい」と言い切りました。「この人と一緒にいたら、私が望む形よりも、昔からそうと決まっている形・正しいとされてきた形を優先され続けることになる」と気がついたとき、一緒にいるべきではないと思えたのです。

 花田さんには、従来の恋愛に対する懐疑を共有できるNという異性の友人がいて、自分に似ている彼の存在を「お守りのような人」だと感じていると言います。

<「似ている」ってただそれだけで、自分の痛みが減るわけじゃないし、これからも別々に自分の荷物を背負って生きていくだけのことなのに、どうしてこんなに救われるのだろう。>(P.9)

 自分にとってのお守りは「人」に限りませんよね。読書の楽しみのひとつは、周囲に自分と似たような人がおらず心細く感じているときに、ページをめくれば「お守りのような存在・言葉」に出会える可能性があるってことなのかもしれません。

(原宿なつき)

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